予想を遥かに上回る楽しいゴミ拾いボランティア
今回は先日部活動で行ったゴミ拾いボランティアで気がつけた大切なことについてお話しします。私としては非常に新鮮な感覚が得られる貴重な経験を部員と一緒にすることができたと感じています。
現在、私の勤務する学校では部活動でゴミ拾いボランティアを行っています。各部活動1回だけですが、3月中に中学校区内のゴミ拾いを30分~1時間程度行うというもので、地域貢献を通して中学校と地域がつながるきっかけをつくることを目指して行っています。
ゴミ拾いボランティアと聞くと、その活動自体に意義は感じるものの、生徒が主体性を発揮して取り組むというのは少し想像がしにくいのではないかと思います。これがもしも生徒会執行部のような組織が自分たちで企画して有志で行うのであれば生徒はある程度主体的に活動すると思いますが、部活動担当の教員からスタートした企画で、ボランティアをほぼ強制的にさせられるようなものであれば、多くの生徒にとってテンションの上がることではないと思います。
そのようなボランティア活動ではありますが、私が担当する男子ソフトテニス部も先日実施しました。結論から言うと、部員たちは主体性を発揮して大いに楽しむ姿を見せてくれました。この活動から楽しさを創造する状態の在り方について考えることが大いにできたと感じたので、今回記事にした次第です。
普通ではないゴミ拾い
今回、楽しさのスイッチが入ったと感じた瞬間がありました。それは用水路のゴミを拾うときに、道に寝そべって火箸を伸ばしてゴミをキャッチする部員が現れたときでした。その光景を見て他の部員は大いに笑いながら応援し、ゴミに手を伸ばす部員も「オラァ!」と言って気を吐きながら執念でゴミをキャッチしていました。このような状況でゴミを拾うのは危ないことであり、すぐに止めさせるように注意しなければいけないと思う人もいるかもしれませんが、それほど用水路の高さがあるわけでもなく、水深も10センチ程度、体勢的にも無理をしているわけではないので、これぐらいのトライはむしろ遊び感覚ぐらいでさせても良いと私は考えています。ただし、本当に危ない行動をした時にはいつでも止めるつもりで見守りました。
用水路にはたくさんのゴミがあり、他の部員も次から次に大物のゴミを拾い、全体のテンションは上がっていきました。「うわぁー!汚ねぇー!」と叫びながらもどんどんゴミを集めている姿が印象的で、完全に獲物を貪欲に狙うハンターと化していました。私もそんな部員のテンションに引きずられる形で道に寝そべって用水路のゴミを拾い上げたり、道路脇の草をかき分けてゴミを集めていきました。
こうしてゴミ拾いトランスモードになった部員たちは積極的にゴミを探索し、みるみるうちにゴミが集まりました。2人1組のペアでビニール袋1枚をゴミで一杯にするまで学校には戻らないという設定で行っていましたが、最終的にはゴミ袋に入らない量のゴミを獲得し、瓶や傘などを手に一杯に持って学校へ帰りました。ここまでは順調にゴミを拾って普通に楽しかったというレベルでした。しかし、この後とんでもない事態となり、それによって一層印象深い経験になりました。
瓶は綺麗に洗って処理…
学校へ戻ってゴミを燃えるゴミとペットボトル、瓶と缶に分別を始めたわけですが、当然のことながら瓶の中に入っているものは出して、綺麗に洗ってから分別しなければいけません。ゴミを拾っている時は夢中で、このことを完全に忘れていました。部員がお構いなしに拾いまくっていても気にしていなかったのですが、いざ瓶を綺麗にしなければいけないとなると、内心「こんな面倒なことになるんなら拾わせるんじゃなかった…」と、つい思ってしまいました。しかし、もう後戻りできないので、皆で中身を出して洗い始めました。ちなみに、拾った瓶の中身は何年も賞味期限が切れたものばかりで、中には1990年代のものもありました。衝撃だったのがキューピーマヨネーズです。この商品、私が物心ついた頃からチューブのものしか知りませんが、なんと瓶詰めのマヨネーズで、一体いつ作られたものであるか想像もつかないようなものもたくさんありました。
この地獄のような作業、当然悲鳴が上がります。しかし、「くっせー!」「汚ねぇ!」「オエッ」などギャーギャー叫びながらヤケクソになってやっていると、不思議なことに楽しさを感じるようになっていました。途中からはお祭り騒ぎのような状態でした。結局1時間近くかけて数十本の瓶を綺麗にし、予定よりも2倍ぐらいの時間をかけてボランティア活動することになったのですが、部員にやってみてどうだったか聞くと「めちゃくちゃ楽しかったです!」と言っていました。
さすがに「明日もやりたい?」と聞くと「絶対嫌!」という返事でしたが、今回のボランティアが部員にとって非常に有意義な経験になったのは明白でした。
楽しみを創るのは「何をするか」ではなく「どのようにするか」
面倒で汚くて臭い作業。言葉にすると、こんな最低なコンテンツはなかなかないと思いますが、これが快楽にさえなってしまう構造とは何であるかについて考察すると、創造力の本質が見えてきます。
