美術嫌いを克服する教材 〜深層心理を生かした表現方法〜

 


 今回は美術嫌いを克服する教材ということで、誰でも簡単に取り組める「深層心理を生かした表現方法」を紹介したいと思います。

 私は大学院で研究していた時、美術と同じぐらいに興味を持った学問がありました。それは哲学と心理学です。これまでに美の哲学である美学に関する話をしばしばしてきましたが、今回は心理学に関連させて、「深層心理」という人の内面世界を表現する方法を生かした絵画の教材についてお話しします。理論的に教材は作っていますが、取り組む内容自体はとてもやりやすく、子どもたちにも納得してもらえる表現方法だと考えています。また、今回の記事は心理学の活用性とそれによって発揮される創造性について考えられる内容になっていると思いますので、美術や絵画に興味のない人にとっても有意義なものにできたらと考えていますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。


目次

1.深層心理を生かして個性を作品に

2.深層心理から表出したモチーフは表現の動機へ

3.最終的にはいかに遊べるか


1.深層心理を生かして個性を作品に

 深層心理についてはフロイトとユングがとても有名です。私の教材では彼らの考えを生かして、内面世界を表出させるような絵画を制作します。

 まずこの教材では、シュルレアリスムで用いられた自動記述法(オートマティスム)を用いて、心を無にして言葉や文章を書き連ねます。もしこれが完全に集中状態に入ることができて、なりふり構わずに書けたら良いのですが、さすがにそこは抑圧(セーブ)がかかってしまうもの。しかし、これでも十分に意味の分からない言葉や文章を書き連ねていくことになります。授業では取り組みやすいように単語レベルのもので書かせるのも良いと思います。文章と単語の差は大きく、単語にすることで文章が苦手な生徒でもそれほど苦しむことなく言葉を書き連ねることができます。


 ダリやマグリットなどで有名なシュルレアリスムという芸術運動はフロイトの心理学に強い影響を受けて始まったものです。フロイトは自由連想法という、言葉を自由に連想で膨らませながら文章を書いていくという方法を取りました。この方法を用いるなどして、自分の中に存在する無意識(意識にはならないもの)や前意識(努力すれば意識できるもの)、そして意識の構造について精神分析しました。

 私の授業で取り組むのは自動記述法なので、連想するようには言いませんが、自然と連想ははたらくもの。なので、フロイトの自由連想法に近いものになると言えるかもしれません。ここで大事なのは、自動記述法か自由連想法かの問題ではなく、子どもたちが深層心理を言語活動によって爆発的に表出させるところにあります。「細かいことは抜きにして、とにかく無心で言葉を書こう!」ぐらいで良いでしょう。つまり、この絵画制作は「書く」ことから始まります。

 これに関して、「書くことが苦手な子どもにとって辛い」という意見が上がるかもしれませんが、この「書く」行為は決して成績や正解に関することではなく、自分とコミュニケーションするための「書く」行為です。例えば、独り言や呟き、または頭の中をスッキリさせるためのメモ書き、自分との対話のようなもので、このようなことは人間であれば日常的に行っていることであり、自分のメンタルを正常に保つために大切なことでさえあります。ストレスが溜まってくると、独り言が多くなると言われていますが、これは実は大変大切なことなのかもしれません。独り言が多いと思う人が近くにいたら気持ち良く独り言を言わせてあげると良いでしょう。ただ、私自身独り言が多く出る時は周りの迷惑にならないよう、美術室へ篭りたいと思います。

 ではなぜ「書く」ことに嫌悪感をもつ子どもが多いのでしょうか。鉛筆やペンを見たり触ったりすることでアレルギー反応が出るなんていう人はいないと思いますし、それらの品を見てイライラしている人も見たことがありません。なんなら勉強が嫌いで「書くことが嫌い」という子どもでもこだわりのペンを使っている場合もあるぐらいです。こういうのを見ると本来人間は「書きたい」欲求があるのではないかと思います。「書く」ことが嫌いになる原因は、そこに成績や、覚えなければいけない正解といった「ストレス」になる要素があるからではないかと思います。しかし、そういったストレスになることに対しては筆が進まない人も、会話などになると急に饒舌になるのはよく見ます。無心になって「書く」というのは、それ自体が浄化作用(カタルシス)があるぐらいに、ストレスを軽減させてくれるものであることが言われているぐらいなので、ウォーミングアップとして取り組むのにはとても有効だと思いますし、これを通して「書く」ことのポジティブな面を子どもたちの中に培うことも狙いたいです。

