「成績」よりも「実績」

  最近、私は「成績」よりも「実績」を大切にして学習活動に取り組めるようにすることを教科指導のマインドセットの一つにしています。今回はなぜ成績よりも実績を重視する必要があると考えているのか私見ではありますが説明したいと思います。



「成績」と「実績」はどう違う?

 「成績」と「実績」、どちらも同じようなものとして思われているかもしれませんが、本質的に異なるものであると考えています。これらの言葉の違いについて今回は深掘りしませんが、一般的によく使われる成績という言葉は、特に学校において生徒が授業や試験においてどれだけの知識や技能を獲得し、それをどの程度理解・適用できるかを示すものです。成績は通常、グレードや評点として表され、特定の基準に基づいて評価されます。これに関する例はわざわざあげる必要はありませんね。テストの点数や通知表の評定でほとんど全ての人が成績というものを少なからず意識して学生時代を送ってきたことでしょう。

 これに対して、実績は実際に達成された目標や成果物、結果を示すものです。実績は定量的な数値や具体的な成果物、賞などで測られることもありますが、個人の能力や組織のパフォーマンスを評価するために使用され、成功や努力の結果を反映します。例えば、生徒会活動で校則を見直して変更したり、ボランティア活動などで地域に貢献したりといったものがあげられます。部活動で部長を務めたり、選抜メンバーとして招待されたりするというのもよくある実績の例ですね。


特定の基準に基づいて評価される「成績」
成功や努力の結果が反映される「実績」

 「実績」が大切であると考えている私ですが、決して「成績」が不要であるとは考えていません。成績は目標として分かりやすく、努力を生むきっかけにはなります。しかし、成績の問題点は誰かとの比較になりやすく、成績を競い始めるときりがありません。その一方で、予めつくられた基準に基づいて評価されるゆえに限界が生じやすいという面もあります。いくらマニアックに歴史の勉強をしたとしても社会のテストでは100点満点以上の成績は取れませんし、全統模試で全国1位になったからといって、世の中に大きく貢献する偉業を将来成し遂げるかどうかはその後の努力次第です。

 それに対して、「実績」は評価される対象であるだけでなく、それを糧にして次のステージに発展的に進んでいくという現象を生むものであると考えています。何かを創り出したり、達成したりして、成果が蓄積していくことで自分を生かせる道が自然とつくられていきます

 実績は自分自身が納得できるまで取り組んだり、誰かのニーズに貢献したりする中で結果として自然についてきます。芸術やクリエイティブに関することは成績によって価値を判断することが難しいですが、自分も含めた誰かの心を満たすものは価値ある実績となります。


「実績」を中心にすることの価値

 最近は小学生や中学生が起業する事例もよく見られるようになりました。ゴミ問題に関するもの、アプリ開発、ファッション、教育事業など、YouTubeやTwitterでこういった情報は日増しに目に入るようになっていると感じます。こういった子どもたちに共通しているのが、学校での学習や成績に囚われない活動をしているということです。こういう起業をする子どもたちは学校外で年齢に関係なく主体的に自分のやりたいことに取り組んでいます。中には学校生活に馴染めずに学校へほとんど行かずに起業する子どももいるぐらいです。これは、昼間は学校で勉強して夜は塾で勉強、志望校合格を目指して成績向上のために勉強に励むという「一般的な」子どもの姿とはかけ離れています。

 しかし、子どものうちから起業して「実績」を築いていく人たちが他の一般的な子どもたちと比べて特別変わった考えを持っているのかというと、私はそうではないと考えています。本当は、多くの子どもたちが自分でやりたいことがあるにも関わらず、子どもであるため無理と思い込んでしまうようになったのではないかと思います

 学校では社会に出るために色んなことを先生から教えられ、家庭では子どもとして保護されるのが当たり前になっているのが一般的な子どもたちです。このような環境にいると、幼いときは「〜がしたい!」と熱い思いを持っていても「子どもの自分では無理」と思うようになってしまうのも無理はありません。そして挑戦をしなくなり、失敗することを恐れ、自分が傷つかないように行動を選ぶようになっていきます。こういうマインドセットのことをフィックストマインドセット(fixed mindset)と言います。このマインドセットは安定した生活をする上では必要ですし、多くの大人がこのマインドセットを持っているからこそ社会の秩序は守られていると言えるのかもしれません。

 しかし、このフィックストマインドセットばかりになってしまうと夢を追いかけるエネルギーが湧いてきませんし、自分を生かして行動できる機会も限られるため自己肯定感や自己有能感、自己効力感などが高くなりにくい状態になってしまいます。日本の若者の自己肯定感が外国と比べて明らかに低いというデータもあるように、もっと子どもたちが挑戦しやすい環境をつくっていくことが重要であると思います。

