美術室の刺激的な空間づくり 第3回 装飾の工夫 

  美術室の刺激的な空間づくりについてこれまで「展示」と「掲示物」について記事を書いてきました。第3回は装飾の工夫についてお話しします。

 前回の記事の最後の方で大聖堂の装飾から、空間を装飾することによる教育的可能性についてお話ししました。大聖堂の美しいステンドグラスや装飾によって文字が読めない人でもキリスト教の教えが分かるように、美術室も美しい掲示物と装飾で美術の価値を感じてもらえるような教室環境を目指すことが美術教師のミッションだと考えています。

 このような考えに対して「いやいやぁ、教師なら授業力でしょ」という人もいるかもしれません。もちろん、それは否定しません。私は毎時間研究授業のつもりでやってきましたし、研究も怠りません。私がこれまで勤めてきた学校はどこも公開授業は年に1回がノルマになっていました。もちろん何回公開授業をしても良いのですが、自主的に複数回公開授業をする人は私の記憶では同僚には過去にいませんでした。単純に公開授業は指導案を書いたり、丁寧に授業をしたり、管理職や授業改革推進員の先生方に授業を見られるため嫌だという人も多いです。私はかなりこの辺の感覚が狂ってしまっているのか、毎年2回以上、場合によっては毎学期公開授業をします。なぜこのようなことをするかというと理由はたくさんあります。あげるならば「研究の中で授業にいかせる発見があり、新しくその要素を盛り込んだことに対して批評が欲しい」「公開授業は自分自身の成長を感じられる機会なので、他の教員に刺激を与えたい」「問題を起こすわけではないが、普段かなりCRAZYな言動とスポーツタイプな感じが目立つ私でも、授業に関して熱心に取り組んでいるというアピール(笑)←これをしているうちに私に対して偉そうに言ってくる人はいなくなります(笑)」「美術室の展示や掲示物、装飾といった変化、進化を見てもらい、美術の価値を感じてもらう」「単純に公開授業に向けて準備したり、いつも以上に気合を入れて授業することで自分自身が成長できる」といった感じで、単純にメリットが多いです。デメリットを上げるなら、準備の時間が必要になることぐらいでしょうか。

 普通、自分の成長のためにはお金が必要になることが多いです。学校へ行ったり、コーチや家庭教師をつけたり、特別な体験をしたり。こういったことは年間数十万ぐらいかかることもざらに有ります。しかし、研究授業をして、指導と鞭撻をいただくのは無料です。指導と鞭撻をしてくれないような若手の先生が授業を見に来てくれる場合でも、授業後に感想を聞いたり、授業のあり方について議論したりすることで、結果的に自分自身にとっても大いにプラスの経験になります。

 このように、私は授業研究に取り憑かれた一種の変態教師です。しかし、本来ならば教育基本法にあるように、我々教員は正義を希求し、常に研究と修養に励まなければならない存在のはず。実は私は当たり前のことしかやっていません。当たり前のことを当たり前にするという人は、割と変態なレベルになってしまうというのが今の世の中のようです。

 話がやや外れたのですが、授業研究のために休日も研究を遊びの時間として利用する、そして教育基本法を忠実に守る私でさえ、空間を装飾することの重要性は授業研究に勝るとも劣らないものであると確信をもって言えます。制作にいかせる展示物や掲示物ならその大切さが分かるという人もいると思いますが、なぜ装飾?と思う人もいるかもしれません。しかし、美術室だからこそ空間の装飾にとことんこだわって、その価値を発揮するべきだと考えています。

 装飾の根本的な価値について私なりに分析してみました。私たちは装飾を以下のような目的でしているのではないでしょうか。

 1.空間を華やかな印象にする。

 2.装飾で楽しい雰囲気をつくる。

 3.来る人におもてなし感を出す。

 4.空間に関心をもってもらう。

 5.空間の見られたくないところを誤魔化す。

 以上のような感じだと思いますが、皆さんはどう思われるでしょうか。

 このような装飾の価値は、多くのお店をしている人に実感していただけるのではないでしょうか。お店にお客さんが来る価値はただ商品を買いに来るだけでなく、お店の空間を楽しみに来ている人も多いのではないでしょうか。そういった体験を売りにしているお店もたくさんあります。私はスターバックスをよく利用します。これはコーヒーが美味しいというのもあるのですが、それ以上にあの雰囲気に浸るのが大好きだからです。スターバックスのお洒落な落ち着いた雰囲気でコーヒーを飲みながら仕事や読書で時間を過ごす。これには一杯500円という高額なコーヒーの料金も気にならなくなります。素敵な数時間をたった500円で味わえる事実。ほぼ同額が相場のラーメンを楽しむ時間はせいぜい30分程度。スターバックスを娯楽と考えると実は大変リーズナブルだと言えます。また行きたいと心の底から思うことができます。それだけ空間の雰囲気を魅力的にすることが大切なのです。

