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12月, 2020の投稿を表示しています

2020年に達成できたこと10個と目標の立て方

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  2020年も大晦日。最後の時間を皆様どのようにお過ごしでしょうか。私は冬休み、大晦日といった特別な時期でもいつもと変わらぬ運動と勉強、そしてアウトプットに時間費やしています。この1年間はとても充実した1年でした。これについては前回の記事でもお話ししましたね。沢山の充実要素があり、毎日がとても満足できるものになりました。  人間が満足を覚えるのは確かな変化と成長が大切であると思います。今年はCOVID-19によって多くの困難が世界を襲いました。しかし、その一方で これまで以上に時間や現代社会と向き合い、そこから新たな一歩をたくさん踏み出すことができました 。そしてポジティブな変化と成長はたくさんの幸福感をもたらしてくれたのです。思えば今年の目標は「質の向上」というものでした。  今思うとある意味衝撃的です。今年の初めは「iPadさえまともに活用できてなかったんかい(苦笑)」というレベルです。今こうしてブログはiPadで書き、授業では毎時間iPadを活用して、自然あふれる場所だけでなくあらゆる場所にiPadを持ち込んで暇を見つけては仕事(遊び)をする。もはや体の一部になっているiPadですが、去年まで飼い殺しにしていたのです。今は忠実なペットというより、私と一心同体。フュージョンしてしまいました。自分の変化に誰よりも自分自身が驚くばかりです(笑)。その驚きはナメック星でネイルと合体したピッコロの「究極のパワーを手に入れたぞーっ!」状態です。この後ピッコロがたどった運命を考えると、そんなことに慢心せずにさらに精進をしていこうと思います。ピッコロも彼なりに精進は怠っていなかったと思いますが、限界を悟って修行を緩めてしまいました。しかし、現実世界はドラゴンボールの世界ほど過酷ではありません。 人生100年といういくらでもチャレンジができる時間がある私たちには多くのことに関して限界を悟る必要なんてありません 。昔はチャレンジすると早死にする危険性がありました。しかし、今はたとえ事業で大失敗して借金まみれになったとしても健康で文化的な最低限度の生活が保証されています。だからこそやりたいことにチャレンジして生き生きとした人生を安心して送れるというわけです。  ラングランが生涯学習を唱えて半世紀以上が過ぎましたが、人間の可能性は拡大するばかり。経済成長は成熟して、山口周氏が言うよ

2020年が自己最高の1年になった要素TOP5

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 オリンピックイヤーとなるはずだった2020年はコロナ一色と言っても良いような1年になりましたね。 皆さんにとって今年は良い1年になったでしょうか。私にとっての2020年は間違いなく人生史上一番自分が成長できた1年でした。もちろん、コロナ禍ということもあって色々と思うようにいかなかったことも沢山ありましたが、それ以上にコロナによって得られるものがあったと感じています。まさにピンチはチャンス。学校が臨時休業に追いやられた2月末は教師として働きがいのない最低の1年になると覚悟していましたが、 コロナによってもたらされた空き時間と社会の変化を感じることによって、次第に新しい考えをもつことができるようになりました。 そしてこのことが私に大きな変化と成長をもたらしてくれたと思います。  これまで私は美術教師として約10年間走り続けてきました。少しでも美術の魅力を伝えるために研究したり、美術の学習価値を補強するためにビジネス書など美術とは直接関係ないものも割と沢山読んで、幅広く知識を得てきました。自分としては割とマジで教員として活動してきたつもりですし、ある程度の結果を出してこられたと思います。  しかし、コロナによって学校が休校になったとき、自分が子どもたちにできることはほとんどないということを強烈に実感させられました。3学期の作品制作もいよいよ大詰めというときに突如授業が全てなくなってしまい、目の前が真っ暗になったのを覚えています。当時はまだ自分が転勤と決まっていたわけではありませんでしたが、薄々転勤であろうことは分かっていたので、3年生と2年生の授業で誠心誠意を込めて子どもたちの作品制作をサポートして、少しでも美術の価値を伝えたいと思ってラストスパートをかましていた時でした。突如終了した美術の授業。作品の評価もしなければいけなかったので、とりあえず作品を持って帰らせ、完成作品を登校日に持ってきてもらうようにするのが限界でした。  このとき、多くの子どもたちが家庭で自分一人で作品を完成させることになっても立派に完成させて登校日に持ってきてくれました。1年間なかなか作品制作に前向きに取り組めていなかった生徒がいたのですが、そんな生徒も最後に立派な作品を持ってきてくれたのは涙が出るぐらい嬉しかったです。そして私は気がつきました。 「ある程度の状態まで主体性を伸ばしておけば、学校

