より良い街の姿について考える 〜散歩から生まれる思考〜
私は倉敷市の中学校に勤める美術教師ですが、今回は傲慢にも街づくりについて考えを書いてみたいと思います。ただ、私は教科的に街のデザインについて子どもたちに考える機会がありますし、私自身がそのようなことについて深い認識をもっていなければ、子どもたちの学びを引き出すこともできないため、今回の記事を書きながら、自分自身のレベルアップにつなげていきたいと考えています。普段からデザインや新しい社会に関する文献や情報を貪ってはいますが、やはり自分の頭を使って考えを発信することが一番レベルアップにつながります。今回の私の考えに対して、読まれた方の中には参考になったと感じられる場合もあれば、異論ありとなる人もいることでしょう。私は自分の考えが否定されたとしてもそれで良いと思います。別に自分の意見を通すためにこの記事を書いている訳ではないためです。ただ、一美術教師としての「らしさ」を発揮しながら考えを書いていきますので、「そんな考え方もあるんだな」ぐらいの感覚で読んでもらえたらと思います。
私の住んでいる岡山県総社市には国指定重要文化財である五重塔(備中国分寺)があります。田畑のど真ん中にあるこのお寺は五重塔がそびえる大変立派で美しい景色を私たちに見せてくれます。まさにこの街の象徴であり、市民の誇りとするところです。
しかし、この周辺は朝の出勤時間や夕方、休日には大変混雑することがあります。この道は岡山市につながるメインの道であり、近くには倉敷市にや高速道路につながる大きな道もあり、さらにはお土産のお店とそのための大きな駐車場もあるため、観光客の車とも相まって行楽シーズンを中心に混むことがあるわけです。下の写真は割とスイスイという感じになっていますが、混雑したときに写真を撮るとぼかしを入れるのが面倒なのでこの写真をチョイスしました。この写真でも交通量が少ない訳ではないというのは察しがつくことでしょう。私もよく岡山に行くときにはこの道を使います。
この道の混雑を改善して、この道を普段使う人だけでなく、より観光地としてストレスのない場所にするためにどのような方法があるでしょうか。この際に散歩で街の隅々まで知っている経験が役に立ちますが、逆に、もしメインストリートしか知らなければ、どのような考え方になりやすいかについても私なりに考えてみたいと思います。
散歩をしていなくてメインストリートしか知らない場合
混雑の問題を解決するためにまず思いつくのが「車線を増やす」や「新しい道をつくる」という方法ではないかと思います。実際にこれまで日本は街の問題解決を足し算の形で多くは解決してきました。その結果多くの無駄が生まれたり、観光地であるにもかかわらず、その景観を壊すようなものが作られてきたといえます。大切なものを残し、なるべく無駄なものを築かないヨーロッパのスタンスとはかなり違います。日本は経済的に豊かになったこともあり、「問題解決するためなら、新しくものを作れば良い」というスタンスでやってきたと思います。確かにそれで「便利」にはなったのかもしれませんが、逆に失うものが多くあったと思います。観光都市の景観は乱れに乱れ、京都の景観でさえ世界の観光都市には到底太刀打ちできない状態です。五重塔が電線越しに見える景色は、絵にしたときにはシュルレアリスティックで格好良く見えるかもしれませんが、実際に見るときには、視界から消すことができない電線と電柱が五重塔を見るにあたって、不協和音的な存在であると私は思います。そう考えると、飛騨高山や白川はとてもうまくやっています。ここは景色が見事にハーモニーを奏でています。白川郷にも電柱と電線はありますが、さりげなくある程度なので、日本の原風景としてむしろ魅力をアップさせており、この地域が大切に観光地として守られてきた印象を受けます。
