美術の授業で使いたい言葉 〜上手という言葉を使わない〜 vol.1
今回は私が美術の授業で使いたいと考えている言葉を紹介します。言葉はたくさんあるので、これからvolを増やしていきたいと思います。
このような内容のものをブログで発信しようと考えた理由は、美術や図画工作の授業、さらには家庭での子どもの造形表現に対する声掛けで、「上手だね!」があまりにも多く見られるためです。公開授業や授業参観の際などに、他の教師や保護者が精力的に造形活動している生徒や児童を誉めて下さるのはとてもありがたいことなのですが、それと同時に、「上手」という言葉だけは安易に使って欲しくないと感じてきました。
結論から言うと、道具などを扱う際の技術を褒めることに対する「上手」は問題ありませんが、表現した結果に対して「上手」と言うのは基本的にNGであり、これは声を掛けられた本人だけでなく、その言葉を聞いた周りの人間にとってもどちらかというと価値観と視野を狭める影響が出ると考えています。
褒めようと思うこと自体はとても良いことです。私自身、「褒め言葉」と捉えられる言葉は普段からたくさん使っています。では、創造活動の時間において使う「褒め言葉」にはどのようなものがあるかと考えると、おそらく簡単には言葉が出てこないのではないでしょうか。それゆえに、「上手」という極めて抽象的な言葉が使われてしまうのではないかと思います。
極めて抽象的な「上手」という言葉の問題点
絵画の表現などにおいて、「上手」という言葉を聞いたら何をイメージするかと言うと、おそらく多くの人は「色と形が写実的」「整っている」「綺麗に見える」といった、誰でも分かる基準が具体的に思い浮かぶのではないでしょうか。これは形や色の表現に多くの人が共感する正解があることを意味します。極めて抽象的でも、それが一瞬で相手に伝わる言葉は、多くの人が細かいことを考えなくても意味を共有できる価値となりますし、言語の特性でもあります。
もし、美術や図画工作の時間に、「上手」という言葉を教師が生徒の表現に対して使うと、多くの生徒がどれくらい上手なのかを確認しに来る光景が浮かぶと思います。そして、その次に起こるのは、「上手」という評価を得た作品の真似が始まります。そうなると、せっかく自分なりの魅力的な表現をしていた生徒まで表現を変えてしまい、作品が似たものばかりになっていきます。「上手な作品を紹介します」と言って、全体にお手本として示すのは分かりやすく、一つの正解に向かわせるには良い手段ですが、それがいかにこれからの社会を生きる子どもたちにとって危険を孕んだものであるかは想像に難くないことです。そんなことを言っておきながら「みんなちがって、みんないい」と言い聞かせても、普段実践していることがそれに反しているのではただの綺麗ごとでしかありません。
「上手」という言葉を褒め言葉として使うことは、技術的にお手本のように上手に表現できない子どもたちが年齢を重ねるたびに「自分には絵心がない」「想像力がない」と、美術への苦手意識を膨らませ、創造力の可能性を摘むことにもつながりかねないと考えています。
美術や図画工作の学習の目標は決して「上手」な表現をできるようになることではなく、どちらかというと、価値観や情操に関するものであることが中学校美術の学習指導要領からも読み取れます。
目標
表現及び鑑賞の幅広い活動を通して,美術の創造活動の喜びを味わい美術を愛好する心情を育てるとともに,感性を豊かにし,美術の基礎的な能力を伸ばし,美術文化についての理解を深め,豊かな情操を養う。
以上のことから、「上手」という言葉で生徒や児童の価値観を狭め、上手にできない場合には苦手意識を生んでしまうようなことにならないように、子どもたちの造形活動に対する言葉掛けについて認識を高めておくことが大切であると考えています。
技術自体には「上手」で安心感と応援する気持ちを伝える
私が授業の中で「上手」という言葉を使うのは生徒が技術的なことをしている時に限られます。これには明確な正解があるためです。生徒自身もその技術を身につけるために努力するわけなので、技術の面で良い感じにできていれば「OK!上手上手!」と言って順調にできていることを認めます。
例えば、グラデーションを作ろうとして絵具と筆を巧みにコントロールし、綺麗にグラデーションができれば生徒は達成感があると思います。それを側で見ていて「上手」と言うのは問題ないどころか応援している気持ちが伝わりますし、自己有能感を自覚して安心できるので、積極的に「上手」を使っても良いと思います。
技術には一定の正解があります。技術力向上を目指したり、高い技術を駆使したりすること自体は、個性的な表現の可能性を広げるためにも、とても大切なことです。技術としっかり向き合っている状態の際には、できていることを認める「上手」という言葉掛けは有効だと考えています。
表現の意図と内容に注目すれば「上手」以外の言葉が見つかる
見たらすぐに褒めなければいけないと思い、表現について大して理解もせぬままに言葉をかけてしまうと、ぱっと見の印象で上手か下手かを判断することになってしまいます。「ぱっと見」というのは認知レベルでは極めて浅いものになるため、普段の価値観がそのまま出てしまい、技術面での分かりやすい判断になってしまいます。
普段の価値観によって、私たちは不自由なく生活できているため、それ自体が悪いわけではありませんが、時として価値観の相違というのが起きるように、当然ながら万能のものでは決してありません。ただ、価値観の相違を乗り越えることは人間が成長する上で重要であり、そこに気がついたり、驚いたりすることは時として好奇心に火をつけることにもなります。これは良い学びの機会とさえ言うことができます。
生徒の表現を見ていると、たくさんの価値観の相違に気がつくことができます。私自身、これまでにたくさんの芸術作品や生徒の作品を見てきましたが、それでも日常的に新鮮な表現に出会えるのは、価値観の相違が教室空間に溢れているためです。一人ひとりが自らの表現を追求すれば、独自性のある表現は容易に生まれます。
ここにあるのは生徒の表現の一部を切り取ったものになりますが、これらを見て「巧みな表現」と言えるものはあっても、「上手」という言葉は使いにくいのではないでしょうか。しかし、興味深い表現だと感じる人はいると思います。私は興味を感じた時にどのような言葉を掛けるかが大事だと考えています。どうしてこんな表現をしたのか、どのようにしてこのような色彩を作り出したのか、この組み合わせによって何を生み出そうとしたのか、表現の意図と内容への想像は膨らむばかりです。このような表現を見たときにどのような声掛けができるかが美術教師の専門性であり、存在意義であると考えています。
最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は美術の授業で使いたい言葉ということで、まずは「上手」という言葉を使わない理由について説明させていただきました。
今後、具体的な使いたい言葉を少しずつ紹介していきたいと考えていますので、興味があればまた読んでいただけると嬉しいです。
それではまた!
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