美術室の刺激的な空間づくり 第4回「装飾の視点」

  これまで3週に渡って美術室の刺激的な空間づくりについてお話してきました。今回の記事が連続投稿の最後になります。

 今回は「装飾の視点」がテーマ。少々哲学的な内容ではありますが、かなり汎用性の高い思考につながる内容になると思いますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。


 前回の記事で装飾をする目的についてお話しました。空間を楽しく華やかな印象にして、来る人におもてなし感を出したり、空間に関心をもってもらったり、汚いところを誤魔化したり、生きた空間として機能させたりといった目的があるということでした。こういった装飾を可能にするためには装飾に対する「視点」が必要になります。視点をもつというのはアイディアのきっかけを生むことになります。結局のところ、装飾に目を向ける、考える習慣をもつというのが一番大事なのではないかと思います。とてもシンプルなことです。逆に、視点がないと、視点をもっている人からすると驚くぐらい何も考えたり、行動したりしたことがないことに気がつくことが多々あります。それぐらいに視点というものは根本的に大切なことであり、その視点をもてるようにするポイントというのは、装飾だけでなく、さまざまなことにきっとつながることでしょう。

 装飾の視点をもつために大切なことを今回は3つ紹介します。それは「汚いところや機能的に問題のあるところを見つけたらとりあえずワンアクション起してみる」「適切な材料と出会う」「装飾の美しい場に足を運ぶ」です。

汚いところや機能的に問題のあるところを見つけたらとりあえずワンアクション起してみる 

汚いと感じるところを見つけるのはおそらく誰でも簡単にできることでしょう。その汚さがちょっとしたものであれば、何の問題もなく対処することができるかもしれません。しかし、汚さの規模が大きいと、どこから手をつけて良いのかわからなかったり、作業の面倒くささに対するイメージが先行して行動が起こせなくなるのではないでしょうか。規模が大きくなった分だけ当然感じる負担は大きくなりますし、やらなくても生きていける状況なら、そういう負担から人間は逃避したくなるように本能的に感じるものです。強力な汚点に立ち向かうのは紛れもな大きな挑戦になります。挑戦という言葉は現代では非常に素敵な言葉として存在しますが、命を重んじる自然界では挑戦は必要最低限に行われるものでした。その遠い過去から引きずる遺伝子が私たちの行動意欲を芽生えなくさせます。挑戦しようと思っても腰が重く感じ、次第に動かないことに楽を感じてしまうのが残念な人間の性なわけです。

 しかし、このような状況では本能に支配された不自由人間のままです。自由な人間として自律的に生きるためには、現代には不合理な本能をコントロールすることが大切になります。しかし、本能をコントロールするために「意識」の力を当てにしてはきっとなかなか成果は出せないことでしょう。人間の意識ほど当てにならないものはありません。意識が効果を発揮するのは一時的なものであり、三日坊主どころか一日意識することさえ困難なことが多いです。そんなことはみなさんよくご存知だと思います。そういう私も昔は意識を高くもってやろうとしたことが沢山ありましたが、ご飯を食べたら忘れるぐらいの勢いで頻繁に意識不明になっていました。

 やりたいことがあるのに本能に支配される。そんな戦いに終止符を打つ方法を数々の経験を経てようやく最近確信がもてるようになってきました。それは「とりあえずワンアクション起こす」ということです。できればこのワンアクションで引き返せない状況になるのが理想的です。今回のテーマの一つである「汚いところや機能的に問題のあるところ」に関して言うと、実際に手を加えて変化を起こし、早く仕上げてしまわないと周りから突っ込まれ続ける状況を作り出します。

 例えば、私が今年から赴任した中学校の美術室には古い木製のパネルが沢山あり、それが無駄に教室に積み重なった状態でありました。これを有効活用して棚の上のスペースを広げていたのですが、このパネルがとにかく汚かったので、美術室には不適切なものとして私の目には映っていました。それでも機能性の向上は確かだったことと、部屋の改善で優先するべき場所が沢山あったことにより、パネルを放置し続けていました。しかし、そのままにしたくないという思いは常にあったので、このパネルに色を塗ることにしました。

 美術室に存在する様々な形を用いて暖色系と寒色系の色面構成にするアイディアスケッチをまず描きました。できればパネルにいきなり色を塗りたかったところですが、色面構成というデザイン分野は、その性質上ある程度の計画性が必要です。しかし、丁寧にスケッチする必要はなく、このようにワンアクションして何となくでも完成のイメージが湧くようにすれば安心感を得られます。安心感があると挑戦を心置き無くすることができるようになるため、その後の作業がスムーズになります。もうこのときにはワクワクしてドーパミン中毒になっていることでしょう。

 しかし、実際にパネルに着彩する段階になると、パネルが大きくて着彩が面倒に思われるかもしれません。面倒と思ったら即後戻りのできない状況をつくり出すことをお勧めします。

