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8月, 2021の投稿を表示しています

教育美術 第3回「美術室の出入口のデコレーション」

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  教育美術第3回目は美術室の装飾についてです。第1回「 国旗で彩られた地図 、第2回「 トイレのパーテーションデザイン 」のように、美術の授業時間以外での美的な刺激も大切だと思いますが、やはり私にとって普段から一番関わりのある美術室が教育美術作品を展示する主な場所になります。  美術室のスペースは可能な限り美的刺激で満たすことが私のモットーで、教室にはたくさんの生徒作品(基本的にはレプリカ)を展示しています。もちろん全ての作品を展示することは不可能なので、展示されていなくて「自分の作品は展示されていないのかぁ…」と残念な顔を見ることもありますが、それを考えてしまうと作品は全く展示できませんし、展示する作品が有名な画家の作品ばかりになってしまうと、生徒からするとかなり距離を感じる作品だらけになってしまいますし、そもそも有名な画家の作品なら教科書や美術資料に美しい画質でたくさん載っているので、それを教室に掲示する必要は基本的にはないと考えています。それに対して、身近な人の作品というのは生徒にとって大変刺激的で、「同じ中学生がここまでできるのなら自分にもできそうだ」となり、美術に取り組む際のモチベーションにつながるものと感じています。  生徒の作品を展示するなどして美術室の中を徹底的に見応えあるものにすることを常々考えているわけですが、この 美術室の出入口はそんな空間を象徴する大切な場 であると考えています。出入口は家で言うところの玄関。大抵の建物の玄関はいつもきれいに保たれていると思います。逆に玄関がひどい状態というのは内部も怪しい状態なのではないでしょうか。なので、生徒が気持ち良く入ってこられる状態に出入口のドアを整えることが大切だと考えています。おもてなしの精神ですね。  私はこれまで勤めてきた学校の出入口に植物の写真を組み合わせてデコレーションし、窓の部分はステンドグラス風にするという方法でアレンジしてきました。質的な部分で考えたらドアに直接ペンキなどで塗った方が良いものになるかもしれませんが、それは学校施設の性質上ハードルが高いので、ラミネートした写真や画用紙を両面テープで貼り付けるという手軽な方法でアレンジしています。  そもそも、私がこのようなアレンジをしようと考えたきっかけはフィレンツェに行ったときに( 旅は人生を変える フィレンツェ )街の象徴であるサ

教育美術 第2回「トイレのパーテーションデザイン」

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  前回に引き続き、今回も教育の要素を美として表現する教育美術についてです。  今回紹介する作品は「トイレのパーテーションデザイン」です。これは以前勤めていた学校が新校舎を建てることになり、その際に利用していたプレハブ校舎の男子トイレに設置されていたパーテーションが壊れてしまったので、それを修理して再設置する際にデザインを施しました。  プレハブのトイレということで、最初に設置されていたパーテーションは粗末に扱われて、板がボロボロになり、最終的には壁から外れ、男子トイレは廊下から非常に見渡しの良い状態になってしまいました。隠れようがなくなったトイレで男子生徒たちが恥ずかしそうに利用するのを見て、私の担当学年ということもあり、早くパーテーションを修理する必要性を感じていました。ただ、 普通に直しただけではまた同じように壊される気がしたので、何か良い方法はないかと考え、パーテーションを作品化する という案を思いつきました。私は校内や美術室に美術作品や作品のレプリカを展示してきましたが、そういった美術作品であれば悪戯をする生徒がこれまでいなかったので、 パーテーションを作品化すれば同じように大事に扱ってもらえるようになるのではないか と考えたわけです。  教頭にパーテーションに入れる図のスケッチを見せ、許可が降りたので、新しい板を貼り付けて修理したパーテーションに「Gentlemen」の文字と男性のピクトグラムを描き込んで設置しました。見ての通り、トイレのピクトグラムとしては「無駄な」ポーズをとっているので、内心教頭から却下されるのではないかとヒヤヒヤしていましたが、遊び心を理解していただける方で本当に良かったです。私の中では、この「無駄な」要素こそ作品化する上で大切だと考えていました。  私はこの機会を美術の価値を生徒に伝える良い機会だと捉えていたので、勿論普通のピクトグラムでも良かったかもしれませんが、 美術やデザインの面白さと遊び心を形にすることの大切さを生徒に気づいてもらうには、「ノーマル」より適度な「アブノーマル」が効果的 であると考え、モデルのようにポーズをとった「無駄に」格好を付けているピクトグラムを描きました。こうして再設置されて以降、このパーテーションはプレハブ校舎が解体されるまでその役割を全うすることに成功しました。  私は楽しめる「無駄」を作り出すこ