まず、部活動ゆえに発揮されたチーム力は楽しさを生み出した重要な要素であると言えるでしょう。私が顧問を務める男子ソフトテニス部は総勢13名(2年生7名、1年生6名)というそれほど大きなチームではないゆえに足並みを揃えやすく、部員同士の仲も非常に良好です。先輩後輩の上下関係が全くないわけではありませんが、お互いを尊重し合える関係です。このようなチームの状況であれば何かをするときに方向性を合わせることは容易で、ゴミ拾いの場合でもすぐに皆で積極的に作業に取り組むことができていました。人数が少ないため、他者のやっていることを刺激にして「じゃあ自分もやってみよう」という雰囲気が浸透するのもあっという間に起きます。
チーム内でお互いに良い刺激を与え合いながら張り切って取り組む。これだけでもかなり望ましい状況ではありますが、今回は扱ったコンテンツがかなり強烈でした。ただのゴミ拾いだけであれば普通に楽しいぐらいでしたが、とてつもなく汚いもの(部員は糞尿の方がまだ綺麗と言っていました。これには私も同感です)に触れなければいけない、そして強烈な悪臭を被らなければいけないという状況となり、本来であれば誰も好んでできるような作業ではありませんでした。普通に考えたら「最悪」で終わるはずです。
しかし、実際は「めちゃくちゃ楽しい」で終わることができました。これには瓶の中身を処理するまでの過程が関係しており、張り切ってゴミを取りすぎた結果、自分たちで処理しなければいけなくなってしまった「異常事態」「失敗」が関係していると考えています。もし、今回のボランティアが「瓶の中身を取り出して洗う」というものであれば、きっと部員たちはやらされることに怒り狂ったことでしょう。誰もしたくないことを強制的にやらされるのはあまりに理不尽過ぎます。
今回、誰も不機嫌になることなく、お祭り騒ぎの中で作業を遂行できたのは、ゴミを張り切って取り過ぎてしまった自分たちの行為を自ら清算しなければいけないという「やっていること自体は大変素晴らしい&バカになってやり過ぎた異常事態(失敗)」という「ネタ」をつくり出したことにあるのではないかと考えています。私も一緒に瓶を処理していて、臭いやら気色悪いやら辛いやら最悪な異常事態を味わいつつも笑いが止まらず、部員と一緒に絶叫しながら作業を進めました。
「ネタ」にできるような異常事態、バカと取られてもおかしくない行動、こういった普通の日常生活ではなかなか味わえないようなことを、誰かの命令によってではなく、自らつくり出す創造行為によって衝撃的な体験となります。これはある意味ドラマであり、カイヨワが言うところのイリンクス(目眩やスリル)のような遊びとも言えるものではないかと思います。
楽しさを味わうために「何に取り組むか」はある程度楽しさの要素になり得ると思いますが、取り組む内容自体は楽しい体験を構成する必要条件ではなく、ただのきっかけに過ぎません。大切なのは「どのように取り組むか」ということであり、コンテンツが日常生活の基準からいくと非常に悪いものであったとしても、状況さえ整えばそれがむしろプラスにさえ働くということだと思います。
これについては2月に行われる西大寺会陽の裸祭も同様だと思います。極寒の中、褌一枚で1時間程度「わっしょい」と叫びながら裸寿司詰め状態になるのはどう考えても正気の沙汰とは言えません。それゆえに日本三大奇祭とも言われるわけですが、このイベントの盛り上がり具合は尋常ではありません。私も何度か参加したことがありますが、この祭には地獄からの生還を味わえる体験ができます。しかし、それゆえに何気ない日常に対して感謝の念を持つことができるようになります。
チームでお互いに良い刺激を与え合いながら、ネタにできるような異常事態を共有して楽しい時間にする。しかもその内容自体が社会貢献にさえなるようなものであればこんな素敵なことはありません。今回、ゴミ拾いボランティアをする前には全く予想していなかったような充実した楽しい時間を送ることができました。しかも、コンテンツがどれだけ劣悪なものであっても、それを生かして素晴らしい体験にすることができたのは、創造力の原点とも言えるような状況について考えるきっかけにもなり、本当に幸運でした。
最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は部活動で行ったゴミ拾いボランティアで全く予想していなかった楽しい経験をすることができ、楽しさを創造するヒントを得られました。この学びを今後の活動や授業にも生かしていけるよう、新たな目で物事を捉えていきたいと思います。
今回の内容が何か参考になるものであれば嬉しいです。大人になると「バカげたこと」「尋常ではないこと」を避けがちになりますが、振り返れば普通に充実した時間と感じることもできると思います。Stay Hungry, Stay Foolish.この言葉が身に沁みます。
それではまた!
コメント
コメントを投稿