では備中国分寺周辺での渋滞や混雑の問題に戻りましょう。もしこの場所で車線を増やすということをすれば、確かに車の流れは良くなるでしょうが、それによって交通量はさらに増加する上、田んぼのど真ん中にある五重塔の景観をさらに奪うことになりかねません。この場所の魅力もまた原風景的なところにあり、備中国分寺に来た時には日常の喧騒から逃れて憩いの時間を過ごすことができるというのが魅力だと私は考えています。もし、大きな道が作られてしまうと、間違いなく騒音も大きくなるため、この場所での体験価値が下がってしまう恐れがあるのではないでしょうか。それは観光地として一番避けたいところです。
道路を大きくしたり、新しい道を作るというのは当然莫大な費用がかかります。場合によっては立ち退きを生むことにもなるでしょう。その上、観光地の魅力が低下するのでは泣きっ面に蜂でしかありません。しかも渋滞は常に起こるわけでもありません。そんな状況で莫大な費用や人々の生活に支障をきたすようなことはできません。
それなら別に問題はないではないかと思われるかもしれませんが、この状況で思考停止して、より良い形を目指さないのは、この場所が岡山を代表する観光地であるが故にもったいないと思うのです。常に進化して魅力を磨くのも悪くはないのではないでしょうか。
人の動きを利用して体験価値を上げる工夫
ではどのような解決方法があるか、散歩でこの周辺をぶらぶら見てまわった経験がある私の考えを書いていきます。現在、備中国分寺の南側には道路を隔ててお店と大きな駐車場がありますが、それ以外の場所には特にお店はありません。このお店+駐車場の効果は絶大で、「どうせ車を止めるならこの場所で」と多くの人が考えることでしょう。この場所から国分寺を眺めながら近づいていけるので、絶好の景色を写真に納めることができます。これがこの場所を観光する一般的な黄金ルートと言えます。
しかし、備中国分寺の北側にも実は大きな駐車場があります。こちらにはお店がなく、混雑することも基本的にありません。この場所は林が寺の建物を隠しているため、駐車場から向かう際に写真を撮る人はほぼいません。写真を撮るとしたら単純に植物に興味があるか、私のように他の人とは違った関心をもってこの場所に来ている人ぐらいでしょう。
当然のことですが、繁盛している南側から国分寺に行った場合、相当物好きな人でない限り、何もない北側に足を運ぶことはないでしょう。この北側を利用している人の多くは散歩をしにきている人だと思われます。実際によく犬を連れた人を駐車場で見かけます。そんな散歩をする人が主に利用する国分寺の北側ですが、私はこの北側から足を運ぶことにこそ、この観光地を存分に味わえるルートがあると考えています。
北側から行くと、林を抜けたら突如五重塔がドーンと威厳に満ちた姿で現れます。このサプライズ感がたまりません。まるで新車発表の際にベールが脱がされるかのような演出になっているのです。ここで強烈な感動体験をゲットです。一通りこの場所を味わい尽くしたら、南側に足を進めてここからまた素敵な景色を味わいます。そしてベストショットの場所から写真撮影。ここまで来たら道を挟んでお店があるので買い物をするのも良いでしょう。そしてまた北側に戻っていきます。この際にお寺に入らず、違ったルートから戻るのも良いでしょう。備中国分寺周辺を味わい尽くして北側駐車場に戻ります。
このルートの方が、最初から綺麗に五重塔を眺める事ができる南側からのスタートよりも個人的には魅力を感じます。最初に綺麗な全貌を見てしまうと、近づいて行って見ても、ただ迫力が少しずつ増していくだけで、五重塔の下まで来た時には感動が麻痺しています。迫力があるものは最初のインパクトが大切です。かつてフィレンツェの街で突如建物の間からドゥオーモの荘厳で巨大な建築が見えた時、そのスケールに自分でも驚きの感動を覚えた事がありますが、それと非常に似ています。見慣れてしまったものにサプライズを感じるピュアな心をもっていたいものですが、なかなかそれはハードルが高いと感じます。
さて、北側から備中国分寺に足を運ぶルートの魅力を語りましたが、もし、こちら側に人が分散して流れてくるのであれば、主要道路の混雑も緩和する事でしょう。しかし、何もない北側に、いくら体験価値があるからといって、わざわざ行く人は少ないと思われます。人は本能的に楽を求めます。大した手間でなくても、少しでも近くてお店がある方が良いと考える人がほとんどでしょう。そんな状況を改善するべく、北側から巡る魅力をPRしてもそれほど効果があるように思われません。