教育美術 第1回「国旗で彩られた地図」

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  今回のはブログ開始2年目の第1号ということで、私が美術のジャンルで一番力を入れてきたと言える「教育美術」について記事を書きました。  私自身はもともと美術が専門ではなく、美術を志したのは大学4回生になってからなので、絵画や彫刻のスキルに関しては美術教師として最低限必要なレベルしかありません。実際にデッサンも決して得意ではありませんし、教員採用試験に合格した時の評価もギリギリセーフというレベルでした。  ただ、美術というもの自体、東京藝術大学レベルのスキルが必要かというとそうではないと思いますし、 特に美術教育に関しては、生徒が美術に関心をもてるように授業や教材を工夫したり、生徒と美術を通して関係をつくったりすることが大切 なので、自分の表現スキルが高くないことがそれほど不利に働いてきたとは思いません。大切なことは自分にできる美術で勝負することだと考えて、これまで学校で活動をしてきました。  とは言っても、美術教師になりたての時は美術における自分の持ち味を確立できていませんでした。美術を志してから絵画は努力して学んできましたが、如何せん2年間ぐらいのそこそこのトレーニングでは自分の持ち味にするにはあまりに未熟でした。なので、 自分の武器を美術以外の要素から考えてみる ことにしました。そして、それまで専門にしていた英語や異文化に関する知識や関心、そして大学院で主に研究した美学や教育学が美術の経験値の低さを補ってくれると考え、「教育美術」というジャンルが自分を生かせる方法だと考えるようになりました。  「教育美術」という言葉自体は書籍として存在するのですが、私がここで言う「教育美術」というのは、 教育を美の要素にして表現すること を意味します。学ぶことの面白さに火を付けるような仕掛けを芸術的に表現したい。そういう思いからこれまでに色んな作品を制作してきました。  そもそも、 美術作品というもの自体、見る人に何かしらの影響を与えて価値観の変化を引き起こす「教育的な」側面がある と思います。そして、刺激的な作品は感動を伴って深く記憶に刻まれます。教育も本来は感動体験を伴った刺激的なものであるべきだと思いますし、主体的な学びもそういう状態によって実現するものと思います。  個人的には教育全体について色々と思うことがあり、述べたいことがありますが、今回は欲張らずに、美術教師の

ブログを1年間続けてみて

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  今回は昨年の8月13日から始めたブログが丸1年を迎えたということで、この1年間の振り返りをして、ブログを書くことの魅力と今後の課題についてまとめてみようと思います。  振り返るとあっという間の1年間でした。結論から言うと、1年間ブログを書いてきて本当に良かったと思いますし、これからさらに内容を良いものにしていきたいと考えています。この1年間はコロナ禍ということもあり、学校教員として今後の在り方についてこれまで以上に考えることが多く、その中でブログを書いたり、美術教師としてホームページを立ち上げたりと、自分の発信力を高めて美術や教育について少しでも貢献できることがあればと思って活動をしてきました。私は元々飽きっぽくて、継続することが苦手なタイプです。意を決して始めたことも三日坊主どころか1日でピリオドを打つようなことばかりでしたが、学級通信やこのブログは奇跡的に継続することができています。継続するのが苦手な自分がこうして続けられていること、そしてまだこれからも続けていこうとしているのが実に奇妙です。こんなに継続することができたのは過去を振り返っても中学時代のバス釣り以来です。  ただ、また1年間これまでと同じように継続していくわけにはいきません。今後さらに活動のレベルを上げていくためにも、1年という節目でブログを書くことの意味と可能性について考え、また来年2年間継続して見えてきたことを考えることができたらと考えています。もしブログを書くことや、何かを発信することに興味がありましたら、今回の内容に目を通していただけると嬉しいです。  今回は以下のような内容で記事を書いています。 1.ブログを書くことの魅力 ①自分の考えが深まる ②普段のものの見方が変わる 2.課題とこれから ①文章をコンパクトに ②役に立つ要素 ③効率良く記事を書く時間活用  今回もかなりのボリュームになるので、ポイントで絞って読んでいただいても良いと思います。 1.ブログを書くことの魅力 ①自分の考えが深まる  普段やっていることは感覚的なことが多く、やることの理由を聞かれると答えるのに困ってしまうことも多いと思います。「美術教育の意義とは何か」「主体的な学習態度を伸ばすために大切なことは何か」といったことは話し始めると割と延々と話せるものですが、 端的にまとめて説明したり、深い話をしたりするため

夏に利用したい憩いの場

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  暑い日が続いていますね。こんな暑い時期にはクーラーをガンガンに効かせた家の中でゆっくりしたいものですね。運動で汗をかき、すぐにシャワーで汗を流せるのであれば、暑さに耐えたりや汗だくになったりすることも許せるかもしれませんが、何もしていないのに汗が出て、作業をするにも集中できないような気温というのは、おそらくほとんどの人が避けたいことなのではないでしょうか。  私自身は夏の授業や部活動でダラダラに不快な汗をかかなければいけない宿命にあるため、あたかも冷蔵庫の中にいるように体をキンキンに冷やし、汗もかかずにいつもサラサラ、そんな快適な夏の生活に私は憧れてしまいます。もしかしたら、外にあまり出る必要がない人はこれにかなり近い状態で夏の日々を送っているかもしれませんね。単純に羨ましい限りです。  しかし、キンキンに体を冷やし、暑いはずの夏に汗をかかない毎日を過ごしていると体が不調を訴え始めます。いわゆる夏バテは国民的病気とも言っていい夏の風物詩。バテるは夏の季語としても通用するレベルです。実際に、夏になると周りの多くの人が「しんどい」「あっつ〜」と言ってだるそうにしているのではないでしょうか。そして私も安定して夏バテになり続けてきました。しかし、だからと言ってクーラーのないところで過ごすというのも体力と精神力が削られます。私自身、部活動の指導で灼熱の太陽が待ち構えるテニスコートに出陣する時は気持ちが重たくなりますし、部活動終了後にはもう何もやる気がなくなって廃人状態になってしまうのがこれまでの常でした。運動をしている時以外は体を冷やし、冷たいものを飲み過ぎるといったことが疲労感を助長しているというのもあったと思います。  夏の生活で全くバテずに過ごすというのは避けられないことのように思います。余程空調管理された場所で過ごし、適度に運動をすることができれば話は別ですが、そういう環境に身を置ける人というのは多くはないでしょう。しかし、私たちの利用できるものをうまく利用し、生活を少し見直すことで、過酷な夏と多少なりともうまく付き合っていけるようになるではないかと思います。今回は夏に利用したい憩いの場ということで、お家でキンキンに体を冷やしてゴロゴロ過ごすという方法以外で気持ちも体も癒される場所を紹介します。何か参考になることがあれば、残りの夏の生活に生かしてみてください。 朝