 そうして出てきた言葉は書いた本人からしても相当に面白いらしく、お互いに見せ合う必要はないと言っても、自分の内面から出てきた言葉が自分でも面白くて、周りの人と自然と交流を始めます。中には同じ言葉が何回も出る場合もあり、「何回「金」って書いてんねん!(笑)」みたいなツッコミを入れ合ったり、ちょっと変態的なことを書いてしまって恥ずかしさを感じながらもゲラゲラ笑い合ったりする光景も見られます。「恥ずかしいことを書いてしまった場合は見せなくても良いですよ」と私は事前に言うのですが、それでも友達には見せたくて見せてくて仕方がないという衝動に駆られてしまうものなのでしょうね。SNSの普及からも分かるように、人は自分のことを認めてほしいという欲求があります。その欲求が満たされる場となると、自然とみんなのテンションも上がっていきます。お酒の力なしでもわけの分からないテンションになってしまうのが自動記述法の面白いところです。

 こうしてたくさんの言葉が出せたら、自然とその人の個性と言えるものが反映されていきます。ここでなるべくたくさんの言葉を出すことができると良いですが、逆に言葉が少なくても、それはそれで「防衛」タイプの個性を表すことになるので、何も書かないようでは作品制作としては辛いところがありますが、少しでも言葉があればその言葉にその人が集約されるため、それはそれで悪くはないと思います。いずれにせよ、自動記述法で上がった言葉の世界を次の段階に繋げていくことになります。


2.深層心理から表出したモチーフは表現の動機へ

 自動記述法で上がったものは表現をするための「モチーフ」になります。ただ、そのモチーフをそのまま再現しようとしてしまうと、写実的に再現することが苦手な生徒にとっては地獄のような時間になりますし、写実力のある生徒にとっても非常に負担の大きなものになり、手軽に取り組むことは困難になります。

 なので、ここであえて写実性を封印する表現方法をさせます。それが「絵具のチューブで描く」ということです。この表現方法だと全てが大胆な表現になります。モチーフはありますが、それに縛られない描画というのがこの表現方法のポイントです。


 モチーフという言葉はそもそも「対象、主題」という意味を表すフランス語ですが、この言葉はモチーブという「動機」を表す英語と同じ語源です。「描く対象」は「描く動機」を生みます。ただ、よく見かけるのがせっかくモチーフを設定できているのに、それを遠慮して表現しないというケースをよく見かけます。こういうのを見るとすごく勿体無いと思ってしまいます。せっかくモチーフを生み出せたのであれば、それを生かして表現すれば良いのです。そこに上手か下手かなんて問題ではありません。

 こうしてモチーフを大胆に描いていくと、色面が構成されていきます。自動記述法であがったモチーフはなるべく沢山使ってほしいところですが、その点で授業者側がこだわりすぎると、堅苦しく枠にはめられたものになってしまうので、そこは子どもたちの裁量に任せるようにします。チューブで描くと言いましたが、筆と水を使って色を伸ばすのも良いでしょう。

 そして、子どもたちにとって衝撃の時間がやってきます。それは絵具がのっている画面を折り曲げて、色を押し付け合い、模様を作る「デカルコマニー」という表現をさせるということです。せっかく描いた絵を潰してしまうこの行動。もし絵を丁寧に描いている意識の高い子どもがいた場合、そんなことをしたらショックで発狂し、そのまま虎になって山に走っていってしまうのではないかと思いますが、この絵の場合は、絵具で大胆かつ適当に短時間で遊ぶようにして描いたものなので、それを潰すことにはそれほど抵抗がないはずです。それでももしかしたらチューブに魂を込めて描いてしまう子どももいるかもしれないので、取り組む前にこだわりなく適当にリラックスして描くことを伝えておいたほうが良いかもしれませんね。


 デカルコマニーによって、それまで辛うじてモチーフの原型が感じられた絵も、ただの模様になります。これではモチーフを書き出した意味が内容に思われるかもしれませんが、モチーフを出したからこそ、ここまで淀みなく表現が進められます。何もモチーフがない状態で絵具で戯れることもできますが、それだけですごい表現ができるのは幼児のような、まだ固定観念に囚われず、自由気ままに表現できる子どもや、障がいをもっている人特有の、没入によって表現される生命感あふれる表現(アール・ブリュット)ができる人に限定されます。言語による強固な固定観念の世界に生きている私たちにとって、まずは言語を利用して、この言語の概念を壊すということが表現を発展させる上で大変意味のあることだと私は思います。この制作ではモチーフはあくまで描くための動機としての役割なのです。

 見たこともない模様が出現することに子どもたちは興奮します。表現を通して興奮できるような体験ができたら、この授業のミッションは十分に達成していると言えますが、ここからさらに深めてさらに強烈な体験にしていきます。

