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4月, 2023の投稿を表示しています

アダプティブラーニングの普及が迫る 〜AIが起こす学習革命〜

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  Chat GPTが世間を賑わし続けている2023年ですね。最近になってニュースでもよくChatGPTに関する話題を見るようになりました。ChatGPTの数ヶ月間での劇的な進化を見ていると、多くの人が想像していたよりも遥かに早いペースでAIは進化を始めており、GPT(Genererative Pretrained Transformer)を活用したツールであるかどうかが利用者を集めるポイントになるのは間違いなさそうです。GPT4を搭載したMicrosoftのOffice 365 Copilotが年内にも一般利用できるようになるとの見通しもあり、 2023年はテクノロジーの進化と利用が劇的に進む1年になるということを考えながら、私たちは今の仕事と向き合っていくことが大切 になるでしょう。  GPTやAGI(汎用人工知能)を使うか使わないかは人々の自由です。しかし、 学校教育という子どもたちの貴重な時間を預かる場であれば、AIの助けを得て、個別最適な充実した学習ができる環境を整える のは極めて大切なことだと思います。そうでなければ、不登校生徒数の爆発的増加にも見られるように、学校離れが今後ますます進んでいく可能性があると考えます。  今回はAIを駆使したアダプティブラーニングの魅力とその普及状況、それを活用して今後学校での学びがどのようい変化していく必要があるのか考えをまとめてみました。 ChatGPTを積み込んだアダプティブラーニング  これまでにもAtama+やすららドリルといったアダプティブラーニングはあり、塾などを中心に普及してきました。ブラウザで使えるので学校のChromebookからAtama +にログインして学校の休み時間に取り組んでいる生徒もいるぐらいです。  AIを活用したアダプティブラーニングの魅力は個別の学習状況に合わせて学習内容を提供するところにあり、これによって着実に知識を身につけることができます。分からないところをそのままにするのではなく、根本的に分かるように、AIが学習者と二人三脚する形で学習をサポートしてくれます。  これまでのアダプティブラーニングでは数学なら数学、英語なら英語に特化したもので、AIを活用しているといっても、それは特定の教科のために用意されたアルゴリズムで動いており、人間のように柔軟なサポート、話題が脱線して飛躍するよ

美術の授業で使いたい言葉 〜上手という言葉を使わない〜 vol.5

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   月に1回のペースで紹介する美術の授業で使いたい言葉シリーズ、今回はVol.5ということで、中学1年生の一番最初の美術の授業で生徒に伝えたい言葉を3つ紹介します。これまで一貫して「上手」という言葉を使わずに、生徒の活動や学習を促進する言葉掛について紹介してきましたが、今回の内容もこのことにつながる内容です。過去の記事はこちらからアクセス可能ですので、もし興味があれば覗いてみて下さい。 vol.1 (導入) vol.2 (「#1 この部分、すごく面白い!」「#2 ピカソを超えた!」「#3 遊びまくってるなぁ」) vol.3 (「#4 ワオ!ワンダフル!!」「#5 次は大丈夫!」「#6 やられたわぁ!」) vol.4 (「#7 どこまで進化していくん!?」「#8 思わず二度見した!」「#9 この表現良い意味でメッチャ気になる!」)  今回紹介する言葉は次の通りです。 #10 壮大な美術の世界へようこそ! #11 美術の授業はみんなが主役 #12 失敗最高!!ぐらいの気持ちで  それぞれ詳しく説明しているので、よろしければどうしてこれらの言葉を使いたいのか知ってもらえると嬉しいです。 #10 壮大な美術の世界へようこそ!  まだ美術について何も学んでいない生徒でも、美術という教科が小学校の図画工作に当たるものであることはどういうわけか全員分かっています。この事実はよく考えてみると本当に不思議な現象ではないでしょうか。これはつまり、美術とは絵を描いたり工作したりするものであるということを「美術科」という授業が始まる以前にしっかり概念形成しているということを意味していると考えます。そんな常識的なことを今更言って何が言いたいのかというと、 美術という教科に対して生徒は既に固定観念を持っているということ です。なので、最初の授業でこの固定観念を壊すところから始める必要があると考えています。  「美術と言えば?」と質問すると、多くの生徒が「絵!」とシンプルに即答してくれます。しつこく聞くと「粘土」や「工作」という言葉も出てきますが、かなり強烈な固定観念が働いていることはすぐに感じ取ることができます。  しかし、「絵」と言ってもモネやピカソのような作品だけではなく、ステラのような絵画か彫刻家分からないようなものもありますし、ポロックのような特定の対象が存在しないアクションペインテ

