美術室の刺激的な空間づくり 第2回 掲示物の工夫

  前回から始まった「美術室の刺激的な空間づくり」。第2回は「掲示物の工夫」そして次回は「装飾の工夫」についてお話しします。私は美術科の教員として美術室の空間づくりについてはかなりのこだわりとプライドを持っています。美術室は学校で一番美しく格好良く、機能的で学びのある環境であるべきだと考えています。私の理想の美術室は「利用者が自動的に美術を学び始める場所」です。それはディズニーランドのような場所であり、たとえディズニーに興味がなくとも、楽しんだり思い出に残る体験をしたり、またディズニーに戻って来たいと思ったりと、そのような体験ができる場所は自動的に学習をすることができます。学習に一番大切な興味が刺激されるためです。私は美術室、そして学校をそんな場所にしたいと考えています。というよりも、アートで学校を染め上げて乗っ取るぐらいの気持ちでやっています。支配欲強め(笑)いつも心はGO  CRAZY。

 これまでに中学校を卒業した生徒が学校を訪れた際に、美術室を見にきてくれることがしばしばありました。その時に卒業生たちは展示された作品を見て、自分の作品のレプリカや友達の作品のレプリカを見つけては懐かしんだり、当時の頑張りを振り返ったりします。または改めて美術室の装飾や掲示物を眺めて楽しんでくれたりもします。そうやってゆったりとした時間を過ごす卒業生たちに長時間付き合うこともしばしばありました。普段ならやりたい仕事がストップさせられたら秒でイライラし始める私も、こういうときは、お客さんが楽しんで美術の価値を堪能してくれているため、私にとって自己肯定感MAXの状態になります。ゆえに普通のメンタルでいられます(笑)。というよりも、私の存在意義はそもそも人々に美術の価値を深く認識してもらい、美的判断能力をいかして活動してもらうことなので、そういう時間こそ自分にとって大事です。

 前回は展示の工夫についてお話ししました。同じ中学生が制作した作品を見られる環境は子どもたちの制作意欲を刺激します。そういう環境は自分たちもやる気次第で凄いものができるという希望をもつことができます。そして掲示物や装飾によって、さらに美術が身近なものであり、考え方次第でとても簡単にその魅力を作品だけでなく、人生でいかすことができることを実感してもらえるようにしたいと考えています。というわけで、今回は「掲示物」をテーマに進めていきます。

 掲示物は制作や人生に役立つ情報であることを意識して設置します。色相環、混色、具象と抽象、構成美、画材の特質など、美術の授業で常に活用するようなことは掲示物として常に存在させ、参考にしやすい状態にしています。このような掲示物は、授業中に子どもたちが困難を感じた時にちょっと意識を向けさせるだけで解決に役立つことが多々あります。例えば、「オレンジ色はどうしたら作れるか」といった質問をよく受けます。このような質問を中学生がしてくるという事実に残念な気持ちになることもあります。あまりに美術的なことに興味がなかったことを如実に表していると感じてしまうためです。普通に美術に関心がある人なら、色相環は赤・黄・青の三原色を基準にして、色の順番ぐらいならそれほど考えなくても分かりますし、そもそも色の変化する順番ぐらいなら常識レベルで知っている人も少なくないでしょう。しかし、そのような基本的なことが分からず、美術に関心がなかった生徒でも、色相環にあるオレンジ色を見て、何色を混ぜるとオレンジ色になるかについて考えさせると、「赤と黄を混ぜる」という判断を導くことができます。このように掲示物が役に立つという経験をさせることが、美術室には役に立つ情報がたくさんあるというマインドを育てることにつながります

 そもそも、教師の側としても、すぐに利用できる掲示物が実用的なものであれば、授業の質向上を助けてくれる大切なものになってくれます。わざわざ資料集の〇〇ページを開いてとか、インターネットで「オレンジの混色での作り方」とか調べなくても、一番基本的なことぐらいなら美術室を少し見渡せば分かる状態にしておきたいものです。そして、そのような環境こそ美術室の存在意義なのではないかと思います。美術室は生徒が主体的に学べる状態になるような仕掛けが必要であり、美術教師の役割はこの「主体性」を培ってもらえるように、試行錯誤する生徒をサポートすることにあると考えています。「1から10まで教師が教えて鍛え上げる」なんていうスポ根的な考え方は、美術という個性が重要とされるものには全くもって不適合です。そういう教育は「美術と先生が大好きで、どこまでもついていきます。なんなりと厳しく指導してください!」というドM思考の人にだけしてあげたら良いでしょう。