 美術室は学校で一番美的価値を感じられる空間であるべきことは間違いのないことでしょう。そのために空間を華やかにし、楽しい雰囲気にして、利用する人の気持ちをポジティブにする、そして美術に関心をもってもらえるようにする。このようなことは当然の成り行きといったところです。ただ、このようなことが残念ながら行われていない美術室も多いという事実もあります。私がこれまでに赴任した学校の美術室は掃除と整理整頓から始まっています。あまりに雑然とした教室、ボロボロで色褪せた掲示物、少ない展示作品も画鋲を作品に直接挿している故に紙が破れて残念な状態になったもの…。このような環境で美術を学んでいて「美術は人生に役立つ」と生徒に伝えても何の説得力もありません。「絵なんて役に立たない」と反撃を喰らうだけです。もし、私がそんなことを生徒に言われたら、「美術とは絵を描くだけだと思うかな?美術室を見渡してごらん」「世の中のものの多くは美術が関係しているのに、美術=絵と考えているのは勿体無い」と言います。そういったことも狙って美術室を究極の状態に日々進化させています。全ては美術の価値に気がついてもらうためです

 私が美術室を装飾する目的は、1〜3の目的を踏まえた4つ目「空間に関心をもってもらう」ということと、5つ目の「空間の見られたくないところを誤魔化す」、そしてそれをさらに超えた目的があります。空間を華やかにしたり楽しくしたり、利用する人をおもてなしするといったことは大前提のようなものですし、それについては書かなくてもみんなよく分かっていることだと思うので説明を省略します。今回はまず「空間に関心をもってもらう」ことについて私の考えを書きます。

 華やかで楽しい装飾を美術室にすることで見る人に美術のパワーを感じてもらうことができます。これはすでに美術に関して興味がある人であれば、すぐに工夫の方法などを自己探究することにつながります。特にデザイン分野に興味がある人からの反応が非常に良いです。逆に、美術に関心がない人やただ絵を描くのが好きなだけという人の場合は、変化を忍耐強く待たなければいけないことも多いです。中学生の場合は1年以上かかったり、相当に興味のない場合は3年間無反応なこともあったりしますが、確実に言えることは美術への関心が失われていくような生徒は本当に稀だということです。私の都合の良い記憶ではそういう生徒はこれまでにいなかったと思います(笑)。

 掲示物や装飾で埋め尽くされた空間が意欲的な生徒の可能性をさらに伸ばすのは当然のことです。もともと意欲がある生徒の場合、後はこちら側が生徒の創造性を刺激するような教材と参考資料さえ準備して、少し気合の入った授業の導入をするだけでほぼ自動的に力を伸ばしていきますし、その中で惚れ惚れさせられる作品もかなりの確率で生まれます。その一方で、美術に関心のない生徒は最初のうちは悶々とした時間を過ごします。人間そんなにすぐに変わるものではありません。気だるさMAXのオーラが漂っているのは霊感のない私でもよく分かります。それぐらいに負のオーラは強烈です。

 そういった生徒にこそ指導の時間を割くことになります。本当のところは夢中になっている生徒の作業を見たい気持ちも山々ですが、そういった生徒の制作は授業中に1、2回程度魅力的な部分や工夫できているところを褒めるので十分です。大事なのは気だるさを振りまく美術に無関心な生徒に達成感を味わわせて、ポジティブな状態で美術に関われるように仕掛けをすることです。そのために装飾空間が役立ちます。

 美術に無関心な生徒はびっくりするぐらい美術室の装飾に気がついていません。美術を吸収するレディネスが培われていない状態だと、自分の力で魅力に気がつくことは想像以上に困難です。テクノロジーに大して無頓着な人がスマートフォンの魅力に何の反応も示さないのと同様です。価値あるものも認知されなければ何の意味もないのです。しかし、それに意識を向けて価値を味わえるようになると、一変するケースはよくあることです。新しいことに手を出すのは本能的にリスクがあると思って二の足を踏んだり、変化を嫌って恒常性に縛られてしまっている人でも、リスクがなくて便利、そして快適という確信がもてるなら自然と欲するようになります。美術室の装飾は当然ノーリスクですし、工夫された装飾からインスピレーションを得たり、参考にしたりすることも何かリスクがあるとは思えません。もしも私が「装飾をパクってはいけない!自分の中から出てくるものが全てなのだ!」なんていう超絶頑固一徹美術教師であれば、生徒も空間から得られるインスピレーションを頼ることにリスクを感じるでしょうが、そんなことには当然なりません。あの独創性にこだわるスティーブ・ジョブズでさえソニーの技術を参考にしたぐらいです。生かせるものは生かす。そうして文明は発展してきたのであれば、美術の授業もそうあるべきでしょう

 

 それでは具体的にどのような装飾ができるかお話しします。美術室の装飾は入り口から全力で行きます。このような装飾はヨーロッパの大聖堂や日本のお寺の入り口が大変荘厳な造りになっていることにヒントを得ました。扉の浮き彫りや入り口付近の彫刻は内側の世界へ訪問者をただならぬ心地にさせて誘い込みます。装飾で一番重要なのは内部のメインの場所ですが、入り口や玄関はその前座的な役割を果たします。ここにかなりの気合を入れて装飾し、生徒に「美術の世界にようこそ」という美術室からの挨拶をさせるわけです。