 このようにガッツリ塗り始めたらもう引き返せません。そのまま一刻も早く終わらさないと、生徒から「何これー!?」とツッコミを入れられます。それはそれで「これから進化させていくんやでぇ」と言って進化していく様子に期待させても、1週間に1回しかない美術の授業ではそんな悠長なこと言っていられません。速攻で仕上げて「いつの間に!?」と思わせる方が価値があると思います。

 というわけで、この作業は土日で終わらせました。これまで見る価値の無かったものがデザインされた色面となり、暖色や寒色と構成美について学べる台になりました。汚いところや機能的に問題があるというマイナスの部分はプラスの価値あるものに反転させやすいです。既に問題があるのであれば、割と安心して手を加えることができます。たとえ失敗したとしても大した被害はありませんし、少なくとも最初よりは良くなることがほとんどでしょう。ゴミと呼べるものに手を加えて失敗したのであれば、そのままゴミとして処分するだけです。そのような場合でも、ゴミが片付いて格段に部屋の状態は改善します。問題に対処する際、自分は無敵だと思って行動すれば良いのです。そのためには「失敗してもまぁいいか」ぐらいの遊びの思考が大切になります。この思考があれば、簡単にワンアクションを起こすことができることでしょう。

 上の写真は準備室の入り口の様子です。準備室が外から丸見えではいけないので、窓の部分をポップアートを参考にした色面構成で飾りました。この窓は私が来た時は白い模造紙が貼られている状態で、とりあえず部屋の中が見えない状態にした、やっつけ感MAXの処理がされていました。模造紙は日焼けして黄ばみに黄ばみ、一見しただけではまずもって美術に関する部屋だとは思えない状態でした。

 この窓の装飾をするにあたってのワンアクションは至ってシンプルです。「みんなが知っているモチーフの色を変化させて印刷する」。こんなことは15分で可能です。印刷さえすれば、後は紙を貼りあわせるだけで、トータルで1時間もかかりません。「そんなこと言うけど、色を選択するのが難しい!」と言う人もいるかもしれませんが、基本的な配色パターンは決まっています。グラデーションにするか、2〜3色の組み合わせにするか、同系色でまとめるかです。グラデーションや同系色であれば、特別な知識なんてほとんど要りません。シンプルに考えてすぐ行動。気がついたときには素敵なものになっています


適切な材料と出会う

 工夫した装飾や展示を実現するにはそれを可能にする適切な材料が必要です。その一番手っ取り早い方法は超ありきたりな方法から言うとホームセンターや100均に行くことです。しかし、それだけでは普通すぎるので散歩することをお勧めします。これらのお店に行った際に、目的としている商品を手にしてから5分だけでも良いので店内をぶらぶらと散歩します。そうすると、自分にとって必要な材料がふと目に入ります。この素敵な出会いさえあれば気がついたときには精算完了しています。特にこれまで沢山購入してきたのは木材やワイヤーネットといったものです。ワイヤーネットなんかは意図度に数十枚というレベルで買ってきたので、100均の棚から商品を消滅させてしまうことは私が教師を始めてから10年間で度々ありました。

 必要なものを購入するというのも結局のところワンアクション起しているわけです。お金に余裕があるのであれば迷わず購入で良いと思います。変にケチって我慢してしまうと、結局何もできていない時間が過ぎていきます。せっかく教育的に、または社会的に価値あることを思いついても、行動しなければ意味がないですし、そういった経験は自分自身の可能性を広げる自己投資にもなります。公務員である自分がこんなこと言うと「そんなことしても給料は変わらへんやんから、お金もったいないやん」なんてこと言われることもあります。しかし、部屋を装飾したり、物事を改善したりすることは趣味なので、楽しみのためにお金を使うことは何も問題ではありません。その上、このような経験を通して自分が成長したり、子どもが成長したりすることで、自分のところに色んな仕事が入ってきます。過去には美容室の店内装飾をお手伝いさせていただいたり、コミュニティーセンターで講師を務めさせていただいたり、普通の教員生活ではまず得ることができなかった機会が沢山ありました。実績を積み重ねていくと、公務員といえどもなんだかんだボーナスに上乗せがあり、報酬にも少しばかり影響が出てきます。

 装飾するのにお金を使うのはためらわれると言うのであれば、物置の整理整頓をするのでも良いと思います。今年の4月の段階では美術室と準備室はゴミの山でしたが、整理整頓しているうちに装飾の材料として使えるものが沢山発掘されました。それらをただただ安置しているだけでは整理されたゴミでしかありませんが、こういうものはすぐに使えるところに活用します。

