個性的な表現を可能にするポイント

 


 今回は特に美術科で重要視されている「個性的な表現」についてお話しします。そのために、まずは「個性」とはそもそもどのようなものであって、どのような意味で重要と言えるのかについて私の考えを述べさせていただき、その上で私が授業で実践している方法とそれを基にした教材について紹介したいと思います。

 一人ひとり違って当たり前であり、個性が尊重されるのは人権の観点からしても当然のことのように思われていると思います。しかし、そもそもこの個性と言うものについてどれだけ私たちが理解しているかというとかなり怪しいものです。「自分の個性について語ってみてください」なんて言われたら、一番分かっているはずの自分自身のことでさえ、きっとスラスラと説明することができる人はそういないと思います。当然、私も突然「自分の個性を説明しなさい」なんてこと言われたらパニックになります。「そんなこと言うんなら自分の個性をまず説明してくれ!」と心の中で叫ぶでしょう。

 つまり、美術の授業で教師が子どもたちにいきなり「個性を出して自由に表現しなさい」と言うことが実は物凄く無茶振りと言えるわけです。「個性ってなんやねん!」「自由ってなんやねん!」「わけわからんから、とりあえず好きなもんでも表現するか!アンパンマンでも描こう!」「いや、私は関ジャニが好きやから関ジャニのマークを描く!」となります。

 生徒作品を集めた美術展などでたまに目にするのが、視覚効果は抜群なのに、表現されている内容は「ありきたり」のものというやつです。ひどい場合にはアニメのキャラクターが描かれているだけというのもあります。このような作品は、教材として利用した素材(例えばステンドグラスのような綺麗な見え方をするもの)のパワーそして、洗練されたキャラクターの造形美だけで視覚的にインパクトが出ていて、「良い作品」というように感じるだけです。本当に魅力的な作品は見れば見るほど作者の想いが感じられるものであり、そこに「作者ならではの個性」を感じることができます

 美術教育では「個性」を伸長できるように、表現や鑑賞の活動を充実させることが大切です。そして、教師自身が「個性」というものについて理解を深め、それを子どもたちから引き出す方法をたくさん持っていることが重要です。私はこのような取り組みは子どもたちの将来に向けてとても大切な意義があり、美術教師として責任を感じています。そのような経験を子どもたちに提供し、少しでも多くの子どもが自分自身で個性を生かす方法を実践して、それを生きる道に繋げることができるようになれば、きっと幸せで充実感のある人生を歩むことができるでしょうし、そのような人々の活躍が社会を前進させていくものと思います。

 今回はやや長い文章になります。以下のような項目で話を進めていきますので、興味のある部分に絞って読むのも良いと思います。


1.そもそも「個性」とは

2.どのような意味で「個性」は重要か

3.個性を生かした作品制作「15歳が描く夢の世界」


 1と2はやや哲学的な内容で、美術に限らず色々なことに関係するものになっていると思います。そして3は私が中学校3年生に実践している絵画の授業に関するものになります。


1.そもそも「個性」とは

 このようなことをいうのも変なのですが、私はあまり「個性」という言葉を普段の授業では使いません。なぜなら、この言葉をわざわざ子どもたちに授業中に届ける必要がないためです。子どもたちの誰もが「個性」が大切であることぐらい分かっています。そんなことを教師がわざわざ強調して「個性が大切だ!」と叫び続けても、聞いている側としては「はいはい」としらけムードになってしまいます。

 誰もが個性が大切であることを分かっていながら、常に疑問となるのが「個性とは何か」ということです。ここがいまいち掴めていないにも関わらず、「個性的な作品やね!」と褒め言葉として使っても、言われた方は褒められたのは伝わっても、その言葉に対してピンとこないので、成長に繋げることは難しいと言えますし、もしかしたら、適当な決まり文句で褒めているという印象を持つ可能性さえあります。

 「個性とは何か」。このようなことを考え始めると、とてつもなく大きな話になってしまい、哲学的な考察が延々と必要になってしまいます。それをこのようなブログでやってしまうわけにはいきませんし、アカデミックな内容としてまとめ上げようと思っても、私には哲学や心理学に対する専門的な見識が足りません。なので、拙いながらも美術教師として考える「個性」の姿について述べさせていただきます。