オリジナルの年賀状を大切な人に 〜SNS普及時代に考える年賀状の価値〜

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  最近年賀状を出す人が少なくなりましたね。今回年賀状の魅力について記事を書く私自身も基本的に自分から年賀状を出すことはありません(笑)。基本的にという言葉が入りしまいしたが、私は過去6年間、そして今年もですが、30枚以上は年賀状を出しています。「割と多いやん」と思われる人もいるかもしれませんが、これは私が担任をしている生徒の分がほとんどで、これに関しては自分から出しています。その他は送ってこられた場合に限って返すので、多くても40枚程度年賀状を書くという感じです。  これはあくまで私の個人的な考えになりますが、 手抜き感のある年賀状になるのであれば、SNSを利用して挨拶した方がよほど価値がある と思います。年賀状には新年の挨拶回りとしての役割があり、一年の感謝や普段会わない人との連絡を取る手段として価値がありますが、「挨拶程度にしかならない」というのが年賀状の不便なところです。  普段会っていない人で親しい人であれば、少し会話もしたいことでしょうが、紙の年賀状だと送り手がメッセージを送って、それに対して返事があるという程度で、まさかそこからさらに送り返すなんていう文通を始める人はいませんよね。「新年の挨拶に始まり、私たちは1年間で計100通のやり取りをしました!」なんていう人がいたらそれはそれである意味平安時代の貴族のようなことをしていて凄いですが、「どうしてLINEやメッセンジャーにせんかったん?」となりますよね。 SNSなら形式的な相互のやり取りだけでなく、「最近ハマってることは何かない?」「今度久しぶりに一緒にテニスしませんか?」と気軽に聞けますし、動画や写真を送ることもできるので、内容のあるやり取りが容易にできます 。関わりを大事にして年賀状を送るという人であれば、よほどSNSの方が生産性があるというわけで、SNSが年賀状に与えたダメージは計り知れないものがあります。  しかし、だからこそ年賀状の価値が見えてくると私は思います。本来、年賀状は特別大切な人に誠心誠意を込めて送るものでしょう。それが周りの人の目を気にして「あの人に送ったのであれば、この人にも」の状態で大量生産モードに入り、文章を考えるのも面倒ということで定型文の年賀状を出してしまう人がこれまで多くいたのではないでしょうか。そういう年賀状であれば、それこそSNSで良いわけで、 手抜き感のある年賀

