リサイクル実践法 〜場にいかせるリサイクル〜
今回はリサイクル実践法に関して記事を書きます。これまでの投稿で装飾や部屋の整理整頓に絡めてリサイクルに関することも書いたことがありますが、今回はリサイクルによって大変役立つ道具が作れ、より良い環境をつくることができるということをお話ししようと思います。ちなみに下の写真は廃材として美術室にあった木材を組み合わせて棚にしたものです。かなり多用途に使える棚として活躍しています。このような大変役に立っているリサイクル品を紹介しながら、リサイクルについて話を深めていきます。
リサイクルというのは辞書で調べると「資源の節約や環境汚染の防止のために,不用品や廃物を再生して利用すること。(スーパー大辞林)」となっています。誰もが当たり前に使っている言葉ですが、改めて考えると、本来ならゴミと言えるものが使い方によっては資源を節約したり環境汚染の防止につながるという大逆転な発想であり、大変魅力的な概念です。テクノロジーに関するものは割とお金に糸目をつけずに買う私ですが、節約できるものであれば可能な限り節約したいと考えています。なので、これまでにたくさんのものをリサイクルしてきました。
しかし、リサイクルというのはあくまで自分がやりたいことを叶えるための手段であるべきだと私は思います。全てがリサイクルを目的にしてしまうような思考になると、多大な時間を失うだけでなく、場合によっては無駄な費用がかかってしまったり、ゴミがちょっとマシなゴミになる程度だからです。明らかにリサイクルによって不便を被るようなリサイクルはSDGsの観点から考えても適切とは言えないでしょう。あくまでリサイクルによって快適になるというのが目指すべきところであり、それを考えていくのが価値あるリサイクルだと思います。そしてこれは多くの場合可能であるというのがこれまで雑然とした美術室を赴任の度に引き継いできた私の経験から確信をもっていうことができます。改めてこれまでの境遇には感謝でしかありません(笑)
私が今年赴任した学校の美術室には大昔に学校備品から外れた使い物にならないイーゼルが沢山置いてありました。写真の様子は美術準備室ですが、これらが無駄に美術室に置きっ放しになっていたというのが非常にショッキングな事実です。しかし、今となってはこれらが私が赴任する前に廃棄されていなくて結果的に本当にラッキーでした。この他にも木材が沢山あり、部屋を圧迫していましたが、赴任してから半年以上経った11月現在、これらの木材は必要とされる場所で活用されています。
リサイクル例とリサイクルのプロセス
それではどのように活用されているか紹介していきます。ただ、私としては、どのようなプロセスやイシューによってリサイクル品ができたのかをお伝えしたいです。このことにはある共通点があり、この共通点こそ価値のあるリサイクルを実現することにつながると私は考えています。
というわけで、まずは美術室や準備室で活用したリサイクルについて紹介します。以前の記事でも紹介したことがあるものですが、上の写真は展示用スペースです。こちらは複数の木の板を組み合わせて平面作品と立体作品が展示できるスペースにしました。これを制作したきっかけは大量の古い木材があり、部屋のスペースを圧迫していたことです。このような木材は一刻も早くリサイクルしたいところですが、形もバラバラなので棚などにリサイクルするのも不向きでした。しかし、美術室を整理していく中で部屋のスペースに使い勝手が悪い部分が見つかりました。棚と窓の間に窪んだスペースがあり、元々は使えなくなったイーゼルが置かれていたのですが、それらを片付けたことで、ただの使えないスペースになってしまいました。このような場所にただものを置いたとしても、とりあえず置いた感しか出ないので、それ以外の方法を考えました。その時に浮かんだのが、この窪みのスペースを塞ぎ、展示スペースにするということでした。ただ、スペースを平面的に塞いだだけでは上の部分が構造的に空いてしまうので、その部分をさらに塞ぎ、そこに立体を展示できるようにしました。これならただ物を置いた感が薄まり、平面作品と調和した状態にすることができます。このような形になるとは最初は考えていませんでしたが、予想以上の成果を得ることができたと思います。
