壊れた物を直して大切に使う
先日、義実家の花入が落下して破損しました。陶器製のものだったので、粉々というわけではありませんが、3箇所で大きく割れて、表面の釉薬の部分も割れたところからかなり剥がれてしまいました。
この花入はトルコに旅行した際の思い出の品ということで、義母はかなり落胆していたのですが、ある程度の修復であれば自分でできると判断し、一旦預かって修復作業をしました。
この修復作業を通して、「壊れた物を直して大切に使う」ことの意味について考察する機会がもてたので、記事を書いてみました。
陶器の場合、大部分は接着剤で修復可能
陶器であればガラスほど粉々にならないので、破損したパーツをジャストで組み合わせて接着剤でつなげたら割と普通に使える状態にまで修復できます。今回の修復でも、全体の形としては十分に元に戻すことができました。
しかし、釉薬が剥がれたり、割れた部分の細かいパーツがなくなっていたりして、非常に痛々しい状態で、破損していることが見た瞬間にわかるという状態でした。
この花入は義母が非常に気に入っている品ですが、さすがにこの状態では家に飾る気にもなれないでしょう。なので、なるべく破損箇所が分からないように、破損してなくなった部分を埋めたり、剥がれた色を修復する必要がありました。
アクリル絵具を混ぜた接着剤(パテ)で傷を埋め、
ウレタンニスでコーティング
破損して深い傷ができてしまっている部分は接着剤やパテで埋めると強度を出しつつ、しっかり本体に接着させることが可能です。アクリル絵具を混ぜて周囲と同じ色になるようにしておくと傷があまり目立たなくなります。
釉薬はガラス質であるため、表面には艶があります。よく釉薬がしっかり塗られた陶器を硬いもので叩くとガラスと同じような甲高い音がするのはこのためです。接着剤やパテでは釉薬のような艶が出ないため、代わりにウレタンニスでコーティングすると、色が剥げにくくなり艶も出るため、修復箇所があまり目立たなくなります。
よく見ると修復した場所が分かりますが、そこまでまじまじと見られることは基本的にはないので、義母はこれで十分過ぎると言って喜んでくれました。めでたしめでたしです。
思い入れのあるものは大切に使い続ける
今回、工芸品を修復していて「壊れた物を直して使う」ことに関して考察する機会をもつことができました。それは物の価値は必ずしも市場の値段で測れないものであり、そういうプライスレスなものを大事に使い続けることの意味についてです。
今回修復した花入は破損してしまった時点でメルカリなどで販売してもほとんど値段はつきませんし、修復したものも原価と比較すると大きく値段が落ちてしまいます。値段は市場における「価値」であり、人々に共有されたものです。
ただ、一般的な価値が下がったとしても、当の持ち主からすると、大切な工芸品であり、主観的な価値が下がるわけではありませんし、場合によっては思い入れがこれまで以上に加わって主観的な価値は上がるかもしれません。
物の価値が「値段」でしか考えられなくなると、修復された花入はゴミ同然かもしれませんが、思い入れのある対象であれば、物の価値は「愛着」が基準になります。愛着のあるものが生活の中に生かされることで、物から幸せをもらうこともできます。
高価なものを手に入れると、その瞬間は幸せかもしれませんが、その対象自体に愛着がなければその幸せは長続きしません。しかし、本来は物は使った分だけ持ち主の人生のパートナーとなっていくため愛着が湧き、手放せない大切なものになっていきます。つまり、そういったものがあれば、次から次に物が欲しくなるということにもなりにくいのです。
愛着のあるものと向き合う時間
本当に大切なものを大事に使うことが幸せな人生に大きな影響を及ぼすというのは当たり前のように感じますが、便利なものが溢れ、日々消費欲を煽る新商品が発売される現代において、そういうことが難しくなっています。ついついアマゾンで欲しいと思ったものをポチってしまい、家にはどんどん物が増えてまともに使われないまま、新しい物をすぐに購入する。そんな経験がある人もいるのではないでしょうか。
物に溢れる現代において、こんまりこと近藤麻理恵の「こんまりメソッド」が注目を集めているのは、物と幸せの関係を考える上で象徴的な現象だと思います。「片付けをすることを通して自分にとって本当に大切な物を再確認する」というこんまりメソッドを実践すれば、既に自分が物質的に大変恵まれた状態であることをメタ認知することができますし、物質的な欲が満たされていると感じることができれば、自然と人間関係など精神的な面での余裕も向上すると思います。お金や物に惑わされて人間関係が壊れてしまうのは根本的に考え方に課題があると言えるのではないでしょうか。
愛着あるものを大切に長く使うことが持続可能な人生の満足感に大きな影響を与えることでしょう。ただ、本来は愛着ある物に対して執着と言えるものになり、強い執着心を物に対して抱くようになると、これまた問題が生まれてしまうのではないかと思います。
お金や物への執着が強いと失うことが許されない状態になってしまいます。全ての物といつかお別れの時が来るため、その時に感謝の気持ちを持てるかどうかが大事です。失うことを他人や社会の責任にすり替え、失うことを受け入れられないようなことになると間違いなくトラブルになりますし、その責任の矛先が自分自身に向かっても良いことにはならないでしょう。
愛着ある大切なものともいつか別れる時が来るからこそ今を大事にすることもできます。物は持っているだけではどんどん悪くなるばかりでスペース的にも持ち主を苦しめかねません。物は使い続けてももちろん傷んでいきますが、使ってこそ持ち主の幸せに貢献してくれます。使い倒して役目を終えた時に、それまで一緒に歩んできたストーリーがあるからこそ感謝の気持ちも生まれます。
壊れても直して大切に使い続ける「価値ある物」を所持しているというのはとても幸せなことだと思います。もしかしたら身の回りにそういうものになり得るにも関わらず眠ったままになってしまっている物はあるかもしれません。そういった物があるのであれば迷わず使い、残念ながらただ持っているだけで使おうと思えないような物であれば思い切って手放すことが大切なのではないかと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は「壊れた物を直して大切に使う」ことの意味について考えを書きました。美術教育でも価値ある文化財を修復したり、保存したりすることの意味については学習するのですが、制作や鑑賞に比べるとどうしても軽く扱ってしまう内容かもしれません。ただ、今回の経験を通して、自分にとって大切な物を直しながら愛着を深めて長く使うことがいかに大切なことであるかを再認識することができました。自分の美術教育の世界観を広げてくれた破損した花入に感謝したいと思います。
それではまた!
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