 例えば、これらの竹はただあっても何の役にも立たないゴミですが、これらのサイズが見事に棚と天井の隙間にフィットしました。ここに竹を差し込んで、吊るすタイプの作品をセットすることができました。棚と天井に隙間があるというのは建て付けのものとしては本当に偶然というか、ただの欠陥とも捉えられる状態ですが、この問題点に気がつけたのも、竹という素材と出会ったからこそ生まれた問題意識でした。適切な材料と出会うための行動がそんな問題意識にもつながると私は思います。是非店内散歩と物置の整理整頓で素敵な素材との出会いをしてみてください。


装飾の美しい場に足を運ぶ

 装飾の視点をもつために大切なこと3つ目は「装飾の美しい場に足を運ぶ」ということです。これに関しては海外の大聖堂や宮殿が大変参考になります。システィーナ礼拝堂やサン・ピエトロ大聖堂、フィレンツェ歴史地区については以前の記事でもお話しましたが、あのような究極の美に触れると、日常の色んな部分の至らなさがコントラストを強烈に帯びて浮かび上がってきます。後はやれるところから一つずつ着手するだけです。

 展示が本業である美術館も勿論参考になるものが沢山あります。フィレンツェのウフィツィ美術館や日本の大原美術館などは作品と空間の調和が見事で、よくある回覧展のような、作品が連れてこられました感が全くありません。明確なコンセプトが空間にあって、作品がその中で大変居心地良さそうに存在している印象を受けます。倉敷を活動の拠点にしている私としては大原美術館がこの街にあるのは本当に誇らしいことであると感じています。50万人にも満たない県庁所在地でもない一地方都市にこんな素晴らしい美術館が存在するのは、強烈な美術へのこだわりが大原孫三郎にあったからこそだと思います。

 強烈なこだわりは誰もやろうとしなかったことを成し遂げます。よく「こだわり」という言葉を用いると、発達障がいを思わせるからよくないということを言われます。こんな話は実につまらないと私は思います。そのような連想をするのは個人の判断でしかありません。そもそも発達障がいの何が悪いのか分かりませんが。スティーブ・ジョブズやエジソン、ピカソといった偉業を成し遂げた人たちはみんな周りから何と言われようと自分自身の「こだわり」を大切にして命を燃やしてきました。そういった美しさに触れることは自分の視野を大きく広げてくれます。行動するエネルギーをもらえます。本物の美しさに触れる機会が沢山ある人ほど、それを生かして行動し、やがてそれがその人にしかやっていないとんでもない域に達するものであると思います。

 装飾をするというのは非常に身近なことだと思います。自分の家を装飾したり、美しくしたり、シンプルな機能美ある空間にしたり、その人の人生観を反映していると私は思います。そして、お店や教室など他者との共有空間を管理しているのであれば、それをより良いものにして行こうとする日々の積み重ね、ほんのワンアクションからでも良いので試してみて欲しいと思います。その習慣から全てが始まると思います。美との出会いは無限に広がります。

 以上3つの「装飾の視点」をもつために私が大事だと思うことについてでした。どれにも共通して言えることは実際に自分で行動しないと視点は得られないということです。ただ人から聞くだけでは知ったつもりになるだけで、何も形を生むことにはつながらないと思います。しかし、逆のことを言うと、簡単なことでも良いので少しでも装飾を前提とした行動を起こすと、確実に変化が起き始めます。後はそれを楽しむだけだと私は考えています。


最後に「遊び」について

 装飾は遊びのようなものだと私は考えています。究極的には装飾の視点は遊び心に集約されるものであると私は思います。私は遊びがあるからこそこの世は発展し、人々の幸福も実現されるという信念をもっています。美術の授業をする際にも常に遊びの視点は外せません。学校での学びは人生をより遊ぶための「おもちゃ」の仕組みを学ぶことだと考えています。

 昔、私が病気になるぐらいハマったドラクエ3は本当によくできたゲームでした。ドラクエ3ではメンバーの職業を決めることができます。勇者、戦士、僧侶、魔法使い。これらは最も基本的でバランスの良いパーティーと言われています。そんな職業の中で最も使えないのが遊び人です。この職業、最初はそこそこ使えるのですが、レベルが上がるにつれて使い物にならないくらい戦闘中に遊び呆けるようになります。そんなお荷物の遊び人もレベル20を越して一人前になると、賢者という魔法使い、僧侶、戦士の良さを総取りした最強の職業に転職できます。昔はプレーヤーが遊び人を我慢して使ったご褒美として最強の職業に転職できるぐらいにしか考えていませんでしたが、もしも遊びの大切さを訴えるつもりで制作されていたのだとしたらこれを考えた人は本当に天才だと思います。

 最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は「装飾の視点」についてお話させていただきました。この記事を読んで少しでも身近なところから装飾で遊んでみようと思われる方がいたら嬉しいです。次回はリサイクル実践法について紹介します。たまには部活動にも関連させたものにしてみようかと思います。それではまた来週!

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