 これまでの価値観とは全く違う価値観をもつ現代の子どもから「会社をつくりたい!」「社会に貢献する仕事を今すぐしたい」と言われたときにどういう言葉を返すことができるかが大人には問われていると思います。その時に、「今は勉強を頑張って良い成績を取って、偏差値が高い学校へ進学してからやりたいことをやりなさい」と言うのか、「面白そうだね!やりたいことはどんどん挑戦していこう!実績が評価されて会社が大きくなるかもしれないし、そういう実績を評価する大学も増えているし、可能性が広がりそうだね!」と応援するのか。学校が通知表で出す成績や入試で良い成績が取れる学力(学歴というものもある意味で実績です)と、学校という枠では収まらないような活動、どちらも大切だと思いますが、生徒が主体性を発揮してやりたいと思っていることを率直に応援できる大人でありたいと思います

 ちなみに、生徒の活動が実績重視となったぐらいで学校の成績が大きく落ちるようなことはないと思います。そもそも学校でしっかり勉強できていれば塾へ行く必要もそれほどありませんし、実績重視になって自分で考えて主体的に行動できるようになるとクリティカルシンキングの力が増して深く多面的に物事を理解することができるようになったり、学習内容が自分事になって吸収率がアップしたりすることも考えられます。


学校の中でも「実績」はいくらでも残せる

 新学習指導要領の下、学校教育も大きく変わろうとしています。特に総合的な学習(探究)の時間は課題解決型の学習(PBL)がメインであり、この学習成果は点数化できるものではなく、何を達成できたかという「実績」として残ります。

 総合の授業だけでなく、生徒会活動や部活動なども実績を残す良い機会になりますし、主体的な学習が求められるようになった各教科もテストの成績では測れないような実績を生む機会が生まれてきていると思います。言ってしまえば、学校生活の至る所に生徒が「実績」を生むきっかけは潜在しています。それを生徒に認知させ、実行に移せるようにする動機づけが教師には求められているのではないでしょうか。

 私が担当する美術では作品の制作が授業のメインではありますが、完成作品の評価よりも、学習活動全体の学びのプロセス自体を評価するようにしています。これを実現するために自分が机間巡視を常に行って活動を見取るだけでなく、Googleスライドの振り返りシートを学習レポートとして活用し、単元の中でどのような学びが達成できたのかをポートフォリオにしています。この学習レポートは自由にアレンジして良いことにしているので、最後に提出するときには大変手の込んだドラマティックなレポートに仕上げて提出する生徒も多くいます。




 ここで留意しておきたいことが、生徒たちは自分の評価をルーブリック(評価基準)で把握しているため、通知表が出される前に観点別評価がどのようになっているのかを大体は把握できています。レポートを仕上げる前から最高評価A+がついているのであれば、成績のことだけを考えたら通知表でAがつくのは確実ですし、5段階評価の5が付くことも約束されているようなものです。しかし、学習の成果を満足のいく「実績」として残すために、レポートの内容をさらにグレードアップさせ、徹底的に仕上げたいと思う生徒もいます。作品だけでなく、学習の成果そのものを実績と言えるものにできれば、その後の学習活動にも主体的な学習の面で良い影響が出ると考えられます。

 学習活動が「実績」中心になっても、結果的に「成績」も出るのが理想ですし、そうなってくるとそもそも「成績」を出す必要があるのかという議論にさえなりますが、究極的には「成績」というものが学校では不要になるのではないかと予想しています。なぜなら、学習内容が実績として残るようになれば、それが充実したものであるかどうかを判断することができるためです。わざわざ点数化して順位化する必要はありません。

 論文や芸術作品が「成績」という概念で価値づけされないのと同様に、生徒の学習活動自体も本来は「成績」という特定の評価基準に基づいてスコアにするものではないはずです。これまで「成績」で評価して序列を出すようなことが当たり前とされてきましたが、そのようなメリトクラシー(能力主義)の時代はとんでもない能力を持つAIの普及によって大きく転換していくことになるでしょう。それを見据えた学校教育が今求められていると思います。ウェルビーイングの時代と言われていますが、もしかしたらどれだけ学校生活で幸福感がアップしたかが評価され、通知表に学習実績と幸福感のスコアが表示されるような時代が来るかもしれませんね。


 最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は「成績」よりも「実績」を重視することの可能性について述べました。今後の学校の学習の在り方については妄想がかなり入りましたが、割と本気で考えていることです。どうなっていくか私自身教育現場で働きながら様子を見ていきたいと思いますが、きっと今の社会と同様に学校も生徒のウェルビーイングが尊重されるようになり、単純にテストで成績をつけて序列化するようなシステムではなくなることでしょう。実際に評定も昔の相対評価ではなく、絶対評価となり、究極的には全員がオール5を目指せるようなシステムになっているわけです。能力主義的な時代においてもそのような傾向が見られるようになっていたことを考えると、これからますます評価に対する考え方は変わっていくことでしょう。そもそも人間の幸せな人生への貢献が学校教育の構成要素であるべきだと思います。私自身、これからも自分に何ができるのか考え、実績を残していきたいと思います。

 それではまた!

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