制作と鑑賞が一体化した学習を当たり前にする
美術教育は主に制作と鑑賞によって成り立っていますが、他の美術の先生と話をしていてよく耳にするのが「授業時間数が少なく、制作時間が足りないため鑑賞の時間が取れない」という制作重視の指導状況です。これについては、そもそも制作と鑑賞のバランスを考えたカリキュラムを十分に練ることができておらず、計画的に授業が行えてないことが問題であると思います。ただ、制作が完了していない生徒が多くいる状態だと制作時間を追加して鑑賞の時間を削りたくなる気持ちも分からないわけではありません。特に制作した作品の鑑賞会の授業では、完成した作品を鑑賞して最大限に美的な魅力を味わってほしいと考える美術教師は多いと思うので、どうしても制作の時間が重視されてしまう傾向があるのではないでしょうか。
このような状況を考えると、鑑賞の時間を確保することは簡単なことではないと思われるかもしれませんが、取り組み方の工夫次第で作品鑑賞会を教材毎に入れることができますし、教科書や資料集の内容に触れる鑑賞学習も確保することが可能です。実際に私は毎授業鑑賞の時間を設けるようにしています。どうしてこのようなことができるのかと言うと、制作の時間は鑑賞と一体化させており、それが可能になる教室や学習の環境を用意しているためです。
今回は私が実践している制作と鑑賞が一体化した学習方法について紹介します。鑑賞の取り組み方について何か参考になることがあれば嬉しいです。
鑑賞は普段の制作時間の中で
机の環境と移動の自由
おそらく、多くの美術の先生が制作の授業中に生徒に他者の制作状況を参考にできるよう少し時間を取って動き回る鑑賞タイムを入れたことがあると思います。私も過去にはそういう時間を設けていましたが、今では授業中は基本的に自由に動き回れるようにしていますし、制作場所も好きな場所でできるようにして、積極的に他者の表現と出会える鑑賞の機会を仕組んでいます。逆に、自分の制作に集中したい場合は動き回る必要はありません。
ただ、授業開始10分間は自分の席で集中して取り組み、時間が経てば希望者は場所を自由に移動できるようにしています。まずは自分自身の制作に集中するモードのスイッチを入れるためにも、移動に制限をかけることはある程度必要であると考えています。
開始直後は自分の席で取り組むと言っても、机は4人が定員の作業机(普通の机の上に90㎝×180㎝の板を設置しています)にしているので、他者の制作状況は確認しやすい環境にしています。
普段の制作の時間中に他者の工夫に触れる鑑賞の機会があると、それを刺激にして自分の表現を発展させる姿がよく見られるようになります。アイディアが煮詰まった時ほど新しい刺激を必要としたり、普段は何にも感じていなかったような色や形の組み合わせに対してインスピレーションを得たりすることがあります。他者からの刺激が必要と感じた時に自分の判断で鑑賞の時間を取る。本来は鑑賞もそういった学習者の主体性に基づいて行われる必要があると思います。教師が鑑賞の指示を出した時にのみ鑑賞するのは個別最適化の観点からもあまり望ましいことではないと思います。鑑賞は教師の都合で行うものではなく、あくまで学習者の都合を第一に考える必要があると考えています。
生徒が動き回ると指導の機会が増えるため、あまり立ち歩きや移動を望まれない先生もいますが、たくさんの個性が集まったアイディアの掛け合わせが起きやすい環境が学校で学ぶ大きな意味だと思います。なので、是非普段から他者の制作を鑑賞できる時間を制作中に設けてほしいと思います。生徒は他者の表現に興味津々で、鑑賞すること自体は好きというケースが多いです。楽しい鑑賞の機会が毎時間あるというだけでも生徒の美術に対するモチベーションに良い影響があると思います。
教科書や資料集を制作中にも活用
教科書や資料集には「鑑賞」の資料が充実しています。これらを使って1時間丸ごと鑑賞の時間にすることもできますが、私の場合は制作に関連させて行うことがほとんどです。そうすることで鑑賞の学習を制作にも生かせるのは当然ですが、資料を見れば制作の参考にできることを強く印象付けることができます。
