旅は人生を変える 第5回 ローマ 〜パート3 イタリア最大の都市を歩き尽くす〜
3週に渡ってお送りしてきたローマ特集。最終回はイタリア最大の都市ローマを歩き尽くして出会えた、人生を変えるような発見について書きます。
ローマはイタリア最大の都市ということもあり、フィレンツェを歩き尽くすよりも遥かに大変でした。最後には足が悲鳴を上げていましたが、なんとか中心部から少し郊外まで制覇することが出来ました。
ローマは主要スポットと言えるところが多過ぎて全て細部まで見学するとなると、全く時間がなくなるので、歩きながらどこで時間を使うべきかかなり考えました。大聖堂や大きな教会は基本的に全て内部まで見ましたが、ミュージアム系はバチカン博物館以外は寄らずに歩いてまわることを優先しました。ミュージアム系はある程度の大きさであれば、しっかり鑑賞しようと思うと4時間以上は必要です。残念ながら半日を潰す余裕がこの時はありませんでした。
海外の美術館は優れたものが多いので、ボルゲーゼ美術館などにも行きたかったのですが、それ以上に私はローマの街の姿に興味がありました。初めての海外旅行先であるフィレンツェで、街を歩き尽くす魅力の虜になってしまった私は、古代から価値を放ち続ける建物や遺跡、キリスト教美術の名作である大聖堂や教会、ローマの街を眺められる景色を見たい衝動に駆られていたのです。アクティブに歩き続けた結果、たくさんの思いもよらなかった出会いと体験があったのです。それらは私の価値観に大きな変化をもたらしてくれました。
今回の話のキーポイントは五つです。一つ目は「街の重要スポットは全て目に収める」、二つ目は「隠れスポットも見つける」、三つ目は「景色の良いところへ行く」、四つ目は「トラブルが常識を変える」、五つ目は「どんな場所でも自分らしく行動する」です。すでに今回も大ボリュームの内容になること確定です。貴重な時間を使っても良いという人は最後までお付き合いください(笑)
まず、一つ目の「街の重要スポットは全て目に収める」に関してお話しします。ローマの重要スポットは、全てまわるにはあまりに多過ぎます。しかし、どれも一見の価値あり。市内を走るバスを利用すれば、主要スポットには素早くまわれますが、私の観点から言うと、そのようなまわり方をすると見逃してしまう場所も多くなります。ローマの街はくまなく舐め回すかの如く歩くことで、活動時間のほとんどを価値ある体験にできます。
コロッセオ、フォロ・ロマーノは言うまでもありませんが、パンテオンやスペイン 広場、トレヴィの泉、アッピア街道、ちょっとマニアックなところで言うと、カラヴァッジョの「聖マタイの召し出し」があるサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会など、重要スポットをあげ始めるときりがない街、それが世界的観光都市ローマです。どれか一つでも外せるかと言われても外せない。全て行って自分の目でよく確かめたい。そう言う衝動に駆られた私はとにかく歩きに歩いて自分の目と、カメラで重要スポットを堪能しました。そして気がついたことがありました。それは全て自分の足でまわっているため、重要スポットを起点にして街の構造を覚えることができるということ、そして余った時間でもう一度行きたいところへ行くことも可能だということです。一通りまわっているので、特に行きたいところや手軽に行ける場所をすぐに考えることができます。
行きたいところにすぐ行ける。地図をそれほど見なくても街歩きをコントロールできる。そんな感覚になれる街というのは地元の福知山や大学時代に住んだ大津ぐらいのものです。現在活動拠点の倉敷や住んでいる総社はいまだにGoogle Mapなしでは迷子確定レベルです。たった1週間弱しかいなかったローマが自分にとっての地元と同じような状態になれたのは、5感をじっくり働かせて重要スポットを見てまわれたからこそだと思います。
重要スポットは何回も行く価値があります。時間帯によって見せる姿は違いますし、1回目の時には気がつけなかった部分を発見することもできます。街を歩き尽くしてくると、重要スポットはただの通過点にさえなってしまいますが、そのような状態ではあっても、やはりその場所を眺めていきたいという前提があるので、ふとした瞬間にそれまで味わえていなかった魅力と出会うこともあります。そうしているうちに、この大都市がとても身近な存在になってくるのです。それは「また行きたい」という思いを日本に帰ってから思わせることにもなります。