生花の美から美の本質について考える

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  3月から4月の時期は生花が色んな場面で使われ、その美しさに魅了されます。教師をしていると、卒業していく生徒から花束をもらったり、卒業式や入学式で使われて用済みとなった花をもらう機会があったりで、この時期は家によく生花があります。  私自身は花について詳しいわけではないのですが、多くの人に当てはまると思いますが、生花や盛りを迎えた桜、躑躅、ユキヤナギなどを見るとすごく心地よい気分になります。そして、枯れたり散ったりする花を見るのも風情があって美しいと思います。  この時期は花を目にすることが多いため、その美しさの根本にはそもそも何があるのか、ふと考えてみました。そうすると、美の本質として他の様々なことに通じる大切なことが見えてきたので、今回自分の考えをまとめるために記事を書きました。 生花と造花の美の違い  実は私、学生時代以前はそれほど花に興味がありませんでした。満開の桜や躑躅、花瓶に立派な花が生けられているのを見て綺麗と思うことはもちろんありましたが、自分の生活に必要性を感じることはなく、たとえ自由に花をもらっても良い状況であったとしても花を持って帰るようなことはありませんでした。花を持って帰ってもゴミになるだけとさえ思っていました。  しかし、大学4回生の時に美術に目覚め、それ以来、研究と実践を繰り返す日々を送っている中で、見かけだけでは測ることができない美の価値というものについて考えるようになりました。おそらく、美術に目覚めることがなければ、いつも変わらぬ美しさを保つ造花の方が生花よりも「価値あるもの」と頑なに考えていたのではないかと思います。  生花と造花の美しさは見かけ上はそれほど大きく変わらないと思います。造花も100均のものであれば少しチープな感じがしますが、本物と見分けがつかないぐらいに精巧なものもあり、率直に綺麗だと思います。  生花はその点、暫くの間は綺麗ですが、次第に花が枯れて、最後は処分しなければいけません。枯れて汚くなった色の花と、いつも分からぬ鮮やかさを保つ造花。比較の対象が花のピーク時の彩度や花びらの張り具合であると圧倒的に造花が優秀となってしまいます。しかし、 生花の美しさは単純に花のピークの色や形だけで判断できるものではなく、その点こそ造花との決定的な違いになると思います 。生花の美しさを考える上で、綺麗な状態が続かないことは極

組織やチームでGoogleサイトを活用することの可能性

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 新年度が始まり、忙しい時期ですね。新しい仕事を受け持った場合、年度開始は仕事をどのようにしなければいけないかが分からず、不安な気持ちで仕事をすることもあると思います。私も2年前に突然情報教育担当、GIGAスクール推進担当をしなければいけなくなったとき、やらなければいけない仕事は山のようにあるにもかかわらず、何をどのようにすれば良いのかがほとんど分からず大変な思いをしました。そういうことが起きないように仕事の引き継ぎが大切になりますが、プリントや口頭で説明されても理解することは困難ですし、大量の雑多なデータやフォルダを渡されても混乱するだけです。  仕事内容や必要な資料が分かりやすくなるだけでも働きやすくなりますが、これまではそれをすること自体が非常に難しい環境だったと言えます。おそらく多くの学校が校務に関する共通のネットワークフォルダを利用して、そこにR4、R5のような感じで校務分掌や学年ごとにフォルダやファイルを入れていると思いますが、結局それらを活用するために過去に使った経験が必要になります。新しく仕事をする人にとってはそれらをどのように活用するのかを理解するのが難しいでしょう。それゆえに校務分掌や事務局などの仕事は同じ人が長年担当し続けるというのも珍しいことではありません。これは決して望ましい状況ではないと思います。  そんな働きにくい状況を解決してくれるかもしれないのが、Googleサイトであると考えています。今の時代はGoogle Workspaceがあり、仕事や情報は共有することが容易になりました。Googleサイトを活用することで、Googleの様々なツールと連携させて非常に仕事が分かりやすく、さらに働きやすくなります。  新年度の開始間もないこの時期だからこそ、組織やチームでGoogleサイトの利用を開始してみてはいかがでしょうか。今回は私が担当する事務局での仕事をGoogleサイトの活用によって分かりやすく効率化したことを基にお話をさせていただきます。 Googleサイトは情報共有が楽  GoogleサイトはWEBサイトを作成するツールですが、一般公開されない組織内での運用が可能です。共有の設定でサイトのオーナーや編集者、アクセス可能な人を設定できます。私は事務局長という仕事をしているため、様々な資料を事務局のメンバーに届けなければいけません。こ

新年度のスタート 〜生徒の主体性について徹底的に向き合う1年に〜

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  桜が満開を迎え、4月に入って早くも散り始めていますね。旬の時期はあっという間に過ぎるということや、これまでお世話になってきた人々とお別れして、次のステージに移っていくことに少々感傷的になってしまうこの時期ですが、こういう心の動きがあるからこそ、また頑張っていこうという気持ちにもなれるような気がします。  今回は2023年度を迎えるにあたって、自分にとっての教育活動の勝負どころについて考えてみました。以前にも2023年の抱負について元旦の投稿で書きましたが、今回の内容は私のメインの仕事である美術教育について今年度の展望をまとめました。 生徒の主体性を刺激する仕掛けを徹底  以前は、しっかり取り組める生徒は「良い」、逆に意欲的に取り組めていない生徒は「悪い」と考える傾向がありましたが、そのように考えても授業や指導は改善しません。先日、最後の最後に美術の面白さが分かったと言って卒業していった生徒がいました。この生徒が美術を面白いと感じた要因は、課題の制作が終わった後、残りの時間で自由制作をしていて満足のいく制作ができたことにありました。それまでの制作の状況と比べて明らかに主体性を発揮して取り組んでいる姿が見られ、作品が完成した際に「制作してどうだった?」と私が聞いたら、「美術面白い」の一言。この言葉は大変嬉しかったと同時に、これまでの自分の柔軟性の不足した指導と教材に対して深く反省することになりました。   本来、教師の指導や教材は生徒が主体性を発揮して取り組めるようになるための「仕掛け」でなければいけませんが、その生徒には私の「仕掛け」が機能せず、自由制作で初めて主体性に火がついたということなので、その生徒が美術をそれまで楽しいと思えていなかったのは私の責任です 。唯一救われた思いがしたのは、その生徒が自由制作で活用した素材は廃材コーナーに集めていた木材や自由に利用して良い美術室の道具類であり、これらは私がこれまで美術室の環境改善の中で自由に生徒が使えるようにしたものであり、それがあったからこそ、その生徒の自由制作にもつながったということです。 指導や教材云々ではなく、魅力的な制作環境を用意することの大切さ、そして生徒がやりたいようにやれる状況をつくりだす寛容な姿勢 がいかに大切であるかを考えるきっかけになりました。  授業では学習目標を達成できるように教材を利用し