ちなみにこの展示スペースに用いた木材は最初このように大変汚かったので、ペンキで黒くしました。これによって単純に見た目がきれいになっただけでなく、黒のバックに作品が映える状態になりました。このペンキも実は廃棄に困っていたものです。中身が入ったままでは廃棄できないということだったので、使い道を探していたところに絶好の機会がやってきたのです。
このようにして木材を廃棄することなく、部屋の機能性を上げるために有効活用することができました。このリサイクルのプロセスを整理すると、「廃棄したいもので素材となるものを見つける」「部屋の最適化を整理整頓の中で考える」「最適化するために不足している物を考える」「不足している部分に手を加える」「形にする中で気がついた問題に対処する、または準備する」「さらに手を加える」という構造になっています。実はこの構造、PDRと呼ばれる作業コンセプトになります。Pは(prepare:準備する)、Dは(do:行動する)、Rは(review:再検討する)というもので、よく計画的に成果を出すお手本として扱われるPDCAよりも圧倒的に柔軟で生産性の高い方法であると私は思います。PDCAの難点は計画に合わせて作業するという窮屈さであるのに対して、PDRはまるでジャズのセッションのように柔軟に変化させることで自然と内容が充実していきます。これはまさに、「遊び」のようなもので、遊びは遊べている限りにおいて、内容を進化させていくことができます。リサイクルという遊びができると、自然と価値あるものが生まれていくと言えるのではないでしょうか。ちなみに、このPDRという方法、DaiGoさんがとてもタイムリーに動画で解説していたので、気になる方はそちらを確認してみてください。おそらく身近なところでとても活躍している人はPDRを実践している人が多いのではないかと思います。PDCAの後にPDRが出てきたと考えられているような気がしますが、例えば戦国時代や明治維新など、計画性なんていうものがあまり意味をなさない激動の時代で活躍している人はあくまで伝記で推測することしかできませんが、PDRをものすごい勢いでサイクルさせていたと思います。
気がつけば歴史の内容に足を踏み入れ、勝手に趣味の世界にワープしそうになりました。早めに自分の文章をreviewして良かったです。PDRはADHD傾向のある人と大変相性が良いのです(笑)。逆に計画性という焦ったいものが必要とされるPDCAはあまり合いません。基本的に少し準備ができたと思ったら見切り発射しまくる傾向にあるので。
部活動でもリサイクル品が大活躍
次は、私が顧問を務めるソフトテニス部の活動にいかすことができた物について紹介します。私が今年の4月から赴任した中学校にはテニスコートが2つしかありません。以前の学校は3コートあり、近くに市が運営する大規模のテニスコートもあり、大変充実した練習環境でした。私が在籍していた6年間でテニスコート自体の環境も良くなり、雨で土がぬかるんでいる日にはコート整備をして水捌けが良いコートになっていました。しかし、赴任した先のコートはコート数が少ないだけでなく、水捌けは最悪、ラインテープも朽ちていました。おまけに近くの大規模テニスコートは市の運営ではないため利用には多額のお金がかかります。つまり、練習は学校のコートでやるしかないという環境であるにもかかわらず、そのコートが最悪という状態でした。
この状況が分かった時にはさすがに少しテンションが下がりました。しかし、幸いと言ってはいけないかもしれませんが、今年はコロナ対策の臨時休業が4・5月にあり、これまで部活動に使っていた時間の有効活用ができるようになり、私は一人でコート整備を始めました。このコート整備で役に立つのがトンボです。これでレーキなどで削った土を均し、コートの表面をきれいにします。最初は野球部のトンボを借りていたのですが、さすがに借り続けるわけにもいかないということで、思いついたのが美術室にある大量の廃棄対象のイーゼルでした。これらは少し手を加えるだけでトンボになりました。これを大量に生産したことで、部員たちも普段からトンボを用いてコート整備するようになりました。
もう一つソフトテニス部で大活躍しているものがあります。それはポータブルネットです。少しでも練習環境を増やすことが必要なので、ポータブルネットは大変重要な練習道具です。しかし、市販のポータブルネットにはいくつか難点があります。「折りたたみ式なので準備と片付けが面倒」「ポータブルでありながら組み立ててしまうと移動する際には2人以上の人手が必要」「部費には限りがあり、値段もかなりするため沢山買うことはできない」「骨が細いためすぐ壊れる」といった難点だらけなのです。本当は練習の強い味方になるはずのものが、このようなネガティブ要素の塊では子どもたちもポータブルネットに懐いてくれません。
