旅は人生を変える 第2回 フィレンツェ
前回から始めた旅シリーズ。スリルのある旅は充実感と成長、そして人生を変えるきっかけになることについて前回はお話ししました。これからは、私が実際に一人で海外旅行に行ったときに経験したことや学べたこと、世界観が変わったことなど、その後の人生に大きな影響があったことについて記事を書いていきます。
今回は私にとって初めての海外経験であったフィレンツェへの旅行についてです。大学院修了直前の2011年3月、私は24歳での初海外でした。記事のテーマは「リアライゼーション」と「芸術と場」の二つ。本当は一つにしたかったのですが、初めての海外旅行ということで、あまりに学ぶことが多く、一つにまとめることが困難だったので分けました。
「旅は人生を変える」なんていうタイトルですが、私の人生を変える一番インパクトのある旅は紛れもなく最初のフィレンツェ旅行でした。そこで気がつけたこと、現実化したことは単独旅行の醍醐味であると発見し、それから海外に一人で行くことに何のためらいもなくなりました。それぐらい強烈な魅力を私に提供してくれたのです。このことを今回の内容のテーマにするには日本語ではなかなかマッチするものがなかったので、「realization(リアライゼーション)」という、「気付き、現実化」と言った意味をもつ言葉を選択しました。色々なことが自分の中でリアルなものとして受け止められるようになったのです。今回はまず「リアライゼーション」について私の考えたことをお話しします。
それまでに飛行機に乗ったこともなかった私です。関西国際空港に着いた時から分からないことだらけで、どこで手続きをするのか、どういう手順で飛行機に乗るのか、そして飛行機が飛び立つ瞬間の感動など、あらゆることが新鮮で、もちろんそういう意味でのリアライゼーションはたくさんありましたが、そんな誰もが感じるようなことをつらつらと書き連ねても特に価値はないと思うのでカットします。私がこれまで海外旅行で経験した中で最大のピンチがいきなりオランダのアムステルダム、スキポール空港でやってきます。
この空港はヨーロッパの主要国際空港で、関空からここを経由してフィレンツェ行きの飛行機に乗り換えることになっていました。初めての海外の空気に酔いしれながら、私はパスポートの検査を受けることになります。私は電車の切符と同じような感覚でパスポートと航空チケットを見せました。他の人たちはどんどんその場をパスしていたので、自分も同様にほぼ自動的に通してもらえるものと考えていました。私がパスポートを見せた検査官は「Why?」と素っ気なく質問してきたので、私は予期していなかった質問に一瞬「!?」となりました。しかし、これは旅行の目的を聞いているとすぐに判断して、過去に学校で習った「sightseeing」という言葉で返答しました。その時は「中学校で習った旅行での決まり文句がいよいよ初めて生かされた!勉強しておくとやっぱりいいことあるわぁ!」と、ある種の達成感があったのでが、その検査官はもう一度、今度は語気を強めて「Why!?」と聞いてきました。既に達成感に浸っていた私はかなり戸惑いましたが、冷静に判断して「きっと日本人やからって発音が下手やと思われて言葉が通じてないだけ」と考え、英語教師の資格もある自分だったので、「初めての海外で、日本人やからってなめんなよ!」と思い、可能な限り綺麗な発音でもう一度「sightseeing」と言いました。しかし、それに対して、即座にノーと検査官は答え、かなり苛立った様子で「Why are you going to Florence?」と質問されました。私もこの質問にはかなりイラっときました。自分の中では旅行の理由を伝えたつもりなのに、それでもなお理由を聞いてくるとはどういうことなのかと、理解ができませんでした。これは「日本人、一人、初めての海外旅行」という、私の偏見ですが、外国人の目から見てヤバいと感じる三拍子が揃っているため、完全に自分が舐められているのだと感じてしまいました。なので、フィレンツェ旅行の真の目的である「街中を歩き回り、フィレンツェを知り尽くす」を伝え、自分が向学心に溢れる人間だということをアピールしようと考えました。そして言い放った言葉が、「I'm gonna walk around the city.(街を歩き回る)」でした。それに対する検査官の反応は「NO!!!!」と最高に分かりやすい拒否反応。「ここで待っていろ!」と言われ、しばらくするとメッチャデカくて筋肉ムキムキのオランダ人が現れ、ついてくるように言われました。
夢見るフィレンツェが遠ざかる感覚と、強烈な不安を抱えながらついて行った先は「入国管理局」でした。その時は「あぁ、関空に戻されるんか…」と思いました。失意の中、色々と取り調べを受けることに。「職業は?」「何を研究している?」「初めての海外旅行なのになぜ一人なのか?」「フィレンツェで何をするのか?」などなど。幸いにも、説明をしているうちに私がそれほど怪しい人ではないと判断してもらえて、無事検査を通過することができました。
