散歩で発見した秋の光景

 今回は秋のムードが深まる中を散歩していて発見した興味深いものについてお話しします。

 秋分を超えてこれから秋も深まっていくと、紅葉が徐々に始まり、観光スポットは賑わいますね。きっと今年もコロナに負けじと名所には人がたくさん集まると思います。私もそういう紅葉や銀杏の名所に行って秋を満喫するのは好きですが、身近なところで見ることができる秋にも大変魅力を感じています。金木犀の香りや、秋の爽やかな風など、不意に感じる秋らしさに癒されたことがある人は少なくないと思います。秋は夏の過酷な生活で疲弊した私たちの心身を無意識のうちに癒してくれるものです。

 無意識でも秋に自然と癒される私たちですが、秋らしさを積極的に発見するために散歩に出かけると、さらに秋を楽しむことができると私は思います。今の時期にしかみられない貴重な光景を見たり、意外な発見をしたりできると、生活に潤いを与えてくれますし、何かのアイディアのヒントになる可能性もあるかもしれません

 常に外の世界は変化しています。気がつけば季節が変わり、季節限定の姿を見逃してしまうのは何か勿体無いような気がします。今回は、季節限定の姿を積極的に掴みにいくつもりで散歩をして、素敵だと思えたものを写真に撮りました。その中から私が特に興味が湧いた3つを紹介します。一応美術の教員として、少し変わった視点で秋らしさについて考えてみました。


輝く猫じゃらし

 猫じゃらしは特徴的な姿で猫だけでなく人間にとってもじゃれる対象として古来から愛されてきた植物だと思います。多くの人が猫じゃらしを手に取り、握って遊んだことがあるのではないでしょうか。


 猫じゃらしは背丈が低いため普段は上から見下ろして見るのが一般的だと思いますが、夕暮れ時になって日光の角度が浅くなると、少し屈んで猫じゃらしを見ることで、毛の部分が光り輝いて見えます。まるで猫じゃらしがスパークしているようにも見えるこの光景。毛以外の部分は逆光で暗くなるため、強烈なコントラストが生み出されています。猫じゃらしのもつ美しさの可能性に初めて気がつくことができました。猫たちの視線であれば、猫じゃらしのこのような美しい姿を見ることは普通のことなのかもしれませんが。

 視点を変えて見ると思わぬ発見と出会えることがよくあるので、周囲の視線が厳しくない環境であれば、視点遊びをしてみるのも悪くはないでしょう。


彼岸花と色づく稲

 秋分の頃といえば彼岸花ですね。彼岸花を単独で見ても美しさは感じますが、この彼岸花と穂が黄色くなり始めた稲の組み合わせはこの時期にしか見ることができない贅沢な光景だと思います。稲は気がつけば黄金色に色づいていたり、刈り取られていたりしますが、そこに至るまでには当然のことですが変化のグラデーションがあり、毎日少しずつ穂が黄色く色づいていきます。そんな色づく稲と彼岸花がセットで見られる秋分の時期というのは美しい自然の共演のようにも感じます。この写真を見ても分かるように、赤と緑という補色の関係にあたる色が響き合い、強烈なコントラストが発生しています。




 稲が黄色くなったり、彼岸花が咲くことは当たり前のことかもしれませんが、それらがセットになることで構成美としての要素が加わるだけでなく、双方の「今だけ感」が掛け合わされて、こんな美しい光景が見られたことへの喜びを感じることができました。


田んぼにできた鳥の足跡


 これはかなり異質な写真かもしれませんね。秋には水田に水がなく干上がった状態になりますが、そこに鳥の足跡を発見しました。これは秋ならではというわけではないかもしれませんが、水田に水が入っている時期は気がつきにくいですね。絵的に考えると「綺麗」と言える要素が明らかに不足した写真です。しかし、こういう光景だからこそ味わえる魅力もあると思い写真に撮りました。

 夏頃までは水田に水が入っているのでタニシなど鳥の餌となる生物がたくさんいるため、鳥が水田の中で獲物を探しに歩き回っている光景をよく目にします。しかし、秋になって水田に獲物がいなくなると当然彼らの姿もあまり見られなくなります。干上がって固まった水田には鳥の足跡もつきにくくなるので、こういう写真も水田から水がなくなり、土が緩い状態から干上がって固まっていく時期ならではのものと言えるかもしれませんね。

 この絵的には決して綺麗とは言えない光景でも、捉え方次第ではとても興味深いものになると私は思います。なぜなら、水田に見られた鳥の足跡は、何がこの場所で起きていたのかを色々と連想させてくれるためです。


 「この足跡は以前に作られたものがそのまま残っているのか」

 「水田は干上がっても、そこに餌がまだ残っていて、それを鳥が食べに来たのか」

 「どんな鳥がこの水田に足跡を残したのか」

 「水がなくて餌になる生物もいないのに、いつもの週間で鳥がこの水田に足を踏み入れてしまったのか」

 などなど


 完全に想像の世界で遊んでいる感じですが、今目の前に全てが見えてしまっているとこのように自由に想像することは難しいです。事実の断片と言えるものが残されているからこそ、自分で考える楽しさも生まれます。逆に断片が何もないと、そういう想像をするきっかけも生まれません。わかるようでわからないことと向き合うと、考え方が多様に広がっていきます。現代アートの魅力もこういうところにありますが、この水田にはそういう現代アート的な魅力を感じました。


身のまわりにはたくさんの発見がある

 今回の秋についての記事を考えていて美術教育についても少し考えたことがあるので、最後にそのことについてお話しします。

 作品のアイディアやテーマを考えるのが苦手という話を生徒だけでなく、大人からもよく聞きます。しかし、身のまわりにはたくさんの素敵な素材があるので、そういったものと普段から交わる経験というのが実はとても大切なのではないかと思います。今回は秋の自然から発見できたことですが、街の中にも素材と言えるものはたくさんあるので、それらの魅力を自らの価値観として吸収し、自分が何かを表現する時には自分の中でミックスされた価値観を発揮できるというのがクリエイティブな営みにおいて大切だと私は考えています。

 写真に収めるという行為は心の琴線に触れるものがあるからこそだと思います。心の琴線に触れるものは決して有名なものや高価なものに限定されたものではなく、身近なところにいくらでもあります。予め人のために用意されたものを楽しむのも良いと思いますが、そればかりだと消費者としての視点に限定されてしまいます。自分の生活や人生は自分で創意工夫してこそ本当の意味で自由になれるものではないでしょうか。自らの理想を実現する生産者としての視点を持てるようになることが大切であり、そのために自分の軸となる価値観を広げる経験が必要なのではないかと思います。

 捉え方、視点を少し普段と変えるだけでも発見が生まれ、想像の世界は広がります。そういう自由な想像遊びをこれからも続けていきたいと思いますし、美術教師としてその大切さを伝えていきたいです。


 最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は秋が深まりつつある外を散歩して発見した興味深い光景についてお話しさせていただきました。もし、今回の記事でちょっと散歩に出かけたり、発見したことを写真に撮ったりすることに興味が持てたという人がいれば嬉しいです。コロナ禍で外出が憚られると感じている人もいるかもしれませんが、散歩はコロナ禍においてむしろ推奨されているぐらいなので、秋の爽やかな空気と美しい景色にどっぷり浸るのも良いかもしれませんね。

 それではまた!

 

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