スクリブル(なぐり描き)から始まる描画のスモールステップ

  今回は描画のスモールステップを考える上で大切な「スクリブル」について紹介します。スクリブルとはなぐり描きのことで、世界中の幼児描画について研究したアメリカの心理学者であるローダ・ケロッグによると、20種類の型があり、そのなぐり描きから図式へと進んでいくとしています。


 つまり、スクリブルとは図や絵を描く上での大切なステップであり、この段階が充実していないと、紙を前にして手をどのように動かして良いか分からず、お手本をトレースすることしかできず、ぎこちない線でしか表現できない状態になってしまうかもしれません。実際に、私は中学校で美術教育に携わってきて、描く行為自体にかなりの困難を抱えてしまっている生徒をたくさん見てきました。本来描く行為は自由であるにも関わらず、そのような生徒の姿は不自由そのものです。このような状況になった生徒を指導することは大変ですが、スクリブルという描画行為のスモールステップを忘れなければ、線を描いたり色を塗ったりすることが楽しいことであると理解してもらえる可能性は上がると感じています。

 今回はスクリブルから始まる描画のスモールステップについて少し説明させていただきます。


「描く」と言っても多様な動作がある

 ケロッグが発見したように、基本的なスクリブルは20種類あります。ケロッグは100万枚以上の幼児の絵を研究した結果、この基本的スクリブルを発見しました。今回、この記事を書くにあたって私も久しぶりにスクリブルを確認しましたが、本当に多様な描画行為がスクリブルには詰まっていると思います。このスクリブルは1歳半ぐらいから見られるようになり、徐々に種類を増やしていきます。

 単純に「絵を描く」となったときにイメージするのは、大抵の場合は何かしらのイメージがある具象画であることがほとんどでしょう。しかし、具象画を創造的に描くためには様々な線の複合的な描写が必要になります。つまり、スクリブルで見られるような多様な線の描写が図式的に構成されるようになっていると考えることができます。全ての描画要素がこのスクリブルの発展形とさえ言えるわけです。線を少し描くだけでも、それは描画行為を発展させる上での立派なスモールステップです。


スクリブルの意味することを考える

 スクリブルはグチャグチャの線で秩序が感じられない意味の分からない線の集合であり、モチーフもありません。大人からすると、全くもって「意味のない」行為とさえ言えるかもしれません。しかし、人間が意味もなく自然にスクリブルを始めるはずがありません。本能的に始めることには必ず生態学的に何か意味のあるものばかりです。

 逆に言うと、そもそも絵が何かの意味をもった秩序だったものであり、何かモチーフを描かなければいけないと考えるのは「大人の勝手な考え」であり、そもそも描画行為はその行為自体を目的としたものとして考えるべきではないでしょうか。そもそもの描画行為の動機は「描きたいから描く」という自己目的的な遊びと同様の行為であるはずです。

 ただ、そのようなスクリブルという行為の中で、多様な表現を自ら作り出し、面白い造形を偶然発見するなどして、自然と充実した経験を重ねていくことができます。線だけで変化を自らの手で作り出していく自由自在な描画は、何かモチーフを描かなければいけない縛りのある描画とはかなり異質なものと言えます。

 絵が苦手でなかなか線を描くことができない生徒には、「思い切ってなぐり描きでも良いので線を描いてみよう」と声かけをすることがあります。すると、絵が苦手な生徒でもスクリブルはある程度経験しているので、何かしらの面白い形が生まれます。それさえできれば後はその形の特徴を捉えて「勢いがあるね!」「優しいね!」「柔らかいね!」「パワフルだね!」と伝わってくるイメージを伝えることができます。ここまで来れば、大抵の場合はそのまま造形が発展していきます。自分の描画が何かしらのイメージを生み出すものであることを自覚できるようにファシリテートすることは、自己肯定感を育てる面でも重要と考えています。描くことに苦手意識や恐れを抱いている人の多くは描画に対する自己肯定感の不足が根底にあり、その部分の解決のきっかけになるのがスクリブルであると思います。


子どもには描画行為が手軽にできる環境を

 これは私が幼児の時にスクリブルをしている写真です。裏紙にボールペンで一心不乱になぐり描きしています。何かに夢中になって取り組むことができる状態のことをフローと言いますが、そういう体験の中で人は主体的に学んでいきます。一見、ただ線を闇雲に描いているようでも、その行為は少しずつ発展していきます。まさに創造力の源泉とも言える行為です。大人はそういう子どもの側に寄り添って何も言わずに笑顔で見守るだけで十分です。「楽しそうだね」「この部分面白いね」ぐらいの言葉かけはあっても良いでしょうが、「上手だね」という言葉は避けるべきと考えています。この言葉によって「絵は上手にモチーフを描かなければいけないもの」という固定観念を幼少期から強烈に叩き込んでいくことになってしまいます。絵は上手に描くのが目的ではなく、生き生きと楽しんで描けたら十分です

 中学生にもなると、絵を描くことに強烈な苦手意識を持ち、線一本描くことさえなかなか進まない生徒がいます。しかし、そんな生徒でも何かお手本を見ながら写すように描くのであれば絵が描けるというケースは珍しくありません。それで描けるのであればそれで良いじゃないかと思いたいところですが、これでは一生不自由な描画と付き合っていくだけであり、自由に絵を描く楽しさを知ることにはならないでしょう。人がこのように自由に描けない状態になってしまうのは幼児期のスクリブルの経験不足と、「絵は上手にお手本のように正確に再現するもの」というマインドセットの刷り込みが根底にあると私は考えています。大人に必要な姿勢はスクリブルを楽しむ子どもの邪魔をせず、その活動が気持ちよくできるようにファシリテートするだけで十分です。子どもは自然と自分が描きたいものを描くようになります。

 スクリブルを楽しむ子どもをファシリテートするために是非お家に一つ用意しておきたいのがクレヨンです。クレヨンはクレパス(オイルパステル)に比べると油分が少ないため、手につきにくく、幼児のなぐり描きに適した画材です。クレパスのようにぼかしたり、色を混ぜたりするのは得意ではありませんが、そのような高度なテクニックはもう少し大きくなってからでも遅くはありません。

 クレパスほどではないにしても、クレヨンは色鉛筆と比べると圧倒的に色がつきやすく、発色も良いので、幼児にとってはボールペンや鉛筆で描くよりも楽しめる要素が多いと思います。描く行為が楽しいと感じれば、夢中になって取り組み、自然と表現も発展していきます。紙は画用紙が最高ですが、なぐり描いて線で変化を作り出していく楽しさが目的であり、作品としての認識を幼児はもっていないので、何かの裏紙を使うと良いでしょう。



 私も36歳ながら、久しぶりにスクリブルをしてみました。たまにこういう暇つぶしをするのも悪くありません(笑)。やってみると普通に快感ですし、ストレスの発散にもなるのではないかと思います。時間はたった5分。ちょっとした瞑想のようなものです。

 クレヨンは忙しいビジネスマンに必須のアイテムトップ10ぐらいにはなるのではないでしょうか。少なくともダラダラ延々とSNSに触れるよりは良いような気がします。


 最後まで読んでくださってありがとうございました。スクリブルという幼児のなぐり描きが実は創造力の源泉であり、子どもが気持ちよくスクリブルができる環境を整えることが重要な意味をもちます。今回の内容が何か参考になれば嬉しいです。大人も子どもと一緒にスクリブル!これも楽しいので是非!

 それではまた!




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