このような場合、たとえ南側に駐車をしたとしても北側に行く価値があると思わせる「何か」が必要だと私は思います。その一つとして、北側に南側とは違ったコンセプトを持つ魅力的なお店を作ることがあげられると私は思います。例えばカフェや工芸を作って楽しんだり、遊んだりできる体験重視の場所であれば、ついでに北側に足を運ぶ人が増えるだけでなく、そこに直接車で行く人も出てくると思うので、人が分散して国分寺周辺に集まるようになるのではないでしょうか。
こうして国分寺周辺の魅力が増せば、観光客もさらに増えるのではないかと思います。それによってまた新たな混雑が生まれるかもしれませんが、そうなった時はまた解決策を考えれば良いだけのことです。私は滋賀大学出身で、学生時代や京都府で講師として勤務していた時は、よく滋賀県長浜市に遊びに行くことがありました。長浜の街には黒壁というガラス工芸を扱った人気店が商店街にあり、相乗効果で商店街全体や近くの長浜城周辺も含めて大変活気のある街になっています。備中国分寺と五重塔は現段階でも人気観光スポットですが、これからより楽しめる要素が入って、魅力のある場所になってほしいです。そして、その良さを多くの人に知ってもらいたいと思います。
最後に
人々の心理を考え、その場の魅力を高めるデザインを考える。これはなるべく多くの人が持つべき問題意識なのではないかと思います。誰しもが自分の住む街がより魅力的になることを望んでいることでしょう。そのためには問題意識を共有し、より良い形にしていく実際の行動に移していく事が大切です。今の時代は問題意識の共有が非常に簡単にできます。みんながアイディアを出し合えば、必ず街は発展しますし、そこに住む人々の幸福度も高まると私は思います。
今回は前回お話しした散歩に関連させて、場所の魅力を知るためにはぶらぶら散歩して吸収できた経験から、より良い街の形について考えを書かせていただきました。散歩をしている人はたくさんいます。散歩をしていると思考が深まりやすく、普段考えたこともないようなアイディアが浮かぶこともあります。そんな散歩の力を多くの人がただ健康のためだけでなく、街のデザインについても生かしていけるようになれば素敵だと私は思います。そのためにみんなのアイディアが共有できる場(目安箱の意見をオープンにしたもの)があればと思いますが、総社市のホームページを確認しても、どうもそういうのはないようです。しかし、今後そういうものが生まれたら、もっと生活が豊かになるであろうと期待しています。
今回の街づくりに関する記事は、美術教師としては少し背伸びした内容だったかもしれません。しかし、私は一人ひとりが世の中をより良くする考えを発信することが大切だと思いますし、そういった視点を美術教師としてもち、子どもたちとの関わりの中で伝えていくことが必要だと思います。みんなで世の中を前進させていく感覚を大事に持ち続けたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。今回の記事を書くことで、私自身街づくりについて少し考えをこれまでよりも深める事ができたと思います。こういう身近な問題にこれからも敏感でありたいと思います。
次回は「年賀状の価値を高める」をテーマにお話ししたいと思います。最近年賀状を書かなくなった人は多いと思いますし、そういったものが虚礼だとかいう考えもあります。しかし、価値ある年賀状もあると私は信じていますし、今年も年賀状を用意しています。年賀状はもともと価値あるものだったと私は思いますが、時代の変化とともにその価値が薄れていった感は否めません。そんな時代の変化に逆行するかのような内容を書きますので、よかったらまた読んでやってください。それではまた来週!
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