次に「隠れスポットも見つける」についてです。街を隅々まで歩いていると、想像とは違った街の一面を見ることが出来ます。古代やキリスト教といった割と正統派な感じの美術のイメージがローマにはありました。実際にその正統派な美術に圧倒されていたのですが、ふと発見したレリーフがさらにこの街の魅力を感じさせてくれました。
このレリーフ、とても遊びのある形と構成になっていると思いませんか。ローマで見かける人間を表した彫刻は美しいものがほとんどで、イケメンと美女のオンパレードでしたが、この顔はどうもそういうのとは違ったコンセプトのようです。多少劣化しているのは差し引いても、ベースがあまりに粗末です(笑)目の窪み方や口の開き方と内部の省略、これはあえて狙ったとしか思えない異質さを感じました。そして楽器の組み合わせ方もかなり大胆です。
もしかしたら、このレリーフは知る人ぞ知る有名な作品なのかもしれませんが、普通に考えたら、ローマの観光でこのようなものを目当てに行く人は少ないでしょう。一直線に主要スポットに向かっていると、街の細かいところにまで目が行き届かず、面白いものを見逃してしまいます。しかし、アクティブに歩きまわっているとふとした瞬間にこのような面白いものと出会えるのです。
ローマの街はパブリックアートといえるものが街の彼処にあります。これらを全て発見すべく注意深く見ていくと、とにかく疲れ果てます。人間の集中力はもって1時間程度。ピークは20〜30分と言われています。そんな集中力を隠れスポットに費やし、目的地についた時にはくたくたになっているのでは本末転倒、教会で懺悔です。と言っておきながら私、大聖堂で疲れを癒し、少し仮眠を取ったことがある罪深い人間です。単純に歩きまわるだけで身体的に限界は来てしまいますね。
隠れスポットを見つけることが目的化すると、大事なところでもったいない経験をすることになります。何事もメリハリが大切なのです。なので、移動中はあえて注意深く見るのではなく、リラックスモードにしてそのうち面白いものに出会えるという前提を持ちながら、ただ「街を感じる」ぐらいで良いでしょう。この「面白いものに出会える前提」を持ちながら歩いていると、自然と魅力のあるものが目に止まります。人間というのは異質なものに敏感で、親密なものであれば少しの変化でも気がつきます。ちょっと前髪を切った程度なのに「あれ?髪きった?可愛い!」なんていう反応よくありますよね。
発見できるという「前提」を持っていないと全てをスルーしてしまいかねません。価値あるものに気がつける感性を身につける上で、いつでも異質なものを受け入れたり発見したりするニュートラルな状態を持っておくことが大切です。これは私が美術教師として子どもたちの表現から毎日たくさんのことを学ぶことにも同じことが言えます。ローマの街の隠れスポットを発見しながら歩いていて、私はふと価値を発見し吸収していくために必要なことを考えたのでした。
キーポイント三つ目は「良い景色の所へ行く」です。良い景色の所は高い場所が多く、必然的に健康的なウォーキングが約束されます。もし私がローマ市民なら、きっと毎日近くの丘までランニングをして美しい景色を見て最高に気持ちの良い1日をスタートするのが習慣になるでしょう。良い景色の場所の多くはバスなどで直行できますが、私的にはこれはお勧めできません。丘を登っている間に少しずつ景色は変わり、1回登る中での充実度が格段に上がります。美味しい料理を食べる時に一口で味わってしまうのも悪くはありませんが、部分で味わったり、全てを混ぜて味わったりと色々な味わい方をする人は多いのではないかと思います。この多面的に味わうという姿勢は、良い景色の所へ行く場合にも共通していると思います。
