廃棄する前に最適化につなげてみる

  前回の廃棄物をリサイクルして汚部屋を改善する記事の続きになります。

 廃棄物をためないに越したことはありません。しかし、無闇に捨ててしまうと、本来なら「財産」として利用可能なものを失うことになるかもしれません。例えば、日本には風光明媚な地域がありますが、これをただ「古い」とか、安易に利用価値がないと判断して破壊してしまうと、もうそれは取り返しがつかないことになってしまいます。

 現存する姫路城は世界遺産として現代でもその価値を放ち続けています。しかし、多くの城が明治時代に廃城となって取り壊された後、昭和や平成になって再建されましたが、その価値は比較できるレベルにはなりません。個人的には大阪城の外観は好きですし、地元の福知山城も大好きです。しかし、これらの城は遺産としての価値が非常に低いことも事実でしょう。現代化した城の内部は博物館としての機能は優秀です。しかし、城に足を運ぶ本来の目的は、「城そのもの」の生きた歴史であり、空間の質感なのではないかと思います。城を見てロマンに浸るという「経験」を味わいに行っているわけであり、知識を獲得したり、城に行ったことがあるという事実獲得だけでは、「城そのもの」を味わった価値には到底及ばないと私は考えています。知識の獲得なら本やインターネット、動画という優れたツールに溢れている現代なので。これはあくまで私の考えですが。このような考え方はローマのフォロ・ロマーノに行ったときに確信しました。フォロ・ロマーノは古代遺跡であり、王宮の残骸のようなものです。崩れた建物、そこらへんの石と同じ様な扱いとなっている彫刻、そんな物が古代ローマのイメージを掻き立ててくれます。まさにロマンという経験を存分に味わわせてくれるわけです。

 古代遺跡だけでなく、フィレンツェや京都、現在私が活動の拠点としている倉敷もそうですが、昔からあるものを利用することで、その地域の特色を強く打ち出した魅力が出ます。「これは使える!」と心ときめくようなものはすぐに活用方法を考え、どうしても活用できそうにないものは思い切って捨てる。そうすることで、街にしろ、部屋にしろ、頭の中にしろ価値ある状態にして行けるのではないかと思います。



 大変前置きが長くなってしまいましたが、私が1学期に美術準備室で行った廃棄物の最適化についてです。上の写真に載っている大きな絵。おそらく10年以上前に美術部が制作したものだと思います。この絵は折り畳まれた状態で準備室の棚の奥に眠っていました。

 とても大きな絵で、昔の生徒が明らかに頑張って制作したものとなれば、処分するにも心が痛みます。部屋の荷物を一旦全て出して、次々に廃棄を出していた私でも、作業が一時停止しました。捨てたいけど捨てられない。情に流されやすい私です…。見ず知らずの生徒の作品でも特に頑張った痕跡というものには残す価値を感じてしまいます。

 そう言っていても作業は進まないので、部屋の整理を進めているうちに、美術の神が降ってきて案が浮かびました。実は写真では分かりませんが、この絵は棚の大きなスペースを塞いでします。そのスペースには版画のプレス機などが沢山保管されています。一応、ゴミ袋でプレス機をカバーして埃対策はしていますが、形状的に棚に埃が溜まりやすいため、そのスペースのカバーをどうにかしてできないものかと考えるに至りました。

 そこで救世主となったのが、この絵でした。この絵はダンボールが蛇腹折りになるつなぎ方がされており、棚からものを取り出す際に、棚の端の方であれば無駄に絵を動かす必要がありません。段ボール上部に強力な磁石を貼り付け、棚の淵の部分に鉄製のもの(画鋲など)を貼り付けることで、普段はスペースを完全にカバーするようにしました。

 この絵のサイズと棚のスペースが完全に一致していたわけではなかったので、棚のスペースに合わせて絵を切り取りました。ジャストサイズなら申し分ないですが、そこは妥協点です。ただ、この絵がただのゴミになるところだったことを考えると、かなり役に立つ存在にできたのではないかと思います。たまに準備室を覗く生徒がいますが、やはりこの絵には目が行くようで、そこから会話に発展することもあります。その際には美術的な価値のあるコミュニケーションが生徒とできていると私は感じます。

