美術との本当の出会い 後編:記号論が全てを変えた
前回の「美術との本当の出会い 前編」では、計画性ゼロで狂気の沙汰としか思えないような選択と行動を繰り返しながらも、なんとか結果的に納得のいく人生を歩み、社会人になるまで1年を切った大学4回生のときに、たまたまピカソのキュビスムという表現方法について知り、美術の真の価値について考えるようになり、母校の高校での英語教師としての教育実習中に日本の美術教育の課題を感じたことから美術教師を目指すというところまでのお話をしました。今回の後編では、大学院で研究し、美術教師として働き始めて、ついに美術と本当に出会うことができた経験について書かせていただきます。
6月の教育実習終了後、美術について本格的に学び始めた私は大学院入試に向けてほぼ独学で勉強を始めます。前期に少しは美術の授業を受けてはいましたが、暇つぶし程度しか履修していなかったこともあり、美術の教授とはあまり関わりをもてている訳でもありませんでした。なので、当時は何から勉強するべきか分からず、とりあえず図書館にあった実技書を読んだり、絵を描いたりして教養を身につけていました。その結果、大学院の入試は見事合格しました。しかし、これは「独学でも芸術は大丈夫!!」という訳ではなく、教育学部からの内部受験だったからこそ大学院に入れたという確信があります(笑)。当時の私の技術は学部受験でさえ間違いなく落ちるであろうレベルでした。
そんな私も4回生の後期からは美術の授業をたくさん履修し、1回生や2回生と一緒にデッサンや彫刻の授業を受けました。授業を受け始めの頃は歳上の自分が他の学生に技術面で負けてはいけないと考え、特にデッサンなどでは執念で描いていました。当時は「自分の見えている状態をデッサン・スケールで見たようにデータ化し、明暗を写し取れば素人の自分でも、長年素描を経験してきた美大生にも遜色ないデッサンが描けるはず」なんてことをマジで考えていました。そうして私は他の学生が一つのモチーフのデッサンに費やす時間の何倍も時間をかけてデッサンに取り組みました。結果的にそこそこリアルな絵に到達するのですが、後に私が大学院で師事する大嶋彰先生がそのデッサンを見たとき、「達脇くんのデッサンは技術的にはまだこれからという感じだけど、とんでもない執念で描き上げるから、その執念によって独特の雰囲気が出てるんだよねぇ」と言われたのを覚えています。その時は「独特の雰囲気て(笑)。リアルに描けてるねぇとか言ってくれへんのかい!」なんていう素人な感じ方をしていましたが、今思うと、大嶋先生はかなり考えてこの言葉を使われたのだと思います。上手に描けていることよりも、執念深い独特の雰囲気が出ていることに価値を置いた先生の視点は、私が美術を子どもたちに教える際のキーポイントであり続けています。「執念を燃やせば、素人でも価値をつくり出すことができる。」この考えは私自身がアウトサイダー・アートを理解する際に役立っただけではありません。世の中の発明の多くが、「なんとしてでもつくりたい!」という、ある人の執念から生み出されていることを考えると、全ての人に役立つ考えであり、美術教育の大切な側面でもあると私は思います。
執念があれば、たとえ大きな成功が最終的にできなかったとしても、小さな成功や貴重な経験を積むことができ、それらが次のステップで必ず役に立つことでしょう。私が座右の銘にしている「Love & Peace」なんていう考え方は、大学時代にはまったバンド活動を通して培われたものです。この精神が強烈に自分を教育者として動かしているという自負があります。この信念と、「Go Crazy」という美術を研究し始めてからもつようになった座右の銘が今ではミックスされ、私はかなり特異な人間になってしまったようです。私としては真剣に大事なことだと思って言動をしているつもりが、周りから見ると変わった行動に見られることが多々あります。でも、時間が経つと「最初は達脇先生って完全にふざけた人だと思ってましたが、実はやる価値のあることをメチャ真剣にやっているだけなんですね(笑)」という感じで、決して私が怪しい人間ではないことを理解してくれることが多いです。なので、最近はやるべきだと思ったことは自信をもってすぐに行動するようにしています。もちろん失敗もありますが、それを修正していくと成果が得られるのは早いと実感しています。少なくとも、何も行動に移さないよりも遥かに生産的な時間が得られます。