ローマの街が美しく見える場所に行くことで、ローマの街に対してさらに親近感が湧くようになります。できれば、街の重要スポットをある程度まわってから行くことをお勧めします。それは、眺めの良い場所から見る重要スポットはまた違った趣を醸し出しますし、それらの位置関係を視覚的に掴むことができるので、さらに街の構造について知ったり、散歩コースをイメージすることができるようになります。地図を見ながら行く場所を考えるのも良いのですが、自分の目で「あそこに〜がある!」という状態でこれからいく場所を考えると本当にワクワクします。実物を目に映すというのはそう言った意味でも大変価値のあることだと思います。
次は四つ目の「トラブルが常識を変える」についてです。初めての海外旅行フィレンツェの時はフィレンツェどころか道中のオランダ、スキポール空港で取り調べを受けるトラブルがありましたが、やはりローマでもたくさんのトラブルが待ち構えていました(笑)
まずはコロッセオでのこと。コロッセオはローマの中でも随一の名所なので、観光客がたくさん集まります。そういう場所には悪巧みをする仕事人も集まってくるものです。
私は基本一人で旅をするので、当然ですが自分の写真はほとんど残っていません。そもそも充実感マックスの自分を写真に収めに行くのが目的ではなく、1分1秒を惜しんで街の姿を見に行っています。職場に出す海外旅行届には新婚旅行の時を除いて全て「自己研鑽」と書いてきました。そんな私でも、もし相手から「写真を撮るよ!」なんて言い寄られたら、少し考えてしまいます。
私に声をかけてきた人は、ローマの兵士の格好をした男性でした。その時、その人はコロッセオで働いている人だと思い、「じゃあお願いします」と言ってカメラを渡してしまいました。その男性が被っていた甲と剣を渡された私は写真を2枚撮影してもらったのですが、「30ユーロ」と言われた時に、ようやく状況がわかりました。「写真を撮るよ!」と向こうから行っておきながらお金を請求するなんてふざけていると私は思ったので、「そんな話は聞いていない」と返しました。すると「これが私のビジネスだ」と言われたので、素直な私は仕方がないと諦めました。それでも30ユーロは高すぎるといことで、「20ユーロなら払える」と言うと「OK」と言われて交渉成立。そんな簡単に値切れるんかいとツッコミを入れてやろうかと思いましたが、そんな冗談が通じる相手でもなさそうなので、そのまま渋々お金を払いました。結果的にはぼったくられましたが、この時に、自分から交渉していくとなんとかなる部分もあるとい手応えを得ることが出来ました。そもそも冷静に考えると、売買の契約が出来ていないのに、お金を請求すること自体が違法なことです。もう少し強く出ることもできたかもしれませんが、貴重な海外旅行中の自分の写真なので「まぁ別にいいか」と納得をすることが出来ました。それでも、ローマで稼ぐ人のスタイルに私の中での常識が大きく揺らいだのも事実です。
トラブルは続々とやってきます。このぼったくり事件の後、コロッセオを見学した私はとても満たされた気持ちでフォロ・ロマーノに向かって歩いていました。人が大変混み合っている状況でした。そこに、2人の少女が私の右前方にまわって声をかけてきます。普通に歩いているだけなのに声をかけられるなんて普段でもなかなかないことなので、そちらに気を取られていると、体に変な感触を覚えました。ふと左後方を見ると段ボールで私の鞄を覆い隠しながら、中を探ろうとする女性がいたのです。すぐに「NO!!」と言って振り解きました。幸い、何も盗まれなかったのですが、ローマの貧しい人たちの生活が肌で感じられた経験になりました。家族ぐるみでスリをしなければいけない状態というのがとても辛い話です。この時の少女たちとお母さんが今健全に生活していることを願わずにはいられません。このような出会いも、人生観を変えてくれました。どうしても普段は平和ボケした常識にどっぷりつかってしまいます。しかし、自分が生きるために人から物を奪わなければいけない、そんなふうにして人生の大切な時間を費やしている人がいることに、自分の教育者としての使命感を覚えることが出来ました。これはイタリアだけでなく、大なり小なり日本に暮らす人にも当てはまると思います。少しでも多くの人に学ぶことと、価値を生み出すことの素晴らしさを伝えていきたいと、強烈に感じたのを覚えています。そう考えると、このトラブルは、実はローマで一番大事な経験だったのではないかと思います。
