散歩で楽しむ多様な視点
私はランニングや散歩でよく外に出かけます。単純に運動が好きというのもありますが、ランニングや散歩をしていると、普段車で移動していると見逃すような魅力的なものと出会う機会が多くなります。これまでにも、散歩することの魅力について記事を書いたことがありますが、今回は散歩で楽しむことができる多様な視点について書きました。
散歩は健康に良いので、それだけでも十分ですが、私は散歩をより充実したものにするために景色や足元など色んなところに視線を向けて「面白いものや美しいもの」を探します。「探す」と聞くと、のんびり散歩をすることができなくなると思われるかもしれませんが、それほど難しいことを考えず、これ以上ないぐらいリラックスして探すようにしています。そうしていると、自然と「興味深いもの」に目が止まります。むしろ、そのようなリラックスした状態で見ていて目に止まらないようなものは、もともと気にする必要がない対象のはずなので、自分の感性を信じて周りを見ることが大切だと考えています。私の場合、自然に関するものは何でも好きなので、こういったものはやはり目に止まりやすいです。
見たいものを好きなように見られる散歩時間
自分の好きなものを発見するだけでも、散歩は充実しますが、それに加えて、目に止まったものを視点を変えて改めて見ることで、散歩はさらに楽しいものになります。人間は当たり前のように周りのものを見て生活していますが、実はそれらをしっかり見ているかというと、それほど見ていないものです。そもそも、通勤で車を運転している最中はしっかり見ること自体が危険なので、花や紅葉など、綺麗だと感じるものが目に入ったとしても、サラッと流して見ることがほとんどだと思います。普段目にしているものでもじっくり見たり、視点を変えたりして見ると、思わぬ「映えポイント」が見つかったり、ストーリー性を感じられるような景色が見えたりと、多様な楽しみ方が可能になります。
例えば、クローバーが密集している場所を見た時に、普段通りの視点で見ても大した感動はないと思います。この景色はあまりにも見慣れた光景であり、公園一帯にクローバーの白い花が敷き詰められているのであれば話も違ってくるでしょうが、この程度の集まりは普通です。
ただ、このクローバーの集まりも、視点を変えると一気に雰囲気が変わります。
クローバーは背丈の低い植物なので、大抵の場合は上から見下ろしますが、見る側の視点を 低くすることで、普段とはかなり違った姿を見ることができるようになります。光の効果も加わってとてもドラマティックにも見えます。もう少し大きなクローバーの密集した場所であれば、白い花が遠近感でグラデーションになって見えています。
道端にはさりげなく色々な植物が生えていて、どれも普通に美しいのですが、これらをより魅力的に味わうためにも、自ら視点を変えて映えポイントを見つけて写真撮影をするのはとてもクリエイティブな活動です。しかもカメラさえあればできることなので、とても手軽に楽しめます。
太陽をバックに麦畑を撮影すると、黄金に輝く海のようです。写真では分かりませんが、風に揺られる麦畑が夕日に照らされる光景は圧巻です。
カメラは写真の質にこだわるのであれば一眼カメラを使いたいところですが、最近のスマートフォンはカメラが大変高性能なので、これでも十分です(今回の記事で使っている写真はどれもiPhone12で撮影したもの)。ただ、やはり一眼は専用の機械だけあって絞り(ピントの調整)や望遠・広角の幅広い調整が可能なので、徹底的に撮影を楽しみたいのであれば散歩のことも考えてミラーレス一眼を使いたいところです。
じっくり見過ぎない方が良いものもある?
