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6月, 2024の投稿を表示しています

10分あれば楽しめるステンシル版画

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 今回は版画の授業実践について紹介します。しかも非常に短時間でできる版画で、発展性や応用性が高く、非常に楽しめる版画なので、授業だけでなく、普通に趣味としても楽しめるものだと思いますので、良かったらやってみてください。 版画と言えば?  版画と言えば木版画をイメージする人が多いかもしれません。実際に中学生に「版画といえば?」と聞くと、「木を彫る」「白黒」「(バレンで)擦る」という反応が多く、稀に「消しゴムはんこ」と言う生徒がいるぐらいで、小学校の頃に取り組んだ単色の木版画のイメージが非常に強いことが伺えます。  木版画と言っても本来は単色だけでなく、葛飾北斎や歌川広重などを代表とする多版多色木版画、いわゆる錦絵や浮世絵と呼ばれカラフルなものもあり、一版でも多色刷りはできるため、「版画=白黒」というイメージはあまりにも版画本来の可能性から考えると経験が不足していると言えます。そもそも版画は木版画だけでなく、紙版画やフロッタージュなども木版画と同じく凸版に分類されるものであり、これらは木版画と比べると圧倒的に手間がかからない割に普通に立派な表現もできます。なので、木版画と同じぐらいに印象に残っていても良いと思いますが、木版画の「彫る」経験と白黒の印象が強烈過ぎるのか、「版画=白黒の木版画」というイメージが強烈に刷り込まれている感じです。木版画のイメージが強いのはもしかすると岡山や倉敷の地域性なのでしょうか。私は京都府の出身で小学1・2年生の時に取り組んだ紙版画の記憶もしっかり残っており、当時大好きだった動物、特にアフリカゾウに自分がまたがっている紙版画を制作したことを今でも覚えています。版画と言えば彫ることよりも「写し取る」イメージの方が私としては強くありました。  そんな版画の授業を始める際、生徒に「今回からは版画に取り組みます!」と言ったら「版画・・・」という反応がほとんどです。粘土や絵画の時は「イエーイ!」となることが多いにも関わらず、版画はどうしたものか反応が薄いというのが率直な印象です。木版画のイメージが強いため、「あの過酷な彫る作業が始まるのか・・・」という心の声が聞こえてきそうになります。と言うよりも普通にそういう発言が口をついて出ています。木版画自体は面白いと生徒も認識していますが、とにかく大変で色もワンパターンというイメージが強いようです。  そんな生

ChatGPTとDeepLの掛け合わせでできる英語トレーニング

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 先月ChatGPT4oが発表されてその性能には驚愕しましたが、それを部分的に超える性能を持つClaude3.5も発表されて生成AIの進化が加速していると感じる昨今ですね。  働き方改革と言われながら、なかなか抜本的な解決ができない学校教育現場に身を置いている私ですが、AI業界の進歩をチェックし、世界がどう変化していくのか考え、最適な教育を生徒に提供できるようにすることが重要なミッションであると認識しています。  私は普段中学校で美術の教師をしています。 AI化が進む世界においても、「人間味のある」芸術の価値はこれまで以上に人間が人間らしく生き、人々のウェルビーイングに貢献するものとして大切な役割を果たし続ける と考え、美術の指導に努めてきました。AIの機能が充実したCanvaというデジタルツールを授業で導入しつつも、色や形、構成、素材との触れ合いを楽しみながら創造活動するアート体験、積み木やレゴに夢中になる幸福な時間の意義について生徒には考えてもらえるように指導しています。  ただ、私は美術教師になる以前は英語を専門にしており、教師になってからもたまに英語を担当する年もあることや、海外と日本を行き来した生活への憧れもあるので、美術や部活動のソフトテニスの研究をしながらも、割と日頃から英語に触れるようにしていて、英語教育のあり方についても考えてきました。それゆえに、この度のChatGPTの進化には英語学習の面で強烈なインパクトをがありました。「とうとう来たか」という感じです。  今回はChatGPTだけでなく、翻訳アプリであるDeepLを掛け合わせて英語のトレーニングをする方法について紹介します。これによって、それぞれに機能を補完し合って快適な学習ができるので大変おすすめです。 自分の英語を直してもらうようにプロンプトを入れておく  アプリ版のChatGPTは音声入力が可能で、言葉を自動認識して言語を判断して文字に起こしてくれます。AIからの返答も音声を読み上げることが可能なので、ChatGPTで英会話が普通にできます。ただ、自分の話した英語を自然な表現に直してもらうように入力しておかないと拙い英語でやり取りするだけの英会話になってしまうので、自分の英語をより良い表現に直すようにプロンプトを入れておくことが大切になります。   英会話のトレーニングで大切なことは、ト

