「違和感」を大切にする空間
今回は最近のマイブーム、「違和感」について私の考えを書かせていただきます。
「違和感」と聞くと、あまり良いイメージが湧かないのではないでしょうか。もし体に違和感があればすぐにでも取り除きたいものです。
ただ、「違和感」も、視点を変えると非常に価値のあるものになります。そもそも体に起きる違和感は体の使い方に問題があるからこそ、体が無言のメッセージとして送ってくれるものですし、胃腸の違和感も食事や健康状態に対する警告として私たちは違和感を感じます。
違和感がないと私たちは健常な状態で生活を続けることができず、どこかで体や心を壊してしまうかもしれません。
そう考えると「違和感」はあながちに悪いものではなく、私たちに大切な「気づき」を提供してくれるものと言えます。そして、それは美術教育という、新たな世界への気づきに溢れた創造的な時間においても重要な価値を提供してくれます。
生徒の表現から「違和感」の価値に気付かされる
美術の授業では生徒が見たこともない創造を次々に行います。特に最近はGIGAスクール構想の恩恵もあって、生徒の作品写真をクラス外の生徒とも共有しながら制作をできるようになったため、挑戦的な表現を手軽に鑑賞しつつ、自分なりにアレンジして表現を発展させる生徒がたくさん見られるようになりました。そして、そのような表現を共有して、さらに発展した表現が生まれる。そんな創造的な活動が日常的に見られるようになりました。
生徒の制作を見て回っているときに、思わず二度見してしまうことがあります。そういう作品は非常に面白い工夫をしていて、「違和感」を覚える普通ではない何かがあり、この瞬間に価値観の変容が自分の中で生まれます。
美術教師をしていて常々思うのが、生徒の多様な表現を見取る仕事は鑑賞そのものであり、美術の時間に美的な視野を一番広げられているのは美術教師自身なのではないかということです。こんな美味しい仕事はないと思いつつも、本来この旨味は生徒が味わうべきものであると考えてきました。
そのような中、GIGAスクール構想によって一人一台端末が実現し、活動を共有できるようになったことで、生徒も普段から制作と鑑賞を一体化させて取り組むことができるようになりました。これまでにもクラスの中で鑑賞と制作の時間を入れながら取り組んできましたが、どうしても鑑賞する相手が絞られてしまう傾向があり、多様な表現に触れるということが十分とは言い難い状況でした。しかし、GoogleスライドやGoogleジャムボードなどに貼り付けられた、「同じ学校、同じ学年の誰かの表現」となれば、ニュートラルな視点で作品を見ることができます。そのため、普段であれば同性同士の作品で鑑賞する傾向がある生徒でも、男女の区別なしに表現を参考にする姿が見られるようになりました。
こうして表現が様々な形でミックスされ、多様な「違和感」が生み出されます。そのような「違和感」は、私たちの常識や普通に支配された日常の価値観に揺さぶりをかけ、新たな美の発見に繋がります。そもそも、普段見慣れていないからこそ、私たちは違いを感じるわけであり、そこに注目することに大きな意味があると思います。
多様性を受容して楽しむ姿勢
世の中にはたくさんの楽しめるものがあり、それらは実に多様です。美術の教師に限らず、全ての教師にとって必要なのは多様性を受容したり、多様な価値観を楽しむ姿勢だと考えています。多様性が重んじられる現代社会、個々の価値観を尊重して良いところを伸ばし、幸福を追求する(ウェルビーイング)ことが全ての人に保証されることを考えていくことが大切です。
しかし、これについて考えると、「多様性とは」「幸福とは」という感じに、哲学的な問いとなって、明確な答えが分からなくなってしまいます。実際に、こういった言葉の定義が今まさに揺れ動いているからこそ、話のテーマとして取り上げられていると思います。
そういった意味で、ピカソがキュビスムという表現方法で100年以上前から多視点性や多様性の価値を重んじ、それを表現で示し続けたというところに彼の偉大さを感じます。アートは多様性そのものであり、どのアートを好むかは、主体的に美を判断する人に完全に委ねられています。
