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11月, 2020の投稿を表示しています

学級通信を書く価値

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 今回は私が5年間毎週出し続けている「学級通信」についてお話しします。皆さんは学級通信の記憶はあるでしょうか?私が中学校の時の学級通信はほぼ記憶に残っていません。あったのは間違い無いのですが…残念ながら、何が書かれていたかはほぼ記憶から消えてしまっています。学級通信を書くことは当然のことながらものすごい手間がかかります。そんなこともあまり考えずに私は中学校時代を送っていたのかもしれませんね。学級通信には担任の先生の熱い想いが入っているものなので、もし今読み返せるのであれば読み返したいものです。今度実家に帰ったときに、とりあえずダメ元で当時の学級通信が残っているか確認してみようと思います。  私自身、学級通信を書き続けることでクラスが劇的に良くなるとは思っていませんし、毎週出すからといって、子どもたちが内容をよく読んでくれているとも思いません。よく帰りの会の後教室を整理していると教室に落ちているのも見ます。こういうのを見ると少し辛いですが、だからと言って学級通信を発行することをやめようと思ったことはこの5年間で一度もありませんでした。なぜそれほどまでにこだわりをもって発行し続けることが出来ているかというと、それをすることに単純に価値を感じているからです。この記事を読んでいる人の中に学校で学級担任をされている方は少ないかもしれませんが、今回の文章を読み進めていくと、学級担任とは無縁の方にも少しは価値を感じていただける内容になると私は考えていますので、少し長い文章に今回もなるかもしれませんが、お付き合いいただけたら幸いです。  私が学級通信を書き続ける理由を今回は4つ紹介します。それは 「良いところ探しが前提になる」 「感覚を言語化して他のことに繋げられるようになる」 「大切なことを考えるきっかけづくりになる」 「最後は達成感で報われる」 という内容です。これらの理由で書き続けているわけですが、結論から言うと、 学級通信を書き続けると子どもへの愛情は明確に深くなり、大切なことを伝える自分自身の言語力を伸ばしたり、考えを整理することができるようになります。そして、その中で自分自身のメタ認知が促されるため、視野を広げることができます。要は子どもたちのためになること以上に、自分自身の成長を実感するためのツールとして大きな恵みをもたらしてくれる ということです。まるでエッセイスト

リサイクル実践法 〜場にいかせるリサイクル〜

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 今回はリサイクル実践法に関して記事を書きます。これまでの投稿で装飾や部屋の整理整頓に絡めてリサイクルに関することも書いたことがありますが、今回はリサイクルによって大変役立つ道具が作れ、より良い環境をつくることができるということをお話ししようと思います。ちなみに下の写真は廃材として美術室にあった木材を組み合わせて棚にしたものです。かなり多用途に使える棚として活躍しています。このような大変役に立っているリサイクル品を紹介しながら、リサイクルについて話を深めていきます。  リサイクルというのは辞書で調べると「資源の節約や環境汚染の防止のために,不用品や廃物を再生して利用すること。(スーパー大辞林)」となっています。誰もが当たり前に使っている言葉ですが、改めて考えると、 本来ならゴミと言えるものが使い方によっては資源を節約したり環境汚染の防止につながるという大逆転な発想 であり、大変魅力的な概念です。テクノロジーに関するものは割とお金に糸目をつけずに買う私ですが、節約できるものであれば可能な限り節約したいと考えています。なので、これまでにたくさんのものをリサイクルしてきました。  しかし、 リサイクルというのはあくまで自分がやりたいことを叶えるための手段 であるべきだと私は思います。全てがリサイクルを目的にしてしまうような思考になると、多大な時間を失うだけでなく、場合によっては無駄な費用がかかってしまったり、ゴミがちょっとマシなゴミになる程度だからです。明らかにリサイクルによって不便を被るようなリサイクルはSDGsの観点から考えても適切とは言えないでしょう。あくまでリサイクルによって快適になるというのが目指すべきところであり、それを考えていくのが価値あるリサイクルだと思います。そしてこれは多くの場合可能であるというのがこれまで雑然とした美術室を赴任の度に引き継いできた私の経験から確信をもっていうことができます。改めてこれまでの境遇には感謝でしかありません(笑)  私が今年赴任した学校の美術室には大昔に学校備品から外れた使い物にならないイーゼルが沢山置いてありました。写真の様子は美術準備室ですが、これらが無駄に美術室に置きっ放しになっていたというのが非常にショッキングな事実です。しかし、 今となってはこれらが私が赴任する前に廃棄されていなくて結果的に本当にラッキーでし