総合体育大会で考えたこと

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 今週末は備南東地区の総合体育大会が行われ、私もソフトテニス部の顧問として引率してきました。3年生にとっては最後の総合体育大会でこれまでの練習の成果を発揮する最高の大舞台であり、中体連が主催する県大会、中国大会、全国大会につながる唯一の大会ということで 選手は敗退する最後の一球まで全力でプレーをする熱い大会です。  今回、この大会の中で改めて考えさせられることがたくさんあり、部活動の意義についてさらに認識を深めることができたと感じています。こういう経験あってこそより良い教育についても考える機会になるので、今回考察したことをまとめてみました。 「勝ち負けが全てではない」を深掘りする  最後の大きな大会ゆえに、出場する選手、特に3年生のほとんどが貪欲に勝利を目指してプレーします。もちろん勝負なので必ず勝ち負けがつきますし、強い選手が敗れて県大会を逃してしまう波乱も起きます。  良い結果を得たいという思いはあっても、勝ち負けが全てではないという話は多くの人に共通理解されている価値観ではありますが、そのことが当たり前過ぎてその言葉の意味について深い認識をもつに至っていないケースが多いように思えます。それは毎年新たに認識を更新する学びを得られている自分自身にも当てはまることです。そして、今回の大会では特に大きな学びがあり、こうして記事を書くに至っています。  私が担当するソフトテニス部の団体チームは良い選手が揃っており、岡山県のチームの中でもかなり上位のレベルに達している手応えが大会前にはありました。春の大会や練習試合でも県でベスト4に入る上位の学校と互角の試合ができていたので、第8シードで臨む今回の団体戦ではベスト4をかけた試合で第1シードの学校を倒すことを目標に取り組んできました。ここで優勝すれば県大会、そして中国大会も視野に入ってきます。  そして迎えた団体戦の初戦。シード校ではないものの、かなりの力を持った学校と対戦し、3−4(負)、4−1(勝)、3番勝負となった3試合目が3−4(負)で1対2の初戦敗退となりました。たくさんの試合をして長い1日になると考えていましたが、団体チームの挑戦は早々と終了してしまいました。  負けた二つの試合に関して言うと、本来の力を発揮できずに苦しい展開となりながらも粘り強く戦った末にいずれも最終ゲームで負けてしまったのでとても悔しい結果で

Canvaで道徳をアクティブに 〜Googleと連携して〜

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 今年度から倉敷市にCanvaが導入されて、これまでGoogle中心の利用だった私もCanvaならではの良いところを探りながら授業活用を進めています。  私の担当は中学美術で、Canvaはグラフィックデザイン系の学習で有効であると感じています。これから中学1年生の授業でデザインの学習が始まるので、テンプレートだらけになって肝心の形や色、構成の創造を楽しむ要素が犠牲にならないように配慮しつつ、学習意欲を刺激する活用を試行錯誤していきたいと思います。  私が美術での活用に先立って授業で利用を始めたのが道徳です。私は今年でクラス担任を11年連続で担当しており、常々道徳の授業の在り方について研究してきました。ここ最近は生徒の一人一台端末の実現によってJamboardを使ったり、昨年度は途中からGoogleスライドを活用したりして協働的な道徳の学習ができるように授業実践してきました。  そのような中Canvaが導入され、実際に活用してみる中でそのメリットについて見えてきたことがあるので情報共有させていただきます。読まれた方にとって何か参考になるものとなれば幸いです。また、以前にJamboardを利用した道徳の授業について記事を書いているので、もうすぐサービス終了するツールではありますが、ICT活用の視点の一つとしてよかったら見ていただければと思います。 Google Jamboardで道徳をアクティブに Vol.1 Google Jamboardで道徳をアクティブに Vol.2 プレゼンテーションで図形ツールを付箋の代わりに活用  Canvaで協働学習する際にホワイトボードを活用するケースも多いと思いますが、私はプレゼンテーションが使いやすいと感じています。質問の内容ごとにページを分けることで内容をまとめやすいことや、ホワイトボードのように拡大しすぎたり縮小しすぎて迷子になることもありません。30人〜40人分の意見を集めるにはプレゼンテーションで十分ですし、使える機能も基本的に変わらないので、とても使いやすいと感じています。  意見の収集方法についてはGoogleスライドの時からしていることですが、予め図形ツールに出席番号を入力しておき、意見は自分の番号のところに入力させるようにしています。意見を入力する際には番号を消して入力することも可としています。  Canvaの付箋ツー

改めて思う体育会の価値

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 6月1日は私が勤務する中学校で体育会が開催されました。天気にも恵まれ、生徒が爽やかに頑張る姿がとても印象的でした。  前回のブログでは部活動と非認知能力について述べましたが、体育会も非認知能力の育成という面で果たす役割は大きなものがあると思います。今回は体育会を終えて改めて思ったその価値についてまとめてみました。 全力で走り、全力で応援  私の勤務する中学校の体育会は昔ながらの体育会で、種目は90m走、200m走、2人3脚リレー、女子400m(100m×4)リレー、男子800m(200m×4)リレー、長縄、学級対抗リレーという徒競走系に大変偏った種目構成となっています。これではほぼ走力だけで順位が決まってしまうため、種目構成には課題を感じていますが、それでも走るのが苦手な生徒も含めて多くの生徒が体育会を楽しむことができている状況を考えると、体育会というコンテンツ自体の可能性を感じさせられます。  走るのが得意な生徒であっても、必ず上位に入ることができると保証されているわけではなく、他クラスの種目登録状況によっては速い生徒が集まった結果、最下位になってしまうことも普通にありますし、その逆に走るのが苦手な生徒でも相手次第で1位を取ることができることもあります。   結果だけに囚われてしまうと、順位が悪いとあまりポジティブな状況にはならないかもしれませんが、学校の体育会では順位は二の次で、クラスのためにとにかく全力で走るという明確なミッションがあり、クラスの生徒は全力でクラスメートを応援し、勝っても負けても健闘を讃えるのが自然となっています 。また、健闘を讃えるのは自分のクラスメートだけでなく、他のクラスや学年の生徒に対しても温かい声援を送る姿が見られ、こういう姿はとても美しいと感じます。  周りからの声援はドーパミンを刺激し、普段以上に力を発揮することになります。それゆえに怪我をしてしまうリスクも上がりますが、そういう全力を出す経験や、クラスが総立ちになって大きな声で叫びながら応援するという経験は、普段では味わえない感動経験であり、充実感やウェルビーイングといった人生の本質的な部分に多大な影響があると私は考えています。  もし、体育会がそのようなお互いを称え合えるような状況でなく、ミスした人を戦犯扱いにしてしまうような雰囲気に包まれていると、勝ち負けで大きく充実感が変