そんな問題を解決したのが、またしても美術室の廃棄イーゼルでした。これまた少し工夫するだけでポータブルネットになりました。イーゼルの構造は色んな形に変化させやすいのです。このポータブルネットはコートサイドに常に置いているので準備がとても楽です。そしてつなぎ合わせると幅をもたせることもできます。全て合わせると普通のネットと同じぐらいの幅になるので、グラウンドに仮設のコートをつくることさえ可能となりました。
有益なリサイクルを生むイシューと出会うために
リサイクルする際には使用者の欲求を反映させて形を作ることができるため、場合によっては市販のものよりも利便性の高いものも生み出すことができます。そのためには現場の状況を分析してそれに合うものにアレンジすることが大切です。そんな有益なリサイクルを生むためには、まず価値あるイシューと出会える機会を自らつくり出すことが大切であると私は思います。
単純に優れたリサイクル品を作ったとしても、それが場にいかせるものでなければ無用の長物です。そんなものは鑑賞の対象にしかなりません。もちろん、それが美術室に置かれて、子どもたちに教育的効果のあるものとして存在するのであれば、それはそれで良いことです。しかし、一般的に考えて、リサイクル品が全て美術に関するものばかりの訳がありません。「生活で役に立つ」という概念が入った瞬間にデザイン、工芸となります。そして、デザインであれば利便性、工芸品であれば用と美を兼ね備えたものになるのです。優れた「用」をリサイクル品にもたせるためには価値あるイシューと出会うことが大切であると私は考えています。
価値あるイシューと出会えたとき、おそらく多くの人がワクワクするのではないでしょうか。なぜなら、それが実現された時に得られる成果に魅力があるからです。そして、その実現性がリアルなものであるほど行動に一歩移すことが楽になります。イメージも何もできておらず、やることに魅力も感じていない状態で一歩踏み出すことにはほとんど価値がありません。それは勉強することの面白さや、分かることが増えて世界が拡大することを知らない子どもに対して、一方的に「勉強にはこんな魅力があるよ!」と言っても何も響かないというのを考えてもらうと分かりやすいのではないでしょうか。結局、自分の力で価値に気がついたり、メタ認知したりすることが大切なのです。
では価値あるイシューと出会うためには何がポイントになるのでしょうか。これはあくまで私の考えなので参考程度にしてもらえたらと思うのですが、「現場についてよく知る」「現場で頑張る人と一緒に活動する」「自分にできることを把握する」ということが大切であると考えています。
現場についてよく知る
これは当然のことですが、つくる人が現場のことを知らなければ、非常に主観的で一般的なイメージを用いるしかありません。そんな状態でジャストフィットしたものがつくれるわけがありません。現場で自分の感覚を働かせて初めて価値あるイシューと出会えることでしょう。百聞は一見に如かず。いくら要求側から情報をもらったとしても、それをイメージに全て変えるのは人間のスペック的に極めて難しいことです。現場に行くと言葉や画像という二次情報では気がつけなかったことに不意に出会えます。それによって想像以上に深刻だった…なんてことはざらにありますが…。その時は一瞬辛い気持ちになることもあるかもしれません…しかし、そこから気持ちを切り替えて行動し、成果が出始めると快感でしかありません。なんだかんだ最終的にはハッピーエンドになることが多いです。良いイシューと出会えると、少しの辛抱さえあれば状況は劇的に良くなりやすいです。完璧に作業しなくても十分に価値が出るものです。トンボやポータブルネットの形が少々歪であったとしても誰も気にしません。それらが存在すること自体が前進なのですから。
現場で頑張る人と一緒に活動する
これはかなり心理的な問題です。しかし、これは決して精神論などではありません。個人的には精神論はネタとして嫌いではありませんが、その生産性は一般的にはむしろ逆効果になると思います。よく私は周りから「熱い」と言われますが、意外と冷静です(笑)