大学での授業や先生との出会いから、少しずつ美術について勉強することができるようになり、いよいよ大学院での研究が始まる直前の3月、高校のクラスメイトと飲み会をしました。この時に4月からは大学院で美術を学び美術教師を目指すことを話すと、やはり一様に驚かれました(笑)「英語やなかったん?」「理系から文転するとかいうレベルじゃない(苦笑)」「大丈夫なん?働けるん?まぁたっちゃんにはベーカリー(実家のパン屋)があるか(笑)」そんなことを言われました。逆の立場なら私もそのような類のことを言うでしょう。そして、なんとその飲み会の場には高1の面談で私に「この学校のお前がいるコースは学力で国立進学を目指すコースだ。美術を目指すような場ではない。」と、将来のことを真剣に考えるように諭し、高1から3年間ずっと担任だった先生も来てくださっていました。私は自分の進路について何と言われるのか、ちょっとスリルを感じていましたが、「美術を目指すんか!まぁ採用が難しい教科やけど頑張れよ!」と、応援してくれました(笑)「アホかお前は!またまた訳わからんことしとるわ!」ぐらいの勢いで久しぶりにクラスメイトの前で叱られるのもネタになるかなと思っていたので少し拍子抜けしましたが(笑)。今となっては、この担任の先生との出会いがあったからこそ、最高のタイミングで美術と出会えたのだと思います。当時は色々と不満もありましたが、結果的に私の人生で大事なパートを担当している先生です。
大学院での勉強が始まり、私は絵画専門の大嶋先生のゼミに入るべく、授業を受けるようになります。大嶋先生は現代絵画が専門で、彼の部屋にはよく分からない抽象絵画がありました。最初はなぜそんな絵を描かれているのか本当に理解不能でしたが、当然のことながら、大嶋先生は絵画の基本的なことにバッチリ精通しておられ、デッサンだけでなく、水彩画のトレーニングでも大変お世話になりました。美術を勉強し始めて数年で美術の教員採用試験に合格できたのは間違いなく熱心な指導をしてくださった大嶋先生のおかげです。そんな偉大な先生の作品が最初は理解できず、私は「きっと昔から偉大なキャリアがあって、その評価の延長で奇抜な抽象画をされているのだろう」と、それぐらいの考え方をしていたぐらいです。しかし、この考えは大学院1回生の前期の段階で完全に消え去ります。それは記号論という言語哲学との出会いでした。
大嶋先生の授業を受け始めて最初に見た2枚の絵が記号論の導入になりました。その2枚の絵というのは、写真の概念が絵画に影響する前と後の作品でした。前者は写実主義であるミレーの作品、後者は申し訳ありませんが、誰の作品かは忘れてしまいましたが、写真が普及した後の作品で、どちらも普通の風俗画でした。よく誤解されますが、写実主義というのは写真のようにリアルという意味ではなく、人々の実際の生活をあるがままに画家がとらえ、それを写実的に表した作品を示します。代表的な画家にクールベやドーミエなども挙げられます。結局、画家があるがままにとらえる訳なので、そこには画家の主観が強烈に反映されるため、ミレーの作品に登場する農夫の手は異様なまでに強調されて大きく描かれていますし、表現の節々に画家の主観が見られます。それに対して私が名前も忘れてしまった後者の、写真の影響を受けた画家の絵はまるで写真を撮影して、それをベースにして色が塗られているような作品でした。前者は作品の中で生き生きとドラマが現在進行形で流れているような状態に対して、後者は完全に切り取られたワンシーンにしか見えない作品だと感じました。これらの絵から大嶋先生が言いたかったことは「写真という概念を知ってしまうと、人間のものの捉え方は変化してしまう」ということでした。画家の表現がそんな一つの概念によって支配されてしまうということを表す例だったのです。
絵に対してそんな見え方の違いがあることを考えたこともなかった私は、この後にくる話がとんでもない内容であると確信しました。そして「言語と無意識」という丸山圭三郎が著した本の内容にある「記号論」という話が始まりました。この本の内容は大変興味深いもので、熱く紹介したいのですが、今回は既に内容が盛り沢山になること確定なので、気になる方は今すぐアマゾンでポチって下さい。後悔はさせない自信があります(笑)。後悔した場合は私にメルカリで送り付けてください。送料から負担します。冗談です。しかし、それぐらいマジで凄い内容でした。
無駄話で脱線しましたが、間違いなく私の人生を変えた一冊が「言語と無意識」です。これはもう私のバイブルなので、職場に片時も離さず置いているぐらいです。これは本当です。この本の内容を超簡単に説明すると、言語には記号のように既存のものに名前を付けて、他者と共有可能な概念にする部分と、記号化することが困難であるものの、意味として価値を放つ感性のような部分があり、その相互の複雑な関係が言語の世界をつくり、人々は意味や価値を経験しているだけでなく、言語が自律的にその世界を拡大していくというものです。おそらく、この記号論と出会わなければ、美術の奥深さや、教育の意義について考えることもなかったでしょう。
ここから記号論に絡めて美術の話に入っていきます。私の美術との本当の出会いはまさにここからです。ピカソのキュビスムは美術について興味をもつ強烈な動機になりましたが、あくまでキュビスムは一つの表現方法であり、美術の一つの内容でしかありません。しかし、記号論は大変普遍性のあるものです。この記号論の観点から美術について考え、美術という記号を一旦分解し、社会のあらゆる現象とミックスしてとらえ直すことで、美術の姿が少しずつ見えてきました。そしてそれは美の哲学である美学との出会いを必然的なものにしました。これこそ美術との本当の出会いになったのです。