それまでの不安から解放されて、パスポート検査の先にある荷物チェックを受けました。この際、もう一度旅行の理由を聞かれて、相変わらず「Sightseeing」「Walking around the city, and so on...」なんていう返答をすると、「OK,OK. More concreatly.(もっと具体的に)」と優しく言われました。この時、私はようやく、詳しく具体的な目的を言わなければいけないということに気がつき、「I wanna see Duomo and the statue of David.(大聖堂とダビデ像が見たい)」と言いました。それには「Good!」の返答。最高にすっきりした気持ちになりました。そして、先の検査官に対する発言の危うさについて冷静に考えられるようになりました。当時、テロへの警戒感がヨーロッパにはあり、そんな中、旅行履歴がない日本人が一人でフィレンツェに行き、街をぶらつくなんて、普通に考えたらただの怪しくてクレイジーな日本人としか思えないでしょう。私は極めて普通が必要とされる検査の場面で、明らかに変わった人全開モードで突入していた事を深く反省しました(笑)
まだ目的地についていない段階でこれだけのジェットコースターのような経験をするとは全く思っていませんでしたが、ピンチを乗り越え、明らかに自分の世界観が地殻変動を起こし始めているのが分かりました。それまでに習ってきたことが役に立たなかったこと、トラブルがあってもそこから新しい事を知ることができること、ピンチでも何とかしようとすれば切り抜けられること、そして、そういう体験は振り返ればとても面白いということ。もし、ツアーでこんなトラブルがあったらクレームものですが、一人で行った場合は全て自己責任。しかし、それゆえにアドベンチャー感があって、トラブルでも楽しむことができます。ただ快適な旅行がしたければ、なるべく自分が頑張らなくても良い状態にすれば良いですが、自分自身の成長を味わうのが好きだという人は、不確定要素があり、それを自分の力で解決しなければいけない単独旅行が圧倒的におすすめです。命さえ落とさなければオールオッケー!(笑)。
たとえこの時、日本に戻らなければいけないようなことになっていたとしても、間違いなく強烈な教訓、そして話のネタとして生涯私に価値を提供し続けてくれたことでしょう。そう考えると、飛行機代十数万円払ってオランダと日本を行き来するだけになったとしても、決して無駄ではなかったと思います。旅の目的が自分自身の成長、投資になると色々なトラブルもポジティブに受け止められるようになります。そんな類のことは過去に本などで知識として得ていたと思いますが、ただ浅く知っているだけではそれほど役に立ちません。実際に体験する中で本当の学びが達成されます。中学校で習った旅行の決まり文句「sightseeing」が実際の場面で意味をなさなかったことも同様です。体験による「リアライゼーション」は、試験終了と同時に抜けてしまう日本の知識偏重教育を変えるキーワードになって欲しいと思います。そういう意味で、美術教育は知識やイメージを実践に移し、そこからさらに新しいリアライゼーションを生み出して無限に体験を膨らますことがミッションであり、これからの教育を引っ張っていくに値する教科だと思います。生徒だけでなく教師を含む大人の一般的な美術への捉え方は、依然としてそういう状態に向かっていませんが、少しでも早くその価値について広く認識してもらい、各教科の教育スタンスにも反映されて欲しいと願っています。そのためにも、自分自身が美術教育の発展に貢献していかなければいけないと熱くなっている今日この頃です。
ここまで長くお話ししてきましたが、まだフィレンツェに入っていません(笑)。ようやくここからルネッサンスが花開いた都、フィレンツェで学んだことを「芸術と場」をテーマにお話しします。
私が初めての海外旅行をフィレンツェに選んだ理由は、中学校の頃に観た「冷静と情熱の間」という映画の舞台にこの街が使われていて、映画の内容自体も良かったのですが、この街全体の美しさが大変印象的で、初めて強烈に海外の魅力を意識したためです。また、美術を専門にする身として、ルネッサンスの街並みが残るフィレンツェは非常に優先的に行くべき場所だと考えていたというのもありました。
しかし、実はフィレンツェに行く前、私はフィレンツェの価値について疑念を少々抱いていたのです。私はルネッサンスの芸術よりも、現代アートの方に力を入れて研究していました。そして現代アートというものこそ、アートとして自律した存在であり、可能性に満ち溢れたものだという考えに至っていました。そしてそれゆえに学校で教育する価値があるものだと考えていました。それに対してルネッサンスの芸術はあくまで宗教の枠組みに囚われたものであり、ルネッサンスの作品を学校教育で扱うと、写実性に固執する芸術観を身につけ、むしろ自由な発想を伸ばす上での弊害を招くのではないかという思いがあったのです。