教科書には原始美術や古代美術など、鑑賞してそのまま作品制作に生かすケースは少ないと思われる内容も多くありますが、これらの美術作品の「持ち味」「思想や哲学」を造形美と関連させて捉えると、制作に生かす「視点」を得ることができます。例えば、縄文時代の作品であれば火焔型土器や土偶の模様、形に着目すれば、そこに当時の人々の工夫の視点に気がつける可能性があります。模様には規則性があることや、そこに何かしらの意味を含ませていると考えられること(火焔型土器の模様は言語記号的な意味を持っているということが分かってきています)、こういった深める観点さえあればいくらでも鑑賞で学んだことを制作に生かすことができるようになります。
教科書や資料集の内容に数分程度触れて造形的に大切なことを考えさせるだけでもその後の制作活動が活発になることはよくあります。鑑賞を制作が促進させるきっかけづくりとして位置付けられるように、どの内容にどのタイミングで触れるのが良いか、教材に合わせて見通しをもっておけるようにすることが大切であると考えています。なお、鑑賞の授業でありがちな知識を教師が詰め込み過ぎて説明に時間がかかるということがないように、説明は最低限にして生徒が考える時間に重きをおけるようにしたいところです。教科書に載っている知識に関することはわざわざ教師が説明する必要は基本的にありません。生徒が自分で資料を見た方が早く効率的に知識を吸収できます。教師の説明を聞くだけの鑑賞の時間にはならないように必要最低限の効果的な発話で美的な思考を促し、鑑賞させる流れを考えておくことが欠かせません。
制作状況や学習状況を共有するスライド
クラスメイトの作品は教室の中でいつでも鑑賞できますが、他クラスの作品を普段から鑑賞できる環境を用意すると、表現の発展はさらに爆発的なものになります。
そのために私が活用しているのが制作状況を共有するGoogleスライドです。授業資料に関するスライドに各クラス用のページを用意しておけば、順調な制作を発見した際に本人の許可を得た上で制作写真を撮影して該当クラスのページに貼り付けします。このスライドをGoogle Classroomにアップしておけば、他クラスの生徒の制作状況を参考にすることが常に可能になります。
完成作品の資料(レポート)を全体で共有することもできます。私は振り返り(レポート)でもGoogleスライドを活用して生徒が写真や文章で学習の記録を残せるようにしています。このレポートに完成作品をまとめるページを用意しておけば、それをコピーして共有スライドに貼り付けすれば、完成作品の写真と作品説明が全体で共有されます。
作品だけだとどういう作品か分からなかったものも、詳しい作品説明をつけることができると鑑賞する側としても作品理解が捗ります。他者の作品に対する思いや制作中の気づきなどに詳しく触れることは鑑賞の学習においてとても大切な機会です。
鑑賞の気づきを振り返り(学習レポート)に蓄積
ただなんとなく鑑賞するだけでなく、毎時間行っている振り返りの内容に他者の制作写真や参考になった資料を振り返りで記録していけば、鑑賞によるメタ認知を促進できます。
他者の作品を写真撮影して蓄積していくと自分のやりたいことが自ずと浮かんだり、自分の制作状況を記録した写真と比べたりすることで、自分の作品の特徴や不足していると感じる要素を考える機会にもなります。
授業の最後に片付けと鑑賞と振り返りをするのはかなり忙しいように感じるかもしれませんが、これも慣れ次第で、やることがルーティン化すれば自然にできるようになります。授業の開始時から振り返りで使っているGoogleスライドを立ち上げておけば、Chromebookは開いた瞬間に使用できるので、時間のロスなく記録することが可能です。
Googleスライドの振り返りで鑑賞したことをまとめられるようにさえしておけば、普段から鑑賞の学習を確実に行い、教師が学習内容を見取ることも容易になるのでお勧めです。
教室環境で生徒の動きをつくり出す