 美術室の内部は展示がメインであり、それを装飾的にまとめ上げるのが腕の見せどころでしょう。赴任した当初は展示するものがないため、数年間は展示の範囲を伸ばしながら、調整を図っていきます。天井にまで到達するぐらいの徹底ぶりがあっても良いでしょう。大聖堂などの神々しい装飾に比べたら、この程度のものは普通の人間技でしかありません。絶叫系が大好きな私は天井近くの装飾で椅子on机on机と3段重ねになった足場で一人スリルを味わって楽しい気持ちになってしまいますが、そのようなスリルは好みではないという場合は安全に背の届く範囲でも十分だと思います。どうせ天井の方は作品が霞んでよく見えません。そこに飾ってあるという事実重視で展示します。

 ここまで徹底して装飾をすると、美術を舐め腐っている生徒でも美術の偉大さについて少しは感じてくれます。しかし、私の真の目的は装飾から美術について生徒が学べるようにすることです。私が装飾に用いているものは一つ一つを見れば難しい要素はほとんどなく、印刷したもので構成しているのが大部分です。魅力的な要素を用いて少し構成美を利用すれば簡単に美しいものはできるのです。入り口の装飾を見て、「さすが美術の先生」なんてことを言われますが、「何も難しいことはしていませんよ」と返しています。基本的なことを用いて、行動するかしかないかです。肝心なのは行動力だと考えています。一旦印刷をしてしまえば後は楽なもの。気がついた時には装飾が完了していることでしょう。


 もちろん、手が込んだものを装飾するのも大切なことです。大事なことは装飾をいかに教育に生かすか。美術教育へのイシューがあれば自然と飾るべきものは湧いてきます。それは掲示物も同じです。

 次に「空間の見られたくないところを誤魔化す」についてお話しします。美術室を建設段階から全てプロデュースしたり、持ち家のように常にメンテナンスできていれば、見られたくない汚点はできませんが、古い建物だとどうしても色々と気になる箇所が出てきます。例えば天井のシミです。


 上の写真のように、天井にシミがあり、美術室として相応しくない見かけとなっている部分がありました。このような部分も装飾の力で以下のように変化します。

 文様を印刷して貼り付けることで、見栄えのする状態に変化します。ちなみに手前が和柄、見にくいですが、奥は北欧柄になっています。こうして文様を身近に感じ、タイプの違う柄を認識する機会を生むことにつなげられます

 見られたくない部分があるからこそ、それを逆手にとって思い切って装飾することができます。そういうマインドセットを生徒に伝えるのも大切なことだと私は考えています。嫌な部分をそのままにせず、解決方法があるのであれば迷わず実行。その積み重ねが美しい空間として進化していきます。マイナスをプラスに変える。これは美術に限ったことではなく、生きる力として伝えていきたいことです。

 最後に、装飾の目的1〜5を超えたものについてお話をして今回の記事を締めくくります。私が装飾を続ける真の目的と言っても過言ではありません。それは「美術室を生きた空間として進化させ続け、自分自身や子どもたちと一緒に変化していく」というものです。美術室の装飾に終わりはありません。どこまでも進化していきます。常に変化していくものは活き活きとしています。成長をやめてしまうことは衰退していくことと同じです。常に変化するという生きた状態が大切だと考えています。


 先日、美術室にインターネット環境改善のための工事が入りました。壁に少し取り付けるものがあったため、装飾物が業者の方によって移動させられていました。その状態は仕方がないことですが、明らかにバランスを失った装飾になってしまいました。しかし、これはむしろ装飾をよりよくするチャンスであると気がつくことができました。そして装飾を再調整。うまいことスペースに収まりました。また、この結果新たにスペースが生まれたので、この部分に別の掲示物や装飾を入れる予定ができました。こうして、生きる美術室は常に部屋の状態を最適化します。そんな美術室の姿を生徒にも感じてもらえたらと考えています。美術室での装飾の工夫に終わりはありません。死ぬまで成長を続ける生涯学習人間と一緒です。生徒の作品や取り組む内容とともに美術室が変化していれば、この空間により親近感も湧くと私は信じています。その結果、生徒が美術への関心をさらにもつことができるようになればとても嬉しいです。

 最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は装飾の工夫ということで、利用者に関心をもってもらうことや、汚いところを美しく変化させるという逆転の発想、生きた空間にするために大切なことについてお話しました。これらは美術室に限った話では全くないと思います。皆さんが普段使っている空間をより魅力的なものにすることに今回のお話が少しでも役立てば私は嬉しいです。

 次回は美術室の刺激的な空間づくり最終回ということで、「装飾に活かす視点」についてお話します。すでに装飾に関してお話してきましたが、最後はかなり具体的なお話と、あらゆるものに装飾の視点をもつための考え方について紹介させていただきます。また良かったら見てやってください。それではまた来週!

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