次のトラブルはスペイン広場でのことです。ここでいきなり私に声をかけてきた男性がいました。「日本人ですか?」「ナガトモ知ってる?」「ナカタは凄い選手だった」など、セリエAに死ぬほどハマった過去のある私にとっては超絶親近感の湧く内容で彼は近づいてきました。私もつい親近感から話を少ししてしまったのが良くなかったです。彼は「私と君はトモダチ!これはその証」と言って、いきなり私の腕に糸を巻きつけてリングを作り、そのついでに指にも糸を巻き付け始めたので、私は「これはタダでしてくれているのですか?」と聞くと、「20ユーロ」と、お金を請求されました。この非常識な行動には私もカチンときて、「買うなんて行っていない」と強く言いました。向こうもその姿勢にこれはお金を奪える相手ではないと思ったのか、指に巻き付けようとしていた糸を解きました。私の腕には既にリングが結ばれていたので、「これはどうしたらいい?」と聞いたところ、彼は「それはもういい」と言ってその場を去っていきました。結局無料でプロミスリングをゲットです(笑)。法的にこちら側が有利な状況で不利益を被りそうな時は遠慮せずに言うべきであり、それは外国でも十分に通用することであると実感しました。
こうして常識を大きく塗り替え、大量の経験値をゲットできたローマを去る朝、はぐれメタルを倒した時並みに豊かな経験値につながるトラブルがまたもや発生しました。それは空港行きの特急列車に乗る時です。イタリアでは特急列車は全て指定席に座らなければならず、その指定席の番号はチケットを買った時には記入されていません。別にスタンプをもらう必要があります。このことについては一応知っていたのですが、番号のスタンプをもらう場所が分からないまま列車に乗らなければいけない時間が来てしまいました。その時には、「まぁ日本みたいに最悪車内で車掌さんにチケットの手続きをしてもらえばいいか」と考えて乗り込みました。とりあえず指定席が分からないので立ったまま乗っていたのですが、そこに車掌と思われる女性がやってきます。そして自分がトラブルの渦中にいるということが判明したのです。
彼女は私に車内掲示を見るように言ってきました。そこには「指定番号がない状態で乗車した場合、即日であれば50ユーロの罰金、後日であれば100ユーロの罰金」と書かれていました。私も乗り込んだ時にこの掲示が目に入っていたので、もしかしたらという思いがありましたが、これはチケットを買わずに乗り込んだ人に関してのものであろうと考えていまいした。しかし、そんなことは関係なく、ただ番号が押されていない状態というだけで罰金が発生すると彼女は言いました。私は「番号が欲しかったけど、場所が分からなかったんです」と言いまいしたが、返事は「今なら50ユーロ。これを逃すと100ユーロです。」というセールストークが返ってきました。もうこれには「乗った!」と言うしかありません。旅の最終盤に100ユーロ以上手元に残しておいて本当に良かったです。これで払えない状態ならその後に大金を罰金として払う嵌めになるところでした。罰金とチケット代を合わせるとたしか約80ユーロの特急列車での旅でしたが、ローマの郊外にある空港までだったので、20分ぐらいでつきました。もう少し元が取れるぐらいの列車の旅がしたかったですが、これも人生の糧になると気持ちを切り替えて短い乗車時間を堪能しました。そう考えると、50ユーロの罰金は安いものです。
そして空港に着くと最後のトラブルが待っていました。それはチケット販売機にe-ticketの番号を入力しても「登録されていません。」の表示。何度トライしても同じです。これでは日本に帰れない!と焦りに焦りました。とりあえず窓口に行って「チケットに問題が発生している」と伝え調べてもらいました。すると、e-ticketはローマからオランダはアリタリア航空、オランダから日本もアリタリア航空となっているのに、実際はオランダから日本はKLMオランダ航空になっていたのです。そんなことがあるのかと衝撃を受けましたが、とりあえず問題解決。無事日本に予定通り返ってくることが出来ました。これも良い経験です。困ったら窓口へ即GO。これに尽きます。
最後のキーポイント「どんな場所でも自分らしく行動する」についてお話しして、ローマでの経験を締め括ります。