 美術をしていると「個性」を感じる瞬間は毎時間必ずあります。これは制作時間に限らず鑑賞の時間も同様です。

 例えば、自分の手をデッサンするような写実的な時間であったとしても、手をどのように描くかは基本的には自由です。陰影を描いたり、バランスを取ったりといった基本的な部分はあっても、優しいタッチで描いたり、ハッチングを強めに描いたりなど、同じようなモチーフを用いても、30人なら30通りの表現が生まれます。これをもし、教師が「このようなタッチの出し方では高い点をあげられない」などと、予備校的なトレーニングをされてしまったら、なるべく個性(雑味)を出さずに、高い点数が出る描き方に統一されてしまい、多様な表現ではなくなります。ここで大切なのは、中学校の美術で取り組むデッサンは予備校のデッサンとは根本的に性格の異なるものだということです。義務教育として学ぶ中学校のデッサンは陰影や量感、バランスの取り方を学びながらも、「自分の表現したいこと」を中心に考え、それを試行錯誤しながら形にしていったり、失敗も生かしながら、学んでいくというのが目的になります。その結果、作品は多様化しますし、その中でその人らしさが滲み出てきます

 鑑賞においても、ある作品を見た時にイメージすることは様々です。例えば、ゴッホの「ひまわり」は有名な作品ですが、この作品を見た時の解釈は様々だと思います。ひまわりの描き方、元気な花と枯れた花、全体の配色など、それぞれ解釈に違いが出ます。もしかしたらこのひまわりを見て元気になる人もいるかもしれませんし、枯れた部分を見て、人の一生について考え、諸行無常に浸る人もいるかもしれません。多様な解釈が生まれる原因は、それを見る人がそれぞれ異なる価値観を持っているからであり、それぞれが持つ価値観が作品との化学反応で多様な感想が生まれます



 つまり、アウトプットの結果、生み出された各々の「違い」から私たちは「個性」というものを捉えることができるようになります。そして、美術の授業で「個性」を伸ばすためには、まずアウトプットをしやすい仕掛けをすることが大切と言えます。そのアウトプットが何かを模倣したり、特定の正解を導き足したりするものでない限り、個性的な何かになるはずです。そして、このアウトプットが増えることによって、アウトプットしたもの同士が掛け合わされ、多様化していきます。このような掛け算による多様化が生まれた時に初めて「個性」と言えるものが生まれたことになると言えるのではないでしょうか。この多様化はabcdという感じに別の要素が掛け合わされても良いでしょうし、ひたすらaaaaと同じ要素で次数を上げていく「職人的な」個性であっても良いと思います。大切なことは自分が主体となって行ったアウトプットの量であり、そこに他人では真似できない「個性」が生まれると思います。それゆえに、作り込まれた作品や文章は個性が滲み出るものになりますし、一つの作品に集中的に取り組まず、モネのようにたくさんの作品(睡蓮や積みわらの連作で有名)を制作する中で個性が輝く場合もあります。


2.どのような意味で「個性」は重要か

 独自の考えや表現をアウトプットし、発展させていくと、自ずと自分自身についてメタ認知する可能性が高くなります。メタ認知とは自分自身のことを客観視して自覚することであり、これができるようになると、自ら判断して思考を深めたり、表現を発展させたりすることにつながりやすくなります。アウトプットすること自体が「個性」の一部を表出したことになるため、表現したものからメタ認知し、そこからアウトプットしてさらに次のメタ認知を生み出していくというのが、理想的な表現活動の発展する状況であり、これは学習活動他様々なことに共通して言える好循環のサイクルと言えます。よくPDCAサイクルとかPDRサイクルとか言われるものもこの構造を本質的には含んでいると言えます。

 人は自分にとって関心が持てるものにはとことん貪欲になれます。そして自らのアウトプットによって表出した「個性的なもの」を前向きに捉えることさえできれば、あとはサイクルが回り始め、自然と表現が発展し、「個性」も際立ったものになっていきます

 そのようなプロセスを教師が見取りることができれば、子どもの取り組みをに対して「褒める」ことができるようになり、次のような言葉が自然と出ます。


「この部分凄い工夫してるな! この表現はどういう狙いがあるんかな?」

「こんな表現の方法もあるんやなぁ!これは見たことないわ!」

「この部分の色使いめちゃ工夫しとるな!これはどういうテーマなんかな?」

「徹底的にやってるな!この部分から執念のオーラが滲み出てる」

「これ見てるだけで楽しくなるわ!これからの進化も楽しみ!」


 もはや感動を率直に言っている状態ですが、子どもたちの表現に関心を持ち、工夫に気がつくこと自体がとても大切なことだと思っています。たまに感動しすぎて作品の解釈を勝手にしてしまい、その解釈に子どもが引っ張られてしまうという失態を演じてしまうのが私の悪いところですが、なるべく子どもたちの良い部分を掴んで、それを子どもたちに投げかけて達成していることをメタ認知できるようにしたいと考えています。