 
 上の写真は私が前に勤めていた中学校の美術室です。以前の記事でこの部屋が作品や掲示物で埋め尽くされている写真がありましたが、私がこの学校を去るに当たって掲示物や装飾物を全て撤去することになりました。ただ、このような環境でもし美術の授業を行うとなったら、ここで授業することに何の価値があるのでしょうか。メリットと言えば準備室が隣にあるため、道具を使う授業の際に便利であることと、水道が近くにたくさんあることぐらいだと思います。このような環境になると、実は教師が教えることに生徒が集中しやすくなります。しかし、それは生徒が自分で美的判断能力を発揮して、形や色、構成からイメージを膨らませて個性豊かな表現をする機会を奪うことにもなりかねません。もし、美術の教師が言葉の魔術師のような人であれば、生徒のイメージを刺激して、彼らの表現力を引き出せるのかもしれませんが、そんなとんでもない能力をもっている美術教師が何人この世にいるのでしょうか。私自身、生徒の世界観が変わることを期待して授業中には色々な問いやサプライズを言葉で投げかけますし、それが充実するように、日々読書で見識を深めたり、このようにブログを書いて思考の整理や開拓をしています。しかし、それでもやはり動かし難い事実として、自分で見て分かるようなものがあった方が生徒の反応は圧倒的に良いです。
 先日、中学校2年生に版画の授業をして、木版画や紙版画といったモノトーンでバレンで摺りとったり、彫ったりするのが版画の全てだと思っていた生徒に対して、「みなさんが知っている版画についての知識は、版画の全てが宇宙だとしたら、月しか知らないような状態です」と言って、凹版や孔版、平版、そして凸版の錦絵などを見せると、「嘘!?ホンマに版画!?」という反応で超絶食いついてくれました。百聞は一見に如かずとはまさにこのことです。この時は導入のインパクトが強すぎて若干尻すぼみな授業になりましたが、授業開始の5分間に全力投球すれば、十分に教師の役割は果たせます。後は要所要所で関心の火に油を少しずつ注いでやれば十分です。1度関心の火が付いたら多くの生徒は学びが自動化します。
 制作に役立つ掲示物がない状態では、生徒にアドバイスをしたところで、彼らからすると、なんの手応えもないような状態です。なんせ、模写のようなイメージを必要としない作品ではなく、今までにやったことがない表現に毎度毎度チャレンジしているわけですから、イメージしにくいことばかり。しかし、ポイントが掴めるような掲示物が身近にあれば、制作の道筋をイメージし、一歩を踏み出すことができるようになることが多いのです。自分の力で一歩踏み出したら、後はひたすら作品を進化させる遊びを始めます。イメージすることが苦手な生徒は、最悪の場合、掲示物や展示されている先輩の作品を少し真似することから作品のアイディアスケッチを始めても良いと思います。これについて、模写をやたらにやらせる先生から「作品を参考にできる状態だと、真似をして個性的な表現ができなくなる」なんていうお言葉を頂いたことがありますが、全くもってそんなことはないでしょう。スタート時は真似から始まっても、色々な要素を入れているうちにオリジナルな存在へと姿を変えるものです。というより、そもそもデザインという分野はある程度コードがあるため、スタート時は大抵既製の形や概念を用いるものです。最初から純粋にオリジナルなものを表現できる天才は5%もいないでしょう。



 一番基本的なことさえ抑えておけば、後は自分自身の創意工夫でいくらでも面白いものが作れます。それはSociety5.0を迎えた現代の知識活用法と似ていると思います。現代ではもはやみんながドラえもんの「暗記パン」を手にしているような状態であり、スマートフォンがいくらでも知識をストックしてくれる時代です。私たちは基本的なリテラシーをちょっと発揮するだけで、効率よく学んだり、ビジネスをしたり、価値あるものを生み出したりすることができます。大切なのは基本的な知識を使い、様々なこととつなげ、新しいものを生み出す力です。

 実は今でこそハイテク大好きな私ですが、超アナログ家系に育った私は大学に入るまではテクノロジーに対してかなり疎かったです。しかし、自分で活用しているうちにかなり使いこなせるようになりました。知識はそうやって自然に自分が使える範囲で身についていくべきではないでしょうか。テストのためだけに学んだ知識は身の丈にあったものとはならないでしょう。それらはすぐにオーバーフローしてしまいます。テストまではこぼさないように大切に抱えていた知識も、テスト終了と同時に解放感から大切に抱えてきたものを捨ててしまいます。そうした方が頭が楽になるためです。こんな学力のどこに生きる力としての役割があるのでしょうか。一刻も早く、教育は改革されなければいけないと思います。

 

 掲示物は「見やすさ」と「見栄え」そして「空間との調和」を狙っておきたいところです。例えば、色相環に関する掲示物が小さくて教室の後方からではよく見えないようでは意味がありませんし、ただの情報として存在するのでは、美術室の美しさを損ないかねません。空間と調和する美しさがあることで生徒の美的判断能力に訴え、その力を伸ばすことにもなると思います。空間と調和するには無駄な要素はなるべく含めず、掲示物自体が洗練された美しさをもっていることが大切です。そして、このような掲示物がある程度見栄えのするものでないと、美術の魅力を伝えるパフォーマンス力も下がってしまいます。掲示物を見てワクワクするような仕掛けは欠かせません。掲示物も美術室の装飾としての働きがあるわけです。

 私がこのような考え方をするようになったいくつかの出会いがあります。それはフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレの華やかな装飾やバチカンのシスティーナ礼拝堂の天井を含む壁面の絵画です。これらの装飾はキリスト教の影響力を最大化するためにされていると言っても良いでしょう。建物の全てが装飾的であると同時に、教示的です。識字率が高くなかった中世では、教会の装飾やステンドグラスが教科書の役割を果たしていました。見て学ぶ空間。これらとの出会いが空間の全てに美術の力をいかし、見る人々の世界観に揺さぶりをかけるというマインドセットを私に築かせました。

 今回のお話はここまでです。今回は掲示物の工夫が生徒に美的な刺激をもたらし、創造力に働きかけるという内容でした。掲示物はただ情報を伝えるためだけではなく、美術室と調和する美しさを兼ね備えていることで、その価値を上げることができます。これは本来は美術室だけに限った話ではないでしょう。お店やテーマパークなど、優れた結果を残している場所は掲示物の見せ方も非常に魅力的です。それらは適切に目立ちながらも、装飾性も兼ね備える存在です。次回は「装飾の工夫」について深くお話する予定です。最後まで読んでくださってありがとうございました。それではまた来週!

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