より良い街の姿について考える 〜散歩から生まれる思考〜

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  私は倉敷市の中学校に勤める美術教師ですが、今回は傲慢にも街づくりについて考えを書いてみたいと思います。ただ、私は教科的に街のデザインについて子どもたちに考える機会がありますし、 私自身がそのようなことについて深い認識をもっていなければ、子どもたちの学びを引き出すこともできないため、今回の記事を書きながら、自分自身のレベルアップにつなげていきたい と考えています。普段からデザインや新しい社会に関する文献や情報を貪ってはいますが、やはり 自分の頭を使って考えを発信することが一番レベルアップにつながります 。今回の私の考えに対して、読まれた方の中には参考になったと感じられる場合もあれば、異論ありとなる人もいることでしょう。私は自分の考えが否定されたとしてもそれで良いと思います。別に自分の意見を通すためにこの記事を書いている訳ではないためです。ただ、一美術教師としての「らしさ」を発揮しながら考えを書いていきますので、「そんな考え方もあるんだな」ぐらいの感覚で読んでもらえたらと思います。  私の住んでいる岡山県総社市には国指定重要文化財である五重塔(備中国分寺)があります。田畑のど真ん中にあるこのお寺は五重塔がそびえる大変立派で美しい景色を私たちに見せてくれます。まさにこの街の象徴であり、市民の誇りとするところです。  しかし、この周辺は朝の出勤時間や夕方、休日には大変混雑することがあります。この道は岡山市につながるメインの道であり、近くには倉敷市にや高速道路につながる大きな道もあり、さらにはお土産のお店とそのための大きな駐車場もあるため、観光客の車とも相まって行楽シーズンを中心に混むことがあるわけです。下の写真は割とスイスイという感じになっていますが、混雑したときに写真を撮るとぼかしを入れるのが面倒なのでこの写真をチョイスしました。この写真でも交通量が少ない訳ではないというのは察しがつくことでしょう。私もよく岡山に行くときにはこの道を使います。  この道の混雑を改善して、この道を普段使う人だけでなく、より観光地としてストレスのない場所にするためにどのような方法があるでしょうか。この際に散歩で街の隅々まで知っている経験が役に立ちますが、逆に、もしメインストリートしか知らなければ、どのような考え方になりやすいかについても私なりに考えてみたいと思います。 散歩をしていなくてメ

散歩でインスピレーション

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  今回は散歩の魅力とそれから得られるインスピレーションについてお話しします。私は歩くことがとても好きです。海外旅行に行った時には街を歩き尽くすというお話を以前にしたことがありますが、今回の話題は日常的に行う散歩に関してです。  散歩が良い運動であり、ストレス発散効果があって健康に良いなんていうことは言うまでもないことなので、わざわざここでは語りません。 美術教師ならではの視点で語り、少しでも散歩に対して新しい視点をもっていただける ように記事を書きたいと思います。  私が散歩に魅力を感じるのは「 普段見逃していたことに気がつき考え方を広げられること」 「自然を身近に感じ、一体化することで極上のマインドフルネス効果を得られること」 「散歩を通してクリエイティブなアイディアが不意に浮かぶこと」 があげられます。そしてこれらが価値あるインスピレーションにつながります。こんなことを言っておきながら、実は私はただ散歩に出かけるというのは滅多にありません。大抵は何かのついでに散歩をします。例えば、ランニングからの帰り道で散歩したり、山登りを散歩のようにしたり、季節を感じるために外出ついでに散歩したり、などなど。散歩の魅力を語る者としては、あまりに散歩自体を軽んじていると私自身思いますが、そんな 散歩かじり虫の私でも散歩の効果を大いに感じている ので、今回は邪道な散歩かもしれませんが自信をもってその魅力についてお話ししたいと思います。 普段見逃していたことに気がつき、考え方を広げられる 散歩はのんびり自由気ままに歩くものです。この 「のんびり」「自由気まま」というのが散歩のもっとも顕著な特徴 であると思います。普段、車やランニングで走り抜ける街の景色はゆっくりと眺めるわけにはいかないので、想像以上に認識することができていません。たまたま興味深いものを発見しても、一瞬で走り去ってしまうため、すぐに忘れてしまいます。また、仕事で徒歩で移動している場合も散歩にはなりません。仕事で外を歩いて移動している時は大抵時間に囚われており、脇目もふらず早歩きをしている人が多いのではないでしょうか。これらはただの移動であり、 移動を目的とするわけではない散歩とは根本的に異なるもの です。   散歩をしていると、普段とはまた違った景色を感じることができます。その違いは普段気づくことができていなかった