机以外にも鑑賞の機会をつくり出す仕掛けを美術室には設けています。美術室には電動糸鋸機やグルーガン、ドライヤー、素材・材料コーナー、(中古)色画用紙コーナーなど、さまざまな自由に使えるものをセッティングしています。これらを使う際に生徒は当然移動を強いられますし、道具には限りがあるので移動した先で順番待ちをすることもあります。
こういった自由に使えるものを美術室のスペースをフルに活用して、生徒が積極的に自分の所定の場所から離れて作業する状態にしています。これによって普段は関わりのない生徒の作業を見ることになったり、移動している中で自分が使う道具や素材を活用して制作している人の表現を目にしたりして良い刺激を得ることにつながります。
立ち歩きを促進する教室環境にすると授業崩壊するのではないかと不安に思う人もいるかもしれません。実際に「生徒指導は実技教科が鍵で、絶対に立ち歩きをさせずに自分の場所で作業に集中させろ」という管理職からの指導を受けたことがあるという話を他の美術教師から聞いたことがありますし、私も初任者(とは言っても3年間講師経験ありですが)の時には初任者指導の先生から似たような話をされたことがあります。こういった考え方が必要だった荒れ狂った暴力的な時代もあったのかもしれませんが、時代は大きく変わってきていると感じています。最近は反抗的な態度を露骨に表さなくても、縛られた環境で鬱屈した精神状態になってしまい、学校生活を楽しめないという生徒が増えてきています。不登校児童生徒の数が爆発的に増えている状況は色々な要素が絡んでのことではあると思いますが、学校の授業が生徒にとって出会いに溢れた楽しい時間であれば、少しはこの状況を改善することにもつながるのではないかと私は考えています。
新学習指導提要においても、生徒の主体性を尊重して生き生きと活動できる学校づくりが生徒指導の主流として考えられるようになっていることからも、美術の時間における生徒の立ち歩き学習は主体性を尊重する上で必要なことではないかと思います。自由とは言っても他者への迷惑行為があれば当然すぐに(対話的に)指導します。生徒は悪気なく迷惑行為やマナー違反を働いてしまうものなので、私自身授業中に生徒指導をする機会はかなり多いと感じています。ただ、だからこそ他者の気を遣った行動について考える機会にもなりますし、この積み重ねが授業の活発な創造活動を可能にする雰囲気を形成していくと感じています。
活発な鑑賞の機会をつくり出すためには生徒が自由に作品や表現と出会える教室と授業環境が大切であり、そのような環境に教師として身を置いていると生徒と一緒に学ぶ機会も増えます。生徒の発見は教師にとっても視野を広げる貴重な機会になり得ます。生徒と授業で遊ぶぐらいの感じで丁度良いのではないかと考えて、私も楽しむこと第一にして授業することを心掛けるようにしています。是非思い切って生徒に立ち歩きを促す環境を整えてみてほしいです。
先日卒業していった3年生の多くが最後の授業の振り返りで「鑑賞で学べたことがとても大切だった」と述べていました。普段から鑑賞することで自分の制作をより良いものにすることができたという感触を得てもらえたことは大変嬉しいことです。私たちの周りにはいくらでも創造性を刺激する自然や人工物、そして他者の創造があるわけで、そう言ったものに関心を持ち、自分事として表現に生かしていく。そんな鑑賞と制作が一体化した生活は非常に創造性が溢れた充実したものになると思いますし、それを目指して美術教育に取り組んでいくことが私たち美術教師の大切なミッションの1つであると考えています。
最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は制作と鑑賞が一体化した学習についてお話しさせていただきました。読まれた方にとって何か参考になる内容があれば嬉しいです。
現在、来年度に向けて、さらに鑑賞が身近な教室環境を考えています。また紹介できる状態になれば記事を書こうと思います。春休みも忙しくなりそうです(笑)
それではまた!
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