 自分を生かして表現するために「個性」をアウトプットしていく場合、表出するものはポジティブなものばかりではありません。時としてネガティブなものが出てくる場合もあります。そういった表現はもしかしたら周りの生徒だけでなく、教師からも敬遠されることがあるかもしれません。しかし、そこは基本的には本人に任せるべきであると私は考えています。

 たまに教師によってネガティブな内容をポジティブなものに変更させられたという美術作品や作文の話を聞きますが、それは基本的にはあってはならないことだと考えています。もし内容が犯罪を予告するようなものであれば話は違ってきますが、悲しみや不満をテーマに作品にすることは何の問題もありません。そもそも人間はネガティブに物事を考える動物です。そうすることで危険を未然に回避したり、用心深く準備をする大切な習性を身につけることができました。思い悩むのは人間ぐらいのものであり、それ以外の動物は過去を悔やんだり、未来に不安を抱いたりもしません。

 ネガティブな思考もアウトプットによって深めていくと、人間にとってとても大切な内容につながるものです。そういうネガティブな部分も含めて「個性」として前向きに捉え、安心して表現できる環境を子どもたちに提供することが大切だと思います。子どもたちには自己肯定感を持てるように指導することが大切であるとよく言われますが、ネガティブ思考な人が必ずしも自己肯定感が低いわけでもありません。ネガティブで注意深い「個性」が認められることで自己肯定感も上がると思います。自分がそのまま肯定される心理的安全の中でこそ自己肯定感は育まれると考えています。

 様々な特性を持った子ども一人ひとりが「個性」を生かして深い内容をもった作品ができ上がると、作品鑑賞会での学びも充実したものになります。もし作品鑑賞会がただの写生だけだと上手か下手かの鑑賞にしかなりませんが、生徒各々の強烈な「個性」が詰まったある意味哲学的な作品を鑑賞すると、魅力的な作品を作る上で大切なことを様々な角度から考えることができるようになりますし、他者との相対的な関係の中で、より自分自身の作品の独自性、さらには制作を通しての課題といったものもメタ認知することができるようになります。

 このように制作や鑑賞を通して、最後に振り返りをしたときに「個性」が大切であることを子どもたちの側から実感をもった意見として出た場合は、私も100%同意する形で「やっぱり個性って大切ですね」と言えます。個性が何であるか、いまいち掴めていない段階で言うより、全てが完了してまとめるときに「個性」の大切さを言った方が余程説得力があるだけでなく、個性的な表現をする上で鍵となった要因をメタ認知できるように問いを投げかけることもできます。

 制作や鑑賞の時間の充実のためには個性的な表現の積み重ねが不可欠だと思います。教師として、子どもたちの表現をよく見取り、そこから滲み出る「個性」を掴み、その部分に関心を注いで子どもたちが自信を持って表現を発展させられるようにしていきたいと思います。


3.個性を生かした作品制作「15歳が描く夢の世界」

 最後に私が中学3年生を対象に行ってきた教材「15歳が描く夢の世界」で行っている個性を引き出す方法を紹介したいと思います。これはシュルレアリスムの技法やコンセプトを参考にして絵画制作するもので、15歳の夢や葛藤で複雑な状態になっている心の世界を表現します。

 この制作では以前にも紹介したことがありますが、オートマティスム(自動記述法)と呼ばれるシュルレアリストが行った心を無にして記述をし、無意識の世界を解放する方法を最初に行います。これに当てる時間は2分程度ですが、子どもたちは10〜20ぐらいの言葉や文を書苦ことができます。ここであがったものをいくつか選び、それを作品の内容やテーマの材料として考え、アイディアスケッチを描きます。


 オートマティスムで出てきた言葉は深く考えずになるべく自分の素が表出するようにします。この言葉と文の集まりを見ただけで、よく知っている人であれば誰のことか分かるぐらいその人の姿が目に浮かぶのがオートマティスムの凄いところで、これによって個性的な作品のベースはほぼ出来上がります。