それでも、かねてより持ち続けたフィレンツェへの憧れが依然としてあったので、フィレンツェに行くことを決断しました。結論から言うと、フィレンツェは依然として最も印象深い街として私の記憶に刻まれたままです。それどころか、SDGsが注目を集める昨今になって、さらにこのフィレンツェの価値が見直されるべきであると考えるようになり、私が感じるこの街の魅力は大きくなっています。今こうしてブログを書いている間にも行きたい衝動で航空チケットをポチってしまいそうなぐらいです。幸か不幸か、コロナによってその衝動はコントロールされています(笑)。
フィレンツェに到着して、まず私が感じたのは街全体から漂うルネッサンスの息吹でした。私が一番最初に向かったのはこの街のシンボルであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。
写真や映像をたくさん見ていたので、建物はよく知っているつもりでした。それだけ知っているなら実際に見ても普通はそれほど強烈な印象を受けることはないと思いますが、とんでもないディープインパクトが発生しました。実物は圧倒的なスケールで迫力があり、建物の隅々まで神々しさを放っていたため、私は浄土真宗を信じる身であるにもかかわらずキリスト教に心を奪われるところでした。西本願寺も素晴らしい建物ですが、この大聖堂には敵わないと直思わされました。この時、神を信じることによって発揮される人間の創造性について気がつくことができました。サンタ・マリア・デル・フィオーレも西本願寺も信仰する人々の熱い想いの結果生まれたものであると思います。
そんな建物は実際に5感で接することで本当の価値が分かるものです。実物と接することは強烈に「リアライゼーション」を促します。写真や映像は限定的な視覚や聴覚による体験を提供する程度ですが、実物は5感を可能な限り活用(大聖堂の味覚は感じようがありませんでしたが…)して体験できるため、得られる情報、そして感動が圧倒的です。そして、大きな感動もまた人の価値観を変えるきっかけになります。そのために、じっくり自分の感覚を働かせて対峙する時間が大切になると思います。
大聖堂の美しさには度肝を抜かれましたが、それ以外ももちろん素晴らしいのがフィレンツェの街。どこを切り取っても絵になります。建物はどれも古い外観をもち、道路も石畳、街の中心部が歴史地区として世界遺産になっているだけのことはありました。こういう最高の場所だからこそ、大聖堂も場所に馴染むのでしょう。洗練された美しさがこの街にはあります。京都にも世界遺産の建物はたくさんありますが、その周りの街の景観とのギャップがあまりにもあります。電線や汚いビルを目に映しながら見る五重塔はデペイズマンのような驚異の効果を狙っているのかと思ってしまうぐらいです。場全体の雰囲気が京都とフィレンツェでは違いすぎると感じた私は、日本の景観をよくしない限り、フィレンツェのような年間1000万規模の観光地は生まれないと思い、いつか日本の景観改善の力になりたいと思うようになりました。
フィレンツェは見るもの全てが芸術的な価値をもっているので、ただ歩くだけでも楽しむことができます。当然のことながら、建物の内部はどこも普通に使われています。この伝統的なものと新しいものが丁度良い状態で融合してるのが世界的な観光都市フィレンツェなのです。芸術品の中で観光をしている気分が味わえるのがこの街の最大の魅力だと私は思います。価値のあるものを残し、それを用いることによって人々に価値を提供し、発展につなげる。持続可能な開発の一つの形としてお手本になる街だと私は思います。
当初から街を歩きまわることが旅行の目的でしたが、この街の魅力を実感した私は街の隅々まで味わいたいという思いをもつようになりました。そのために実行したことはひたすら「歩く」です。この街は全体的に統一感があり、ミケランジェロ広場から見る景色からもわかるように、漠然と見るだけでも十分にその美しさは感じられるます。また、超重要スポットもたくさんあり、それらをまわるだけでも2〜3日以上はかかります。それらを味わうだけでも十分な価値があると思います。しかし、さらに街の魅力を知って深い体験をすると、驚くほど自分の考え方が変わってくるのです。それゆえに、ひたすら歩き、細かな部分の魅力と出会うことが大切だと私は思います。
フィレンツェには至る所に芸術的な仕掛けや工夫があり、それらの放つ魅力はこの街と見事にマッチしていて素晴らしい相乗効果を生み出しています。そのような仕掛けや街づくりの工夫は歩いてまわらないと気がつけないものが多いです。大聖堂や美術館の価値は絶大ですが、街の魅力を支える小さな部分にも気がつけると、いかに芸術と場の関係が大切であるかが見えてきます。そして、そのような街全体の芸術要素がフィレンツェを丸ごとルネッサンスの芸術品にしていると私は思います。時間帯によって街の見え方も変わり、それぞれの時間帯にそれぞれの美しさを感じます。フィレンツェで目に映るものは美的刺激の強いものばかり。芸術的な造形は、街の空間で美のハーモニーが響きあっていました。
