旅は人生を変える 第3回 ローマ 〜パート1 ローマ帝国の遺構とロマン〜
「旅は人生を変える」シリーズ第3回はイタリア のローマです。前回に続いてイタリア!私は圧倒的なイタリア贔屓(笑)兄がセリエAを観ていたことや、三浦知良が挑戦したこと、中田英寿や中村俊介が活躍したこと、フェラーリやF1が好きなこと、色々な要素が重なって私はイタリアが大好きになりました。映画の影響もありました。舞台はフィレンツェでしたが、「冷静と情熱の間」や、定番「ローマの休日」などを観て、美術を真剣に勉強する前からイタリアへの憧れが強烈にありました。たまたまイタリアが身近に感じる存在であり、フィレンツェやローマから海外旅行に行ったのは美術的な動機よりも、他の部分が大きかったと言えます。しかし、結果的にフィレンツェとローマに早い段階で行ったことが自分に大きな価値をもたらしてくれました。そう考えると、興味本位で行動し、時間を無駄にすることなく前進していくことが大切であるとつくづく思います。極端な話、最初にイタリアに行こうが、フランスにいこうが、アフリカの途上国に行こうが、どの国に行っても得られるものはたくさんあり、その経験を深めることでその後の人生に何かしらの役に立つ成長ができるということです。美術に役立つのはもちろんのこと、何か他のことをする際にもいかせるでしょう。実際に、道徳や総合、学活といった美術以外の授業もたくさんする中学校の教員として、そのような経験が大変役に立っていると感じることは多々あります。なので、強烈に行きたいと思ったらまず予定を確認して、行けるのであれば即ポチる。海外旅行は一人で行くことを圧倒的にお勧めしているので、HISなどですぐにチケットを購入です。これで新たな人生観の獲得予約完了です。
私がローマに行ったのは27歳の時でフィレンツェの旅行から3年後でした。ブログで行きたくなったら即ポチるなんていうことを言っている私ですが、当時は行きたい行きたいと思いながらも、なかなか予定を開けることができず、ただひたすらに思いを膨らませた3年間でした(笑)。教員採用試験の勉強や教材開発、学校と塾の講師の掛け持ちなどで寝る暇もないぐらいに忙しい毎日を送っていました。社会人になって2年間は怒涛の日々でしたが、この年は美術の非常勤講師だけだったので、時間に余裕があったのです。10月に教員採用試験の合格発表を受け、心にもゆとりが生まれた時、溜まっていたローマへの想いが私をHISのサイトへ誘導しました。気がついた時には航空チケットとホテルの予約まで済ませているぐらいでした。この時は本当に即決したのを覚えています。
私がローマへ行きたかった理由は、主に三つありました。一つ目は古代ローマ帝国の遺構が数多くあり、ロマンに浸れると感じたためです。フィレンツェのように現代でも昔のものが綺麗な状態で使われているのも良いですが、2000年を超える遥か昔から存在する遺構がどのように現代で生かされているのか興味があったのです。二つ目はバチカン市国の存在です。キリスト教の中心地として栄えたローマ・バチカン市国は現代でもキリスト教の影響が絶大です。現代の文化にどのように生きているのかこの目で見てみたかったのです。この時、私はクリスマスのシーズンにあえて被せていました。本場のクリスマスはどのようなものなのか興味があったのです。そして三つ目はイタリア最大の都市であり、フィレンツェ以上に世界的な観光都市として繁栄しているということでした。ローマはフィレンツェよりも遥かに大きな街で、300万人近い人口を誇ります(フィレンツェは約40万人)。古代ローマの時代から一時期衰退した時代がありましたが、約3000年もの間、「全ての道はローマに通じる」と言われるように、芸術や文化の面で国際的に非常に重要な場所であり続けた街のパワーを感じたかったのです。この国際都市には色々な人がいて、聖職者やビジネスマン、世界中から集まってくる人々、そして観光客の金品を狙う貧しい人々や旅行者を騙してお金を奪おうとする仕事人(?)など、刺激とスリルがたっぷりな絶対値の塊みたいな、いろんな意味で強烈な個性がある街です。そんなローマに私は魅せられ、直に自分の五感で味わいたくなったのでした。