美術室の刺激的な空間づくり 第4回「装飾の視点」

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  これまで3週に渡って美術室の刺激的な空間づくりについてお話してきました。今回の記事が連続投稿の最後になります。  今回は「装飾の視点」がテーマ。少々哲学的な内容ではありますが、かなり汎用性の高い思考につながる内容になると思いますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。  前回の記事で装飾をする目的についてお話しました。空間を楽しく華やかな印象にして、来る人におもてなし感を出したり、空間に関心をもってもらったり、汚いところを誤魔化したり、生きた空間として機能させたりといった目的があるということでした。こういった装飾を可能にするためには装飾に対する「視点」が必要になります。 視点をもつというのはアイディアのきっかけを生むことになります 。結局のところ、装飾に目を向ける、考える習慣をもつというのが一番大事なのではないかと思います。とてもシンプルなことです。逆に、視点がないと、視点をもっている人からすると驚くぐらい何も考えたり、行動したりしたことがないことに気がつくことが多々あります。それぐらいに視点というものは根本的に大切なことであり、その視点をもてるようにするポイントというのは、装飾だけでなく、さまざまなことにきっとつながることでしょう。  装飾の視点をもつために大切なことを今回は3つ紹介します。それは「汚いところや機能的に問題のあるところを見つけたらとりあえずワンアクション起してみる」「適切な材料と出会う」「装飾の美しい場に足を運ぶ」です。 汚いところや機能的に問題のあるところを見つけたらとりあえずワンアクション起してみる   汚いと感じるところを見つけるのはおそらく誰でも簡単にできる ことでしょう。その汚さがちょっとしたものであれば、何の問題もなく対処することができるかもしれません。しかし、 汚さの規模が大きいと、どこから手をつけて良いのかわからなかったり、作業の面倒くささに対するイメージが先行して行動が起こせなくなる のではないでしょうか。規模が大きくなった分だけ当然感じる負担は大きくなりますし、やらなくても生きていける状況なら、そういう負担から人間は逃避したくなるように本能的に感じるものです。強力な汚点に立ち向かうのは紛れもな大きな挑戦になります。挑戦という言葉は現代では非常に素敵な言葉として存在しますが、命を重んじる自然界では挑戦は必要最低限に行われる

美術室の刺激的な空間づくり 第3回 装飾の工夫 

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  美術室の刺激的な空間づくりについてこれまで「展示」と「掲示物」について記事を書いてきました。第3回は装飾の工夫についてお話しします。  前回の記事の最後の方で大聖堂の装飾から、空間を装飾することによる教育的可能性についてお話ししました。 大聖堂の美しいステンドグラスや装飾によって文字が読めない人でもキリスト教の教えが分かるように、美術室も美しい掲示物と装飾で美術の価値を感じてもらえるような教室環境を目指すことが美術教師のミッション だと考えています。  このような考えに対して「いやいやぁ、教師なら授業力でしょ」という人もいるかもしれません。もちろん、それは否定しません。私は毎時間研究授業のつもりでやってきましたし、研究も怠りません。私がこれまで勤めてきた学校はどこも公開授業は年に1回がノルマになっていました。もちろん何回公開授業をしても良いのですが、自主的に複数回公開授業をする人は私の記憶では同僚には過去にいませんでした。単純に公開授業は指導案を書いたり、丁寧に授業をしたり、管理職や授業改革推進員の先生方に授業を見られるため嫌だという人も多いです。私はかなりこの辺の感覚が狂ってしまっているのか、毎年2回以上、場合によっては毎学期公開授業をします。なぜこのようなことをするかというと理由はたくさんあります。あげるならば 「研究の中で授業にいかせる発見があり、新しくその要素を盛り込んだことに対して批評が欲しい」 「公開授業は自分自身の成長を感じられる機会なので、他の教員に刺激を与えたい」 「問題を起こすわけではないが、普段かなりCRAZYな言動とスポーツタイプな感じが目立つ私でも、授業に関して熱心に取り組んでいるというアピール(笑)←これをしているうちに私に対して偉そうに言ってくる人はいなくなります(笑)」 「美術室の展示や掲示物、装飾といった変化、進化を見てもらい、美術の価値を感じてもらう」 「単純に公開授業に向けて準備したり、いつも以上に気合を入れて授業することで自分自身が成長できる」 といった感じで、単純にメリットが多いです。デメリットを上げるなら、準備の時間が必要になることぐらいでしょうか。  普通、自分の成長のためにはお金が必要になることが多いです。学校へ行ったり、コーチや家庭教師をつけたり、特別な体験をしたり。こういったことは年間数十万ぐらいかかることもざ