 まず、パッと見た時に何か見えるものがないか考えさせます。これはインクのシミから見えるものを心理的に分析する「ロールシャッハ・テスト」という心理検査で使われる方法ですが、この方法を考えたロールシャッハはフロイトやユングの影響を受けています。ここで、何か見えるものがあれば、それを強調するアレンジを加えさせます。また、自動記述法で上がった言葉と照らし合わせて見立てることができる部分はないかと考えさせ、そこから表現に発展させます。

 ここで一つでも何かに見立てて表現を発展させることができたら十分ですが、できた模様を生かして、さらに「遊び」を入れていくのも大切にしたいところです


3.最終的にはいかに遊べるか

 模様をさらに発展させたり、新たに形や色を追加させたりという、自由に遊ぶ表現が入ると、もう完全にマイワールドな感じの絵画空間になっていきます。ここでどリッピングやアクションペインティングを入れていくのも良いでしょう。ただ形と色と自分自身の行為に集中して模様をつくっていきます。この本能的とも言える表現はユングの心理学を生かしたものです。ユングの心理学では本能的な行為から人間としての根本的な存在を分析します。彼の心理学に強い影響を受けた画家がポロックです。彼のアクションペインティングからは人間の生命感がそのまま絵画になっている印象を受けます。




 画面上の絵具は乾いていないため、直接表現を発展させることができます。


 そうして出来上がった模様は、無意識で描いた要素が強いですが、その人の生命感がそのまま反映されたものになるため、これもまた「個性的」なものになります。作者が自分の作品を客観的に見ると、自分でも気がついてこれなかった自分の「素」を知ることにもなるかもしれません。

 このように、本能全開にして遊ぶのも良いですし、理性を働かせて、模様を何かに見立てて、そこから表現を発展させるのも良いでしょう。どのように書き進めるかは作者の自由です。結局のところ遊びに遊ぶことができたら、自然と自分らしさは発揮されますし、難しいことを考えずとも、魅力的な作品になっていきます

 そして可能であればコラージュも加えてさらに遊びを入れるのも良いかもしれません。これがなくても、十分に魅力的な作品になりますが、コラージュが入ることでさらに世界が広がります。コラージュによってありえない組み合わせ(デペイズマン)をつくったり、周りの絵を引き立てる効果を出すことができるので、コラージュも利用して制作で遊び込ませたいところです。コラージュは、もし納得がいかなければ貼り付けなければ良いだけなので、色々と試行錯誤させて子どもたちの遊び心を刺激します

 完成した作品にはタイトルをつけますが、ここで何も手立てをせずに考えさせると「夢」「欲望」「心」みたいな言葉のオンパレードになるかもしれません。作品が個性的なのにタイトルが普通では勿体無いので、少しタイトルのヒントを出しておくのも良いかもしれません。例えば、「自分が強調したところ」や「発見した自分の意外なところ」などについて考えるようにするとタイトルも多様化するでしょう。タイトルが個性的になれば、作品鑑賞会の時により鑑賞者が作品を楽しんで見ることができますし、発想と表現の関連性についての深い学びにもつなげられます。最後の最後まで、遊びながら作者のこだわりが滲み出る時間にしたいところです。


 最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は美術嫌いを克服する教材ということで、「深層心理を生かした表現方法」について説明させていただきました。発想力に自信がないという人でも、誰もがもっている内面世界をモチーフにして、それを適当でも良いので表現することができれば、そこからどんどん発展していきます。まずはモチーフを形と色ならどんな状態でも良いので置き換えてみること。それが個性的で見応えのある創造につながります。そのために、まずは無心になって言葉で内面世界を書き出し、表現するモチーフを生み出すことから始めてみてほしいです。メモすることで人生が変わるという話を最近よく耳にするようになりました。それに関する本がベストセラーになっているように、「書く」というのは自分の思考を整理し、行動の動機にもなります。私は美術教育においても、この「書く」という言語活動を大切にして、子どもたちの創造性を拓いていきたいですし、それと同時に「描く」という表現活動も充実させて、深い学びを実現していきたいと思います。

 次回は美術教育についての記事は一旦お休みで、「通勤時間の充実」について記事を書く予定です。まぁ、人生というもの自体がアーティスティックな活動であると考えたら、これも美術教育として取り扱っても良いのかもしれませんが。それはさておき、私は通勤の考え方をこの1年間で大きく変えてきました。通勤時間は朝の大切な時間ですが、これを充実させることで1日をとても良い状態で過ごせるようになったという実感があるので、これに関することを記事にして、より自分の中で通勤に対する考えを整理したいと思います。

 それではまた!

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