私は、記号論と出会うまで、美術には一応の「正解」があり、それは記号のように誰もが共有できるような概念をもったものであると考えていました。個性的な配色にもやはり決まった正解パターンがあり、それを意識的、または無意識的に経験してきた人たちが共感して「美」を認識しているものだと信じていたのです。しかし、かつてデュシャンが「泉」という便器を作品として発表したように、誰も見たことないものや考えたことがないものに「美」の概念が認識されるようになることを知ったとき、私は美術が言語と同じく、無限の可能性をもった存在であると直感しました。美術は新しさを常に求めます。そんな既存の概念を超えることを自己目的的な意義としてもっている美術は、むしろ言語以上に強烈な意味の世界、いや、むしろ無限に広がる宇宙のようなものであり、これから一層複雑になっていく世界を歩むことになる子どもたちが、たくましく生きていく上で美術教育が欠かせないものであると確信しました。もはやこのときには「美術教育の課題をなんとかしたい」という教育実習中に感じた人生の決断を超えて、美術教育が日本だけでなく、世界的にも熱い存在にする活動に人生を捧げたいと思うようになってしまいました。
美術との本当の出会いは私の作品を学部時代からの3年間で大きく変化させました。共通するコンセプトはあったのですが、そのコンセプトの表現方法がハイペースで更新されました。滋賀大学には「滋賀大展」という卒業展も兼ねた、美術教育コースの学生が企画運営する展覧会があり、これに私も4回生の時から3回作品を出品しました。
4回生の時に制作した作品が「侵食」という滋賀大学経済学部の講堂をモチーフに描いた作品です。これは「普段見ている当たり前の色の世界も、他の生物が見ると違った色に見えているし、様々な色が世界に滲み出てきたら素敵。しかし、いくら色が変化したとしても、目の前にある世界は物質的に変化しているわけではなく、物質は認識できる。」そのように思って描いた作品です。
二つ目が「時の流れ」です。これは大学院1回生の時に描きました。「時間の流れとともに記憶は色を失い、形も曖昧になっていく。しかし、どれだけ形が周囲に溶けるぐらいに曖昧になったとしても、現在の自分のイメージがその形を記号化し、形を見失わない。」そんな感じの作品です。4回生の時の作品も、大学院1回生の時の作品も「変化と恒常」というコンセプトを作品の中に入れていました。
ここまでの作品は写実性を用いて再現しているのが分かると思います。美術を学び始めたのが遅かったことをカバーすべく、鼻息荒く一生懸命に描いていたので、決してこれらの作品が悪いわけではないと今でも思います。しかし、一言で表現するなら「フォルムの奴隷」であったことは間違いありません。何も疑わずに誰かが用意した四角いキャンパスに、形と色に囚われたイメージを描きたくっていました(笑)
そして大学院を修了する2回生で制作した作品が「re-member」という5枚の板を構成した作品です。抽象絵画を意味不明と考えていた私が最後に描いた作品は完全な抽象画ではありませんが、非常に抽象度の高い色と形の集まりになりました。
この作品は大学から大学院までの6年間のイメージを分野別「地元、旅行、音楽、滋賀大、アルバイト」で描きました。これを一つにまとめて構成することで自分の記憶はつくられているということを表現しました。記憶は極めて曖昧なもので、それを普段見ている世界のように描こうとした瞬間から自分のイメージというよりは一般化された形や色で表現してしまいます。それゆえに、記憶のなるべく純粋な部分だけで描き、一般化されない状態で画面に色と形に移し、そのイメージの集合体に合わせて画面を切り抜くという表現方法を選択しました。
最終的にこのような作品を制作しようと考えるに至ったのは記号論による考え方の大転換がきっかけでした。その後、私が大学院で研究した「遊び」の構造を掴む上で大いに助けとなった現象学という哲学や美学、心理学といった美術という現象の周りをうごめいている様々な学問が私の美術へのイメージを2年半という短い時間で更新し続けてくれました。
今回と前回の記事が「美術との本当の出会い」というタイトルではありますが、厳密にはまだまだ美術は本当の姿を私に新しく見せてくれると思います。美術教師として働いていると、子どもたちの表現から毎日新しい美術の一端に触れることができるという実感があるからです。はっきり言って美術の授業がある日で感動のない日は全くありません。常に新しい美術との出会いがあるからこそ感動し続けることができるのだと思います。そういった感動を大切にしている限り、私の中での美術の世界は拡大していくことと思います。
本でも出版するのかという勢いで記事を書いてしまいました(笑)。ここまで読んでくださった方には大変感謝します。美術との出会いを前回と今回で語り尽くせたかというと、その1%も語れていないという感じですが、今後の記事で少しずつ語っていけたらと思います。次回は旅が人生を変えることをテーマに記事を書く予定です。またよろしければ見てやってください。
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