今回、これら三つの理由を一気に書いてしまうと、膨大な量になり、全て読むと貴重な1日が終わってしまいます。読みやすいように、あと自分自身への負担とならないように理由一つずつに区切って3回に分けて記事を書きます。長期に渡りますが、それぐらいローマには魅力が詰まっていると私は思います。人生で必ず1回は行くべき場所の筆頭候補として保証できます。ローマに行った時に、これまでの世界が歩んできた「道」が確かにローマに通じていると実感できます。そして、その「道」は新しい時代にもつながっていこうとしています。やや抽象的なことを述べましたが、これはSDGs(持続可能な開発目標)に関連することです。これに関しては最終回で書く予定ですので、興味があればまた見て欲しいと思います。今回は古代ローマ帝国の遺構とロマンについて書きます。
このマグネットは角度を変えて見ると復元された状態のコロッセオを見ることができます。それを見た時に私は、今は見られない原型の美しさに心惹かれると同時に、現代のコロッセオがなんとも魅力的な存在であることを発見したのです。断りを入れておきますが、別に私は廃墟フェチというわけではありませんし、単純に古いだけのものに価値があるとも思いません。コロッセオを鑑賞するには、いくつかの点で現代の姿が大変理想的であると感じたのです。
理由一つ目は、現代のコロッセオは外側の構造と内側の構造を同時に見ることができます。それはまるで透視をして見ているかのようです。度重なる地震で外側が崩壊したというのは、ローマに行く前から知っていましたし、美術の授業で古代美術を子どもたちに教える際にコロッセオも教えたことがあるので、ある程度コロッセオに関しては知っているつもりでしたが、このコロッセオの魅力について私はあまりに気づけていなかったということをこの時実感しました。実際に見るまでは、私は主にコロッセオの写真や映画「グラディエイター」で見た姿の魅力についてしか語れな状態であり、崩れた構造がなんとなく格好いいという感じで、なんともありきたりなコロッセオの魅力を語る美術教師でした。今なら、深い愛をもってこの建物について延々と語ることができます(笑)
コロッセオを一周回ると分かるのですが、ある部分からはほぼ原型を保っている姿を見ることができますし、上の写真のような角度になれば、一度にコロッセオの内部と外部の構造を見ることができます。そのような姿を見せるコロッセオにはピカソのキュビスムのような多視点性にも通じる魅力を感じられました。見る場所によって姿が変わるからこそ面白さが生まれます。まるでコロッセオが歩んできた時代を強烈にアピールしているような印象です。コロッセオの形の変化一つ一つが時間の流れを感じさせてくれます。もし、昔の姿のままであったなら、一周見て回っても同じような構造しか目に入らないため、見て回り始めても、すぐに目が慣れてしまい、見ることによって得られる刺激は少なくなっていたことでしょう。ただし、もし完璧な状態であったとしても、それはそれでまた違った見る価値を鑑賞者に提供してくれることでしょう。芸術は多様であるからこそ見るものに多くのものをもたらしてくれます。そして、そういう経験をした鑑賞者がまた多様な文化をつくっていくのだと思います。
古代のものは原型から変化しているがゆえに、原型をイメージさせる面白さを引き出すことになります。そのイメージは人それぞれなので、自由にストーリーを描けます。ロマンを掻き立てる魅力が古代遺跡にはあるわけです。それはミロのヴィーナスやサモトラケのニケの不完全な姿がゆえの魅力と同じ類のものと言えるでしょう。ミロのヴィーナスの腕に関してはこれまで様々なイメージがされてきました。それは不完全だからこそ起こる「遊び」です。私はミロのヴィーナスの腕が筋肉隆々という理想を勝手に抱き、写真に落書きをしたことがありますが、それもそれで悪くはない姿だったと自負しています。
コロッセオの内部も外観に負けない魅力を提供してくれます。内部は外部よりも明らかに朽ちた印象を受けます。特に印象的だったのがフィールドの下の構造です。壮観な印象を受ける観客席の構造とはかなり違います。この上と下の構造の違いが強烈なコントラストを効かせて同時に見られるのもコロッセオの魅力でしょう。熱狂するフィールドと観客席、暗い中でいつ訪れるかわからない死と向き合い続ける奴隷、そして人間の楽しみのために殺されていく異国の動物たち。私たちの常識や日常とはかけ離れた光景が自然と目に浮かんできます。