 次は廃棄物ではありませんが、用いられていなかった物を最適化したことについて書きます。下の棚、これは美術室の黒板横にある物ですが、凄まじく汚物としての存在感を放っていました。この写真は一通り掃除をした後なので、実はマシな状態です(笑)最初はガムテープで扉が固定され、張り紙が貼り付けられていました。そこには「この扉を開けてはならない。開けてしまうと…」なんていう、もはやこの場所が美術室であることを忘れてしまうような文章が書かれていました。こんなものが常に生徒の目に入る場所に当然のように存在し続けていたことに愕然としました。この学校の生徒はこの空間で強靭なメンタルを美術の時間に培っていたのかもしれません。しかし、そんな力の育成は学習指導要領に記載されていないので、この棚を最適化することにしました。

 まず、棚の修理をして、まともに扉が開け閉めできる状態にし、木が剥がれているところや穴が空いているところは粘土で埋めました。完全にはきれいな形になっていませんが、それの方がむしろ過去を物語っている感があるということにします。世界遺産も少し痛んでいる方がそれっぽいのと一緒ということで。

 色に関してはかなり派手な感じにしました。おそらくこの配色に関しては賛否があると思いますが、教室で目立つ存在になったのは間違い無いでしょう。ただ、この色を塗ってから違う色にしてもっと教室に馴染む感じにしてもよかったと少々反省もしています。まあ、棚がやたらに目立つのも配色の効果であると、生徒に実感させやすいので、これも良い教材としてきっと役に立ってくれることでしょう。

 この棚は現在フル活用しており、授業プリントの保管場所として活躍しています。絶望的に汚く、使えない状態だったものが価値を発揮するようになること。この様に、何かマイナスであることをプラスに変えることが最適化への大きな一歩になると思います。そして、その行動は決して難しいものではなく、とりあえずやってみるという適当さが鍵になります。絵を切り取ってサイズを合わしたり、棚を修理して色を塗るなんていうことは誰にでもできることです。自分にはできるという「自信」が最適化をはかる行動には欠かせません

 今回、タイトルで最適化という言葉を用いていますが、この言葉はコンピュータなど、事前にプログラムされたものの範囲で無駄をなくすことで「最適化」という概念につなげているのは周知の通りです。ただ、私たちの住む世界では最適化というのはおそらく永遠に達成されるものではないと思います。テクノロジーはかつてないスピードで進化している世の中です。今の最適は次の瞬間には最適ではなく過去のベストになってしまいます。最適化という言葉にはその様な本質も潜んでいると私は思います。そのことを忘れず、常に最適化をはかって行きたいものですし、プラスに変えるべきマイナスのものを発見していきたいと思います。これは「感性」の問題と言えるでしょう。普段の生活で「!?」と思えるかどうかなので。そのためにはそういう習慣をもち、その習慣で楽しむことを大切にしたいものです。

 身のまわりには沢山の「財産」としての価値を秘めた廃棄物候補があると思います。廃棄する前に、何かできないかと考え、そこから行動に移せる確率が高くなると、無駄な消費を抑えるだけでなく、こんまりこと近藤麻理恵さんの言うように、身のまわりを「ときめく」物にして生活することが可能になると思います。もちろん無駄に廃棄物を残すことはおすすめできませんが、直ぐに活用できたり、活用期限が明確に決められるような物であれば、是非廃棄物という「財産」でクリエイトしてみてほしいと思います。下の棚の窓も美術室の廃棄物候補でしたが、これは美術展の展示ケースにリサイクルしようと思います。それができた時にはまたブログにアップしますので、その時を楽しみにしていただけると幸いです。


 最後まで読んでくださってありがとうございました。整理整頓から始まった廃棄物シリーズはいかがだったでしょうか。何かアドバイスやためになったという意見があればコメントくださるとありがたいです。次回は私がそもそも美術の道に進むことになったきっかけについてブログを書く予定です。私自身のことではありますが、現代教育や社会のイシューにつながる視点で文章を書くつもりなので、興味をもたれた方はまた来週の記事を読んでもらえたら嬉しいです。 

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