私はローマではすごく貴重な出会いをすることができました。トラブルや街の重要スポットで発見したことは大事な経験であり、自分の考え方を大きく変えてくれたと思います。しかし、私は美術教師です。一番欲しいのは美術教師ならではの経験です。ローマにいても、自分は美術教師らしい行動を取りました。そしてそれが思わぬ出会いへとつながりました。
私は外国に旅行した際には普段ほとんど自発的には描かないスケッチをします。美術教師ではありますが、趣味はどちらかとういとスポーツです。普段はテニスやランニング、筋トレに興じています。美術は好きですが、美術教育や作品を味わうこと、または美術を通しての仕事が好きで、決して普段は絵を自発的に描くことはありません。そんな絵を描かない私が旅先ではよく絵を描きたくなるのです。
旅先で絵を描くことの魅力をあげると、まず絵を描くことで、その街の姿をよく吸収することができるようになります。そしてその結果、街がより特別な存在となり、愛が深まります。そういう幸せな時間を味わうために風景画を描きます。そして、自分の絵を見る人が周りにたくさんいて、反響がすぐに得られます。
これを聞くと「注目されたいだけかよ」と思う人もいることでしょう。昔から目立ちたがりなところがあったので、確かに一部そういうところがあるのは否定しませんが、基本的には全く違った目的で絵を描きます。私は三原色(赤・黄・青)の色鉛筆だけで絵を描きます。三原色さえあれば、基本的な色は混色でつくれますし、視覚混合によって、実際の光を見ているような生き生きとした雰囲気を出すことができます。この描き方を知らない人が実は非常に多いということを私は大学院の時に気がつきました。それ以来、旅先には三原色の色鉛筆を携えてスケッチをし、私の絵を見た人とコミュニケーションをして三原色で自由に色を作り出せることの重要性を伝えるようにしてきました。ただ、人が少ない場所でやっても、そのようなやりとりは非常に限定的です。三原色による表現の自由を伝えたくてもなかなか伝わりません。
しかし、ローマは大都市であり世界中の観光客に溢れています。そんな街では、自分らしい行動をしていると、自然と「仲間」と呼べる人と出会うことになります。
私がこの絵を描いている時に、突然話しかけてきた女性がいました。その人はアジア系の人で、1人でローマの観光をしているとのことでした。彼女は「あなたの描き方がとても興味深い」と言ってくれました。普通ならここで終わるのですが、彼女は「フェイスブックのアカウントを交換しませんか」と聞いてきたので、私はそれに応じました。最近は交信していませんが、しばらくはFacebookやメッセンジャーでのやりとりもありました。彼女は私よりもはるかに旅行狂で世界中を1人でガンガンに攻めていてとても刺激をもらうことができました。
どんな場所でも自分らしく行動していると、選び抜かれた「仲間」と出会うことができます。出会いは待っていてもなかなかやってきません。しかし、自分が行動をしていると、それに見合った「仲間」が反応をしてくれます。そういう「仲間」はとても刺激的で、自分にとってとても価値ある存在になると思います。そして、そういう経験を自らつくり出していくことは自分自身への自信になっていきます。その自信は自分をいかすスキル向上につながり、また新しい出会いにつながっていくことと思います。やりたいことをひたすらやり続ける。自分がどんな場所に身を置こうが手を緩める必要なんてないでしょう。
最後まで読んでくださってありがとうございました。ローマに到達するかの如く長々と語ってしまいましたが、実はこれでも語り尽くせていないことがたくさんあるぐらいです。それぐらいに魅力たっぷりの経験をローマは私に与えてくれました。私はまたローマに戻ってくる約束としてトレヴィの泉にコインを投げ入れてきました。またいつの日か刺激に溢れた時間をローマで味わいたいものです。
「旅は人生を変える」シリーズは一旦終えて、また美術教師としての記事を次回からは書いていきます。再開1回目は「刺激的な空間づくり」についてです。また良かったら読んでください。
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