何が正解で、何が間違いか。そんなことにこだわりすぎて不幸になってしまっては意味がありません。シンプルに多様な世界を受容して、自らの美意識や判断で楽しむ。そんなオープンな価値観が多くの人々に共有されたら、もっとこの世界は伸び伸びと生きられるようになるのではないでしょうか。これからの教育のテーマはここにあると考えています。実はあの学習指導要領もそういう理念を含んだものとなっています。決して美術教育だけの問題ではありません。ただ、多様性の面白さを「分かりやすく」学ぶことができるのは美術教育の持ち味であり、その視点を持って教育活動を行っていきたいと思います。
教室の空間を生かしてできる「違和感」
以前から美術室の環境に関するお話をしてきましたが、美術室にはたくさんの「違和感」を仕掛けるようにしています。美術室をシンプルで簡素な空間にして、作業に集中できるようにするという考え方もありますが、私は自分の美術室をアートに触れられる楽しい空間にしてきました。
部屋の中には仕掛けをできる場所がたくさんあります。美術室はアートの遊び場。そのように考えて、使えるものは使ってきました。アートを展示するために展示ボードも展示棚も必要ではありません。インスタレーションの視点で考えて「違和感」を仕掛けることができます。
部屋の環境の特性を生かすことができれば、一見邪魔でしかない天井から伸びる鉄の棒でさえ展示環境として立派な役割を果たします。
最近仕掛けたのが天井にプロジェクターで画像を投影できるように、障子紙をスクリーン代わりに貼り付けました。昼間に部屋の電気をつけていると、あまり画像が見えないのが課題ですが、美的な刺激のある画像や動画を心地の良いサウンド付きで流すことを今後に向けて考えています。
自分自身も、これまで授業中に動画や音楽を流すことは「違和感」でしかないと考えていましたが、集中力を阻害しないようなサウンドや、美的な感覚を呼び起こすような動画や画像が授業中や休み時間に流れていたとしても、決して悪いことではないと考えるようになりました。常識で考えてしまうと色々な制限をかけてしまいますが、制限をかける必要がないことは積極的に解放していきたいと思います。
仕事に疲れた時は美術室の天井を眺めて癒されることもあるかもしれません・・・
環境が人を育てる
人に直接教えられるのではなく、環境に触れながら、自らの判断を生かして学び、実践していく。主体的に生きる力をつけるためにはそういった習慣が必要だと考えています。なので、私は美術室や学校の環境を生徒が学習に対してモチベーションを上げるきっかけに溢れた環境にしていくことが教師には求められていると思います。
これまでは様々な事務的な仕事や、授業準備などで多忙感があり学校の環境に手が回らない状態の先生も多かったかもしれませんが、最近はどんどん効率化が進み、教材なども共有が簡単になったことで授業準備が格段に楽になりつつあります。「教師の仕事は時間外勤務が多くて大変」と言われていますが、いずれこのような状態はデジタル&AIのSociety5.0の時代の中で過去の話となり、教師が人間にしかできない遊び甲斐のあるエキサイティングな職業になる日も来ると思います。知識を教える存在はデジタル&AIによって替えが効きますが、学びを遊び感覚でできる環境を作ったり、学びを見取り、主体的な学習態度をファシリテートしていくのは「遊び心」を持った教師の仕事ではないかと思います。そうなる日まであと少し年月が必要かもしれませんが、それまでは自分自身の研究も兼ねて学校という遊び場で実践をしていきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は「違和感」から新たな発見に繋げ、世界への視点を広げること、そして「違和感」を多様性として受容したり、美術室の空間に積極的に取り入れていくことについてお話しさせていただきました。何か参考になるものがあれば嬉しいです。
もうすぐ夏休みですね。毎年この期間を使って美術室に新たな仕掛けを作ってきましたが、違和感のある仕掛けを今年も何か作れたらと考えています。大人の自由研究を楽しみます。
それではまた!
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