 ここから使いたい言葉を選ぶため、表出したもの全てが反映されるわけではありませんが、これらをいくつか組み合わせて画面構成するだけでも十分に独創的なアイディアスケッチになっていきます。掛け合わせる要素が多いと、その分変化も大きくなりますが、内容を絞りたいミニマリストタイプの表現もその人の特徴を反映させることになるので、選ぶ言葉は少なくても良いことにしています。このように表現できる内容を最初に出しておくと、作品の発想に困る子どもは少なくなります。発想に困るケースというのは、大抵は一歩目が出ず、頭の中でイメージが混乱して良いアイディアが出せないという場合が多いと思います。しかし、この手順を用いると、最初にイメージを膨らませることができるので、割と短時間でどんどんアイディアスケッチが進む子どもが多いです。

 表現する際には、オートマティスム以外にもデカルコマニーやフロッタージュ(擦り出し)、デペイズマン、ダブルイメージ、コラージュなどシュルレアリストが用いた技法駆使して、イメージを融合させていきます。これらの技法を参考にすることで、要素の掛け合わせが非常にやりやすくなります。これらを単なる技法として子どもたちに使わせるのではなく、これらの技法がどのような効果を生み出すものであるか、そしてその視点は美術以外の他のことにも生かすことができるかを考えさせるようにしています。私の感覚ではデペイズマンは点と点を結ぶような技法で、それまで関係がなかったように思えたものを組み合わせることで新しい意味を生み出すことができます。この技法を美術以外の様々な場面で用いる視点を持つことが日頃からアイディアマンとして一目置かれる存在になれるのではないかと思います。もしかしたら変人扱いを受けるかもしれませんが、世の偉大な発明家はみんな変人扱いされながらも信念を曲げずに価値あるものを生み出し文化や文明の前進に貢献してきました。

 普段常識の世界に生きていて意識したこともないようなことを絵の要素として形にし、自分の納得がいく状態を模索しながら組み合わせたり手を加えたりすることを通して、夢の世界を描いていくと、作者にしか生み出せない個性的な表現に自ずと発展してきます。この制作では用いる絵具を自由にしているので、イメージに合わせて最適な着彩方法を選び、作品を仕上げていくことができるようにしています。各々の全く異なる世界を表現するのであれば、絵具も自由、技法も自由というわけです。ただし、クレパスやクレヨン、色鉛筆などでどのような表現ができるか作品例を示すなど、普段用いていない絵具の効果が分かるようにしています。

 普段使っていない絵具や技法を使うため、作品はかなり実験的になる可能性がありますが、大事なのは完璧な作品にすることではなく、制作を通して深い学びを経験することです。制作の過程自体を作品として捉え、子どもたちが安心して表現活動に取り組める授業環境を提供できるように研究と実践を積み重ねていきたいと思います。


 最後まで読んでくださってありがとうございました。今回も大変長々と文章を書いてしまいましたが、「個性」という壮大かつ、美術科の教育的意義として非常に大切なものを扱った内容だったため熱くなってしまいました。一人ひとりのが自分の「個性」を理解し、それを表現することを通して自己肯定感を上げることができれば、きっと何かしらの形でその子の将来にポジティブな影響があると私は信じています。そういう役割は美術教師だけのものではないと思いますが、美術の時間が及ぼす影響というのは大きいでしょう。その責任の大きさを感じながらも、私は美術教師としてのやりがいと捉えていきたいです。

 最近の内容はヘビーなものが多かったので、次回は大切なことながらもライトな内容にしたいと思います。私は1日の大半を立って過ごしています。普段椅子に座る時間というのは食事の時と、風呂から上がって寝る前のリラックスタイム、そして職員室で仕事をするときぐらいです。この中で職員室の椅子に座る時間が一番長いわけですが、私は椅子に座るとかなり姿勢が悪くなる癖があり、これをなんとかしたいと思いながらなかなか克服することができていませんでした。そんな中あるものを発見して姿勢良く座らざるを得ない状況を作り出すと同時に、体感のトレーニングもできるというアイテムを発見しました。次回は私が職員室で使っている椅子について紹介します。座って仕事をしていて体が疲労しているという人には是非という内容になると思いますので、よかったらまた見て欲しいと思います。

 それではまた!

 

 



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