ではどのような意味で心理的と言えるのかというと、頑張る人を見ていると、人は自然と応援したくなります。また、頑張っている人が困っている場合、人は頼りになる存在になろうとします。要は前進したいと思っている人と一緒にいると、自分にできることをやろうという気持ちになるということです。仲間を助けたい、その一心で自分の力が解放されます。自分一人では普段気付くことがないようなことにも、他人のためなら冷静に気付けるようになる傾向があるのです。その中で、新しいアイディアが浮かぶこともあります。このような経験ができるだけで自分自身大きく成長し、気づきと自分自身の成長で価値あるリサイクルにつながります。ポータブルネットの件を例にすると、最初は幅1メートル程度の小さなものを作ろうと思っていましたが、「もっと快適に練習できるようにならないか」と真心が生じ、ネットとネットを繋ぎ合わせる工夫が生まれました。「情けは人のためならず」とあるように、他人に貢献するマインドをもった状態で価値あるものをつくろうとすると、自分自身の成長という最高のご褒美が得られます。積極的に一緒に活動して、情けポイントを見つけていきたいものです。
自分にできることを把握する
現場を見たり、一緒に活動する中で気がついたりしたことをリサイクルのアイディアにする際、自分にできることが把握できていると、すぐに何かしらのアイディアが思い浮かびます。後はそのアイディアを可能な限り良質なものに調整するだけです。自分の得意なことは解決の手段になってくれます。私の場合、木材の加工には自信があるので、木でできるものならすぐに形にすることができます。つまり、私にとってリサイクルの核にあるのが木材というわけです。そしてそれを可能にする木材の準備も、自分にできることを把握するという点ではとても大切です。技術的にできても、やはり材料がないとどうしようもありません。そういう意味で、使える材料を準備することにつながる整理整頓というのはリサイクルを実践する前段階としてとても大切だと言えます。
ただ、これらの技術や材料に関しては「ある程度」あれば十分だと思います。完璧にしてからと考えてしまうと、いつまで立っても肝心の行動ができません。PDCAであればPの段階でずっとストップしているだけです。それゆえにPDRという考え方で、ある程度の準備ができたらすぐ行動することが大事だと言えます。ましてやリサイクルに使うものというのは本来ならただのゴミです。気軽に手をつけてしまっても特に失うものはありません。
以上3つのことが良いイシューと出会うために大切なことであると私は思います。おそらく他にもたくさん大切なことはあると思うので、良いアイディアがあればぜひ教えていただきたいですし、私も自分自身常に可能性を探っていきたいと思います。
まとめ
今回はリサイクル実践法〜場にいかせるリサイクル〜ということでお話をさせていただきました。リサイクルは今後の私たちの生活に大変役立ってくれるものです。そして、価値あるリサイクができれば、自分が利用する場をさらに素敵にしてくれます。リサイクルは決して難しいものではなく、PDRを実践すれば自ずと理想的なリサイクルを生み出すことができます。そして場をいかす価値あるリサイクルをするためには良いイシューと出会うことが大切です。そのために、場所について知り、その場所で頑張ってはいるものの困っている人の力になろうとしたり、自分にできることを把握しておいたりすることが良いイシューと出会える機会をつくるということでした。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからもたくさんのリサイクルをしていきたいと思います。またお見せできるものができた時には記事にしようと思いますので、お楽しみにしていただけると嬉しいです。
次回は少しテイストを変えて「学級通信を書く価値」についてお話しする予定です。実は私、学級経営もマジでやっています(笑)そして5年間、毎週学級通信を出し続けてきました。学級通信を書くことについて私なりの思いをぶつけてみようと思います。なるべく色んな人に読んで良かったと思えるものにしようと考えていますので、読んでいただけると嬉しいです。それではまた来週!
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