令和5年度が終了 〜お餞別について考えること〜
昨日で令和5年度の学校が終了、転退職される先生方を見送りました。大変お世話になった先生もいたので、切なさと感謝で複雑な気持ちになりましたが、こういった心が動く機会というのは人間が前進していく上でとても大切なことであると改めて感じています。
別れの際に渡すお餞別。この習慣は最近衰退傾向にあるようですが、お餞別は出て行かれる方に感謝の気持ちを届ける大切な機会なので、私はこの習慣が残り続けてほしいと考えています。
と言うわけで、今回はお餞別について私が大切にしていることを述べさせていただきます。結論から言うと、私は可能であれば、「すぐに使える(消費できる)もの」をお餞別として用意し、品を見た時に受け取り手が楽しんでもらえるような工夫を施すのが好きです。逆に言うと、なるべく金封だけでは渡したくないと考えています。実際には、特別な品と金封では金封の方が比率的に高いですが、特別にお世話になった方にはその人にすぐに喜んで使ってもらえるような品をなるべく用意し、特別な「加工」を施すようにしています。
今回はそんなお餞別の加工について私がこだわっていることと、お餞別の意味について私が考えていることを少しお話しさせていただきます。
似顔絵やその人に関係するものをデコレーションに活用
金封や花以外のお餞別の場合、箱型の立体になるのが普通だと思います。このような状態のものはラッピングやデコレーションで色んな工夫ができます。
私がよくやるのが似顔絵で、その人のイメージとお餞別の品に関連するような要素を掛け合わせた絵にします。例えば、ラーメンが好きな体育の先生であればラーメンマンをモチーフにしたり(お餞別はラーメンセット)、筋トレが好きな先生であればキン肉マンと掛け合わせたり(お餞別はプロテインバー)、普通の似顔絵ではない特別バージョンにします。モチーフは世代を考慮して選ぶようにしています。
似顔絵を描くことに関しては、私が美術の教師なのでハードルが高いと思う人も多いかもしれませんが、絵の技術自体は少し勉強すればそれなりのものになるので、参考書や動画を活用してトレーニングすれば1年もあれば十分にそれらしい絵が描けるようになります。
外装の工夫も大切で、元々外装が整った品であれば問題ありませんが、私の場合、品をAmazonで購入することが多く、注文に関するシールが貼られた段ボールやシンプルにビニールや梱包材で覆われた状態で届きます。そこに似顔絵を貼り付けても格好が良くないので、ラッピングしたり、ビニール梱包のものであれば箱を用意したりするようにします。そして外装を雰囲気に合ったものに加工します。
遊び心を入れる
これは関西人としてのプライドですが、真面目にやりつつ遊び心を入れることにはかなりこだわっています。遊びという概念自体がこのギリギリ感やスリル感を要素にしている現象と言えるので、一歩間違えれば失礼にさえなりかねないことを相手との関係性を考えてなるべくギリギリを攻めるようにしています。ただ、年上の人の場合は攻めつつも少し守りに寄ったものにします。失礼を働いて相手の気持ちを損ねて台無しにしないようにするのが最優先事項ですね。このバランス感覚はスポーツでの駆け引きにも似ているように感じます。
自分自身がお餞別をもらった時に学んだこと
地域が変わればお餞別の形も変わります。京都府の学校に勤務していた時は金封ではなく物をもらいましたし、倉敷に来て初めての転勤の時は金封がメインでした。
先にも述べたように、可能であれば金封以外のものをお餞別の品にしたいと私が考えているのは、お金をお餞別でもらっても、そのお金はまた他の人のお餞別に使ってしまうという「便利なお餞別ツール」になってしまう可能性があるということです。お金は使って初めて価値が生まれるもの。持っているだけでは大した意味がありません。本来であればお餞別のお金をすぐに活用することで新生活も充実するものであると考えています。
新生活で生かせる仕掛けという意味で、どのようなお餞別にするかを考えることがとても大切であると思います。ただ事務的に金封を用意するようなお餞別の場合、お金をパスしあっているだけであり大した感動もないため、お餞別の習慣が衰退していくのは自然のことだと言えます。お餞別を用意すること自体が「手間」であり、メリットもそれほどないのであれば、続けていく意味がありません。
それに対して、お餞別の品を考え、工夫を施す「手間」は、送り手にとって楽しい時間であったり、感謝に浸る時間になり得たりする、ウェルビーイングに溢れた大切な人間的行為だと思います。今回、私がこのような記事を書いたのは、人間がよりよく生きるウェルビーイングとしての価値がお餞別の「手間」にはあるのではないかという考えをまとめ、少しでも多くの人にお餞別に対する視点の一つとして考えてもらえるきっかけにしたかったためです。
別れは特別なイベントであり、この際に感じたり考えたりすることが人間が人間らしくあるために大切なことなのではないかと思います。そんなイベントをより良いものにするためにも、アート思考やデザイン思考が重要です。これに関しては美術教育の果たす役割が非常に大きいですし、これからも実生活との接点を意識しながら美術教育を行なっていきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございまいした。今回はお餞別について私のこだわりと考えをお話しさせていただきました。何か参考になるものがあれば嬉しいです。
倉敷での教員生活も10年間が完了しようとしています。あっという間に過ぎた10年間でした。これまで多くの人と出会い、たくさん感謝する機会を得ながら前進してきました。迎える令和6年度も良い出会いがたくさん生まれるように、まずは自分自身しっかり励んでいこうと思います。
それではまた!
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