ここまでフィレンツェの美しさについてひたすら称賛をしてきました。しかし、フィレンツェの街ではこのようなものも目にすることができます。
これらは歴史地区から少し外へ出たところにあるお店と謎の人型のボードです。フィレンツェのお店はどれもオシャレと思いきや、「寿司まにあ」という、日本人からしたらチープな印象を強烈に受ける名前のお店がありました。この街の美しさに惚れ惚れしながら気持ちよく歩いていた私は不意に入ってきた奇妙な日本語の組み合わせに思わず二度見しました。もう一つの人型ボードは幹線道路沿いにある階段にありました。最初、遠くから見たときには逆光だったこともあってよく見えず、人がたくさんじっとして並んでいるようにしか見えませんでした。「あの人たちは一体何をしているのだろう?」と思って近づいたらこのような有り様。しかも数体は倒れている状態で、かなりお粗末な印象を受けました。
このような雑味とも呼べるようなものは2日間ぐらいでは目にすることができず、ひたすら2日間ルネッサンスの芸術性に触れてきたため、ギャップを非常に感じる出会いとなりました。しかし、この雑味がさらにこの街の魅力を感じさせてくれたように思います。これらが単純にシュールで面白いだけでなく、街の美しい部分を引き立ててくれる存在だと感じたのです。全てが究極的に美しいだけでは、その美しさが普通になってしまいます。しかし、それらが特別な存在であることを滞在中に考えることができたのは大変意味深いものであったと思います。そんなものとの出会いがあるのも一人で自由に歩きまわるからこそだと思います。こういった雑味もフィレンツェという場だからこそ強烈なインパクトを与えるのではないでしょうか。
フィレンツェでは最後の日にジョットの鐘楼にのぼり、街を一望しました。しかし、最後の日、鐘楼にはたくさんの人が並んでいて、しかも天気は曇りであったため、人が空くのと天気が良くなるのを待つために大聖堂をスケッチしながら待つことにしました。こうやって時間を潰すことができるのも一人旅だからこそだと思います。
世界的な観光都市の真ん中で絵を描くのはかなりドキドキでした。少なくとも芸術には目の肥えたヨーロッパの人達です。どんな反応をされるか、かなりスリルを味わいながら描きました。しかも当時はまだ美術を勉強し始めて2年ぐらいしか経っていなかったので、このスケッチを見てもわかるようにバランスが整っておらず、技術的にはとても未熟でした。しかし、街の中で絵を描いていると下手でも日本人の珍しい行為ということもあってか、割と注目されました(笑)
この絵が完成に近づいた時、近くでずっと私が描くのを見ていた中学生ぐらいの女の子二人が突然話しかけてきて、「あなたの絵はとても美しい」と褒めてくれたので、意外と自分の絵のレベルでも通じるものだと前向きになれました(笑)この少女たちはイタリア人の観光客ということでしたが、海外でこのような出会いもあるのだと認識しました。何か行動をしていると、それに関心のある人が集まってくるというのは、どんな場所でも同じです。知らない人しかいない場所でも、自分にできることをやっているうちに、そこから出会いが生まれます。
私が初めて海外旅行に行ったのは24歳。どちらかと言うと海外旅行デビューは遅いと思いますが、一度一人で行ってその魅力を味わえば、その後何度でも海外へ行ってしまうもので、今では割と自分は海外通だと思います。まだ海外に一人で行ったことがないという人は、コロナの感染症が収まって海外へ行きやすい状態になったら、是非一人旅を味わってみてください。スリルという名のスパイスが効いていますが、大変充実した体験が待っています。そしてその先に、新しい生活も待っていることでしょう。
長い文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は初めての海外旅行で得られた経験を「リアライゼーション」と「芸術と場」をテーマにお話しさせていただきました。実際に価値あるものに触れること、芸術と場は相関関係によって生かされること、これらは美術教育が大切にしていかなければいけない部分です。これらのことに関係することは授業で毎時間話せることなので、最初に海外旅行に行ったフィレンツェは私にとって運命的な街であったと言えるでしょう。まさにスティーブ・ジョブズの「Connecting dots(点と点を結ぶ)」になりました。
次回はローマに行った時の人生を変える経験をお話しします。それではまた来週!
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