コロッセオからはそれまで考えたこともなかったような刺激をたくさん得られました。しかし、ローマにはそれ以外にもたくさんのロマンを提供してくれる場所があります。それらについてあげ始めると枚挙に遑がないですが、今回は更に二つローマの遺構を取り上げます。
一つ目がフォロ・ロマーノです。これは古代ローマの街がそのまま残っている場所です。とても広大な面積があり、ここを歩いていると、古代ローマ帝国にタイムスリップしたような体験が得られます。街ごとあるというスケールがそういう感覚にさせてくれるのでしょう。この場所には現代感がほとんどありません。古代の遺構にとにかく意識が向けられるような場所になっています。まるで普通の石ころのような感覚で古代のものが転がっています。歴史的に価値のあるものとは思えないぐらいに身近な感覚で古代遺跡に触れられるという、この徹底したコンセプトの追求がフォロ・ロマーノの個性を際立たせる魅力となっています。
いくらローマが古代都市の遺構を多く残していると言っても、現代の要素が至る所に感じられます。フォロ・ロマーノは古代に対するロマンにどっぷりと浸りたい、または現代の生活をひと時忘れて、気持ちをリフレッシュしたいという人にとって絶好の場所だと思います。普段とは全く違う環境に身を置くと、自分の思考が変わり、これまで考えたこともなかったようなことが浮かんでくることもあります。よく自然の中を散歩していると良いアイディアが浮かぶと言いますが、古代遺跡の中を散歩している場合も似たようなことが起きます。フォロ・ロマーノは遺跡というよりは「街」です。一度見て回るだけではその良さは十分には分かりません。少々贅沢な時間の使い方になりますが、3〜4時間、または複数日かけて歩くぐらいのことはしても良いと思います。きっと素敵な体験になることでしょう。個人的には昼から夕刻にかけてがおすすめです。暗くなってくると、建造物と空とのコントラストが効いてきて、ドラマティックな雰囲気を味わうことができます。
このような体験をするためにも、やはりローマも一人旅が圧倒的におすすめです。ツアーでこの場所に行ってしまっては説明を聞きながら一通り歩くだけになるため、のんびり一人で散歩なんていうことできません。ちなみに、私は自分の性質もあると思うのですが、長時間説明を聞きながら決まったコースを歩いてまわるような受動的な体験をすると精神的にかなり疲れます。リフレッシュできるはずの場所でくたくたになってしまっては、一体何をしに来ているのか意味不明です。誰かと行くとしたら、相当な古代フェチや散歩好きな「仲間」と呼べる人に限ります。恋人や家族と一緒だと各々のニーズの違いから最悪の場合、古代遺跡の中で喧嘩するという、ある意味貴重な経験をすることになるかもしれません。まぁ、そんなことも思い出になるのでしょうが…。
この遺跡を歩いていて私は改めて「想像することの面白さ」と「街の構造」について考えることができました。フォロ・ロマーノはコロッセオの内側のように形が崩れたものが中心であるがゆえに、昔の姿はイメージするしかありません。コロッセオは一つの建物ですが、フォロ・ロマーノは「街」なので、妄想による復元イメージは大掛かりになります。しかし、それゆえに面白いのです。是非遺跡を見渡しながらゆっくりと妄想を膨らませてみてください。極上のロマンに浸ることができます。
街の構造についてはありきたりなことですが、やはり機能性や象徴性がよく考えられていると思いました。古代も現代も、優れた都市の構造は非常に合理的であり、美しい。基本的なことですが、デザインという概念の普遍性について考えることができました。
最後にあげる遺構が、チルコ・マッシモという、戦車競技場です。ここはほとんど何も残っていません。あるのは広大な平地と少しの建造物。ここは場所以外ほとんど何も残っていないがゆえに、強烈なノスタルジーを感じることができます。まさにロマンに浸るための場所と言えるでしょう。広大な平地を眺めていると、戦車の走る音や熱狂する観客の声が聞こえてきそうな感じになります。コロッセオやフォロ・ロマーノは建物の存在感があって、それに助けられた状態で妄想をすることになりますが、この場所は非常に自由度の高いイメージをすることができます。
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