教育美術 第2回「トイレのパーテーションデザイン」
前回に引き続き、今回も教育の要素を美として表現する教育美術についてです。
今回紹介する作品は「トイレのパーテーションデザイン」です。これは以前勤めていた学校が新校舎を建てることになり、その際に利用していたプレハブ校舎の男子トイレに設置されていたパーテーションが壊れてしまったので、それを修理して再設置する際にデザインを施しました。
プレハブのトイレということで、最初に設置されていたパーテーションは粗末に扱われて、板がボロボロになり、最終的には壁から外れ、男子トイレは廊下から非常に見渡しの良い状態になってしまいました。隠れようがなくなったトイレで男子生徒たちが恥ずかしそうに利用するのを見て、私の担当学年ということもあり、早くパーテーションを修理する必要性を感じていました。ただ、普通に直しただけではまた同じように壊される気がしたので、何か良い方法はないかと考え、パーテーションを作品化するという案を思いつきました。私は校内や美術室に美術作品や作品のレプリカを展示してきましたが、そういった美術作品であれば悪戯をする生徒がこれまでいなかったので、パーテーションを作品化すれば同じように大事に扱ってもらえるようになるのではないかと考えたわけです。
教頭にパーテーションに入れる図のスケッチを見せ、許可が降りたので、新しい板を貼り付けて修理したパーテーションに「Gentlemen」の文字と男性のピクトグラムを描き込んで設置しました。見ての通り、トイレのピクトグラムとしては「無駄な」ポーズをとっているので、内心教頭から却下されるのではないかとヒヤヒヤしていましたが、遊び心を理解していただける方で本当に良かったです。私の中では、この「無駄な」要素こそ作品化する上で大切だと考えていました。
私はこの機会を美術の価値を生徒に伝える良い機会だと捉えていたので、勿論普通のピクトグラムでも良かったかもしれませんが、美術やデザインの面白さと遊び心を形にすることの大切さを生徒に気づいてもらうには、「ノーマル」より適度な「アブノーマル」が効果的であると考え、モデルのようにポーズをとった「無駄に」格好を付けているピクトグラムを描きました。こうして再設置されて以降、このパーテーションはプレハブ校舎が解体されるまでその役割を全うすることに成功しました。
私は楽しめる「無駄」を作り出すことが美術の大切な一つの側面であると考えています。機能的には問題がなくても、「面白み」があるかないかで全く異なってきます。一見すると「無駄にこだわってない?」と思われるようなものが人を感動させるアート作品になったり、テーマパークといった夢の世界のような場所を作ることになったりするのではないかと思います。
これに関係して、一見機能的ではなく、実用性がないものでも実は私たちの生活に大きな影響を与えてくれるものとしてパブリックアートがあります。パブリックアートは機能的には「無駄」かもしれません。機能の面だけを考えるのであれば、パブリックアートを設置するぐらいなら公衆トイレを設置した方が良いでしょう。しかし、パブリックアートには人々の心に働きかける象徴的な意味での機能があり、硬い雰囲気のオフィス街を行き交う人に刺激を与え、「非日常的な」楽しみを感じさせてくれたり、生きる上で大切なことについて考えを深めさせてくれたりするのがパブリックアートです。
また、ヨーロッパの観光都市に見られる古い街並みも、建物の外観がもつ魅力が生かされているからこそであり、もしこういった街が建物を全て機能性重視のものに変わってしまったら観光都市としての魅力を失うだけでなく、その街に住む人々の美意識にも決して良い影響を与えないのではないかと思います。ローマの古代遺跡が機能的に無駄と言われて広大な駐車場になってしまったら観光客は来なくなり、古の都ローマは滅んでしまいます。廃れた商店街の建物を壊して駐車場にしてしまうのとはわけが違いますね。
環境の面からの美的な教育力というのは看過すべきものではないと思います。学校という場で、パブリックアートや美しい景観をもつ観光都市のように、その場に関わる人々に美的な刺激を与えるアトラクションがたくさんあれば、機能的に「無駄な」ものも決して悪いものではないということや、美術を学ぶことの価値について考えを持つことができるようになる可能性もあると考えています。なので、学校の汚いところや直すべきところがあったらチャンスと捉え、美術の力で魅力的なものに変換してきました。環境改善・環境美化ということなら管理職からの許可も得やすいものです。昨年度転勤してきた今勤めている中学校も古い校舎なので、色んな場所に手をつけられそうです。美術室はすでに飽和してきているので、これから学校全体の美化にどんどん打って出て、学校を美術で乗っ取る作戦を実行しようと思います(笑)
最後まで読んでくださってありがとうございました。美術の力で「こんなものでもアートになる」ということを子どもたちが気付けるようにし、彼らの常識に揺さぶりをかけていくことが美術教師の大切な役割だと私は考えています。中学生にもなれば、常識に染まり、常識を超えることやチャレンジすることに消極的になってしまっている生徒も少なくありませんが、そんな生徒でもアートとの出会いで好奇心に火がつき、閉じかけていた感性が再び開拓にシフトチェンジするというのも不可能ではないと信じて、これからも教育美術に励んでいきたいと思います。次回も教育美術について紹介しますので、また見てもらえると嬉しいです。
それではまた!
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