ここまで紹介してきた写真はどれもアップが多いですが、中にはアップにしない方が映えて見えるものもあります。結局のところ、良し悪しに関する正解はないので、個人の趣向によりけりだと言えますが、自分の中で「良い」とか「好き」と判断できる価値観や基準を作ることはとても大切なことです。今回紹介する内容は参考までに受け取っていただけたらと思います。
私が今回取り上げるのはこの植物です。一見すると赤と黄、黄緑の小さな花(葉?)が混ざって全体的に綺麗な印象を受けるのですが、これをアップすると…
ちょっとグロテスク(苦笑)
こういう発見も面白いと思います。何気なく目に止まった綺麗なものも、よくよく見ると自分の好みではなかったと認識する。そういった体験をさせてくれるのも散歩の魅力。美しく見える物でも、絶妙な距離感が大切です。
これぐらいの距離感なら夕日に照らされた効果も加わって良い感じに見えました。
美しさや面白さというものはモチーフに絶対的に定まったものではなく、見る者の視点や、用いられ方によって相対的に変化するものです。世間一般的に評判を集めているものであっても、それは良い部分が注目されているからこそであり、別の視点から見るとそれほど魅力的ではないといったことはいくらでもあるように、全ては多面的に捉えてこそ本質に迫ることができます。
多様性の美について考える
私は美術教育に携わる者として、常に考えていることがあります。それは「多様性の美」です。「多様性が大切」という話をよく耳にする昨今ですが、基本的にこの世のものは全て多様にできています。多様であることはそもそも当たり前。「みんな違ってみんな良い」ということも多くの人が頭では理解していることだと思います。ただ、「具体的に多様性の何が良いのか」と聞かれると、答えるのが非常に難しくなると思いますし、実際に「常識」や「普通」という圧力のもと、多様性が認められていない状況はよく目にします。これらは結局のところ、多様性というものがどのような意味で大切なのかについて、十分に理解されていないという部分が影響しているのではないでしょうか。多様性の価値が本当の意味で理解され、尊重されるようになるためには、普段意識されていない、または認知されていなかった美しさや良さが開拓され、多くの人に共有されるようになることが必要だと私は考えています。今回私が紹介した草花も、ただの花であったり、ただの雑草としてしか認識されていないのであれば、それぞれに潜在する多様な美しさには気がついてもらえないことでしょう。
最近はInstagramの普及で「映える」という言葉をよく聞くようになりましたが、普通の写真を見ても「映える」と感じる人はあまりいません。しかし、思わぬ魅力的な一面を見ることができると、途端に見る目が変わり、「映える」ものとして認識されます。
「映える」ものは身近なところにいくらでもありますし、個々の個性も、状況に合わせて発揮されることで「映える」ものになります。そのような「映える」美しさこそ、多様性の本質であり、「映えない」ものは、この世界では自然に淘汰されていくものです。つまり、この世の中には必要な多様性しかそもそも存在していないと言えます。多様性が認められるのは、それぞれの良さをお互いに理解しあえているからこそ。そういう良さを認め合える機会に溢れた社会にしていくためにも、美術教育の果たす役割は大きいと考えています。
身近なところの多様性の美をキャッチする散歩
散歩中は見るものを自分で自由にコントロールすることができますし、普段では絶対に目に入らないような姿を発見することもできます。このような自己コントロールと、ちょっとした達成感を味わえて、しかも良い運動になる体験というのは自己肯定感を高めリフレッシュ効果も高くなると考えられます。なので、私はここ数年で気分転換に外に散歩に行ったりランニングついでに散歩をしたりする生活をするようになりました。昔はプレステと自分の手が一体化するぐらいまでゲームをしていたので、暇な時間があれば無意識のうちにプレステのスイッチを押していましたが、もう最後にプレステに触れたのがいつだったか覚えていないぐらいゲームと疎遠な関係になっています。
これから夏場は暑くて日中に散歩に行くことが難しくなりますが、朝夕は涼しいですし、景色も綺麗なので、散歩も気分良くできます。散歩だけでも心身の健康には素晴らしい効果がありますが、身近なところに存在する多様性の美をキャッチする遊びの散歩もとても楽しいです。普段見逃していたものを発見できる素敵な出会いの機会になります。
最後におまけの一枚。散歩していて思わずツッコミを入れたくなったこの橋。実用性が極めて低い、というか、単純に危険な印象さえ受けます。しかし、これもスリリングなアスレチックの一部だと考えたらとても愛着が湧く橋です。過去に何人この橋を渡る際に用水路に落ちたのかと勝手に想像を膨らませて楽しませてもらいました。サスケの練習には打って付けです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は散歩で楽しむ多様な視点について書かせていただきました。新緑の時期で外を歩くのがとても気持ち良い時期ですが、今年は例年よりもかなり早めに太平洋に梅雨前線が見えているため、もうすぐ梅雨もやってくるかもしれません。散歩を楽しむなら今がちょうど良いので、休日に限らず、平日も時間に余裕があるときは積極的に散歩に出かけて素敵な発見をしていきたいと思います。
ゴールデンウィークも終了ということで、明日からは夏休みまで怒涛のような日々が続きますが、適度にリフレッシュも入れながら、ブログもしっかり毎週継続していこうと思いますので、また読んでもらえると嬉しいです。
それではまた!
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