色の学習は三原色と白黒の混色で遊びながら
ゼロベースで色の学習の在り方を再検討
遊びをメインの教材に
今回紹介する色の学習は3年前であれば、教科書や資料集、ワークシートを活用して色の基礎的な知識を学びながら、色鉛筆で混色を作るなどして色の性質について学んでもらっていました。生徒が主体性を発揮して色に関する活動をするのは授業終了前の10分ぐらいで、もうその頃には色の学習に疲れて主体的に活動することが難しい状態の生徒もいるような状態でした。そんな授業をしておきながら、自身は「遊び」を学びの中心に据えて取り組ませているつもりという非常に皮肉で残念な状態でした。
それでも色に興味を持ってしっかり学び、活用に繋げてくれる生徒も多少なりともいたのがせめてもの救いですが、主体的な学びがメインの今の時代にそんな授業をするわけにはいかないということで根本的に教材の在り方を遊び基準にしてゼロベースで再検討しました。その結果、遊びを授業のメイン(8割程度)にしても学習が成り立つどころか、これまでよりも大きな学習成果が得られるようになったと感じています。そして何より、生徒が1時間生き生きとしている姿を見ることができたのは主体的な学びの視点からも大切だと思います。少しは過去の自分に対して罪滅ぼしができたような気もします(苦笑)
三原色と白黒の絵具で混色遊び
色の学習の主な目的は明度・彩度・色相に関する知識と、色がもたらす効果について自らの考えを基に理解したり、実践したりすることができるようになることです。知識を詰め込むだけなら、これらに関する事項を覚えるだけです。対比の効果やダルトーン、ビビッドトーンなどのトーンに関する知識、こういったものは全て知識として価値のあるものですが、だからと言って、これらをひたすら覚え、テストで良い点数が取れるようになったからといって良い学びになっているかというとかなり怪しいと言えます。
知識として知っていても、それが実践に生かせなかったり、色に対して興味を持つことができていなかったりという状態ではせっかく知識を頭に叩き込んでも大して意味がないどころか、活用しない状態が続けば瞬く間に知識は不要なものとして忘れ去られてしまいます。これは空虚な知識です。
これに対して色遊びをメインにした活動は、色の基本的な知識や効果について実感に基づき、興味を働かせて学ぶことにつながるものであると考えています。だからと言って、いきなり「絵具で自由に遊ぼう」では活動の抽象度が高すぎて学習目標を達成することが困難になる可能性が高いため、三原色(赤・黄・青)と白黒の絵具でたくさんの色を作りながら遊んだり模様を作ったりすることを活動のポイントにします。そうすると、自然と混色ができて、色相環に見られる色や明度・彩度の高い色や低い色が無数に生まれていきます。
この遊びの中で最終的に色が混ざり合って画面全体が濁ってしまったとしてもそれはそれで良い学びになります。「めちゃ黒くなった!」「土の色になった!」そんな感想を述べながら、色の特性について理解を深めていきます。たとえ自分の画面が少ない色数であったとしても、授業の最後に周りの人の絵から多様な表現を見ることができるため、相互に色の可能性について学び合うことが可能です。
遊びから美術的なメタ認知へ繋げる
授業時間の8割は生徒が色で遊びながら体験を深めていきますが、この体験を知識や活用可能な技術として深めるために振り返りが重要な意味を持ちます。
本格的に色遊びをする前に、知識に関する事項は教科書やGoogleスライドにまとめた資料で簡単に説明します。ただ、色遊びの体験前に事細かに説明しても、知識に対する必要性を感じることが難しいですし、知識に対するイメージも容易ではありません。知識に対して自分にとって関係があり、表現する上で必要であると感じることで、人は知識を吸収できるようになります。そしてそのためには実感を伴った経験が必要になります。
振り返りの際に、遊びの体験や鑑賞で得られたことと、知識を結びつけることでスムーズな言語化が可能となり、それが深いレベルでの理解に発展します。自分の色遊びで得られたものが美術的な視点でメタ認知できれば、それがまた別の機会に発揮できる力になります。これが、「三原色を混ぜて楽しかったですね!また色で遊びましょう!」だと、ただの造形遊びになってしまいます。造形遊びで三原色で混色することがとても楽しいことで、たくさんの色が作られる喜びを知ること自体はとても大切なことですが、美術の体系的な知識を自らの理想と照らし合わせて応用的に表現に生かすためにも、知識面での振り返りとそれによるメタ認知によってより広く深く学ぶことが重要です。
どの授業でもそうですが、体験や遊びに基づいた学びがあるからこそ、実感や知識から促されるメタ認知があり、振り返りが意味を成すと思います。そうであるからこそ、遊びをメインにして、他者と共に刺激を与えながら学ぶアクティブラーニングが学習の鍵を握ると言えます。また、遊びに取り組む中で知識面に手軽にアクセスできるように、取り組む前に簡単に知識に触れておくことも重要です。表現をする中でさらに発展させたいと思った時に教科書や資料集、Googleクラスルームで配信された資料に載っている情報を参考にして取り組めるようにしておきたいところです。
学校の授業ということで、知識の確実な獲得を狙うがあまり、教師が必要以上に丁寧に教え、肝心の生徒が主体的に活動する時間の割合が低くなってしまうと、結果として知識を生かす機会がなくなったり、自分事としてしっかり吸収したりすることが難しくなってしまう可能性もあります。少なくとも以前の私の色彩に関する授業ではこの傾向が顕著に見られました。特に用語関係は自分が必要と感じる状況がない限り覚えることは非常に難しいです。実際に私は美術教師であるにも関わらず色の名前(ビリジアン、モーヴなど)を必要最低限しか覚えておらず、自分が所持している絵具の名前さえまともに把握していない始末です。さすがに教師としてもう少し知っておいても良いのではないかと思うこともありますが、結局、色の名前を知らないことで困ったことはほとんどありません。
色の名前のテストがあるとなれば、さすがにそのために覚えようとするかもしれませんが、そんなテストは美術の学習において優先順位が高くなるとは考えにくいです。色に限らず全ての学習において知識活用(テストで正解して点を稼ぐこと以外)の視点が大切だと思います。そのためにも、まずは活用・応用的で主体的な活動である遊びから入ることができるように、授業プランを考えることを大切にしていきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は私の授業実践から遊びを授業のメインにして行う色の学習を紹介しました。新学習指導要領のもと主体的な学習とGIGAスクール構想の可能性について研究と実践をしてきた過去2年で培ったこと活用して古い教材をモデルチェンジしていくことは過去の自分の至らなさを痛感すると共に、とても挑戦的で面白い仕事でもあるので、これからも前向きに取り組んでいきたいと思います。
それではまた!
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