改めて思う体育会の価値
6月1日は私が勤務する中学校で体育会が開催されました。天気にも恵まれ、生徒が爽やかに頑張る姿がとても印象的でした。
前回のブログでは部活動と非認知能力について述べましたが、体育会も非認知能力の育成という面で果たす役割は大きなものがあると思います。今回は体育会を終えて改めて思ったその価値についてまとめてみました。
全力で走り、全力で応援
私の勤務する中学校の体育会は昔ながらの体育会で、種目は90m走、200m走、2人3脚リレー、女子400m(100m×4)リレー、男子800m(200m×4)リレー、長縄、学級対抗リレーという徒競走系に大変偏った種目構成となっています。これではほぼ走力だけで順位が決まってしまうため、種目構成には課題を感じていますが、それでも走るのが苦手な生徒も含めて多くの生徒が体育会を楽しむことができている状況を考えると、体育会というコンテンツ自体の可能性を感じさせられます。
走るのが得意な生徒であっても、必ず上位に入ることができると保証されているわけではなく、他クラスの種目登録状況によっては速い生徒が集まった結果、最下位になってしまうことも普通にありますし、その逆に走るのが苦手な生徒でも相手次第で1位を取ることができることもあります。
結果だけに囚われてしまうと、順位が悪いとあまりポジティブな状況にはならないかもしれませんが、学校の体育会では順位は二の次で、クラスのためにとにかく全力で走るという明確なミッションがあり、クラスの生徒は全力でクラスメートを応援し、勝っても負けても健闘を讃えるのが自然となっています。また、健闘を讃えるのは自分のクラスメートだけでなく、他のクラスや学年の生徒に対しても温かい声援を送る姿が見られ、こういう姿はとても美しいと感じます。
周りからの声援はドーパミンを刺激し、普段以上に力を発揮することになります。それゆえに怪我をしてしまうリスクも上がりますが、そういう全力を出す経験や、クラスが総立ちになって大きな声で叫びながら応援するという経験は、普段では味わえない感動経験であり、充実感やウェルビーイングといった人生の本質的な部分に多大な影響があると私は考えています。
もし、体育会がそのようなお互いを称え合えるような状況でなく、ミスした人を戦犯扱いにしてしまうような雰囲気に包まれていると、勝ち負けで大きく充実感が変わってくることでしょう。しかし、たとえクラスが最下位であったとしても体育会を楽しむことができたと思える状況であるなら、体育会を行う意義は大いにありますし、育める非認知能力のことを考えると教科の授業時間が多少犠牲になるのも仕方がないこととして受け入れることもできます。これは文化祭に関する取り組みも同様のことが言えるでしょう。
ドーパミンMAXで振り切る体育会の特殊性
体育会の特殊性は「必死」になって振り切った状態で取り組むところにあり、この経験は文化祭に関する合唱や合奏、ダンスといった取り組みではクラス全体で見たときになかなか実現できるものではないと思います。体育会での競争の種目はシンプルに全力を尽くすものがほとんどで、応援も「頑張れ!」「行け!」「抜かせ!」など、この上なくシンプルなものばかり。体育会は誰にでも全力で取り組みやすい単純さがあり、クラスで一致団結して頑張ることはそれほどハードルが高いことではありません。小難しい話は抜きにして、全力を尽くす。ペアやクラスメートと声を揃えて動く。こういったシンプルな全力行動によってドーパミンを生み出し、とてつもない高揚感が得られるイベントが体育会です。
部活動でもこういった類の高揚感は得られますが、ほとんどの競技は技術や駆け引きに大きなウェイトがかかっており、がむしゃらに全力でできるものではありません。テニスであれば、ショットの大半は6〜7割で打ちますし、プレー自体に抑揚があります。応援も全力で行いますが、インプレー中は静かにすることがマナーになっているので、点が入れば声をあげて喜びますが、すぐに静のモードに選手も観戦者も切り替えなければいけません。試合の流れが相手に行って押されている状況だと盛り上げることさえ難しくなってしまいます。意気消沈という状況もよくあります。これはきっと多くのスポーツに当てはまることでしょう。
それが体育会ではスタート時は静かにしますが、大半の時間を占める走行の際は会場全体が大盛り上がり。体育会の特殊性はこのドーパミンMAXでやる方も見る方も振り切るというところにあると思います。
ミスがあっても温かいフォロー
個人的な話になりますが、今回の体育会で私のクラスではミスやハプニングが相次ぎました。そういうことが起きた瞬間はさすがに頭を抱えてしまうものですが、後でミスをしたクラスメートを温かく励ます姿が見られ、こういうところも体育会で見られる美しい光景だと思いました。
ミスをした生徒は反省したり、大泣きしたり、悔しい思いと申し訳ない気持ちで一杯になっていたことでしょうが、それを責めることなく笑顔でフォローし、頑張った部分に焦点を当てて接する。そんな経験は人として大切な成長につながりますし、振り返ったときに良い思い出話にさえなることでしょう。
PBIS(ポジティブな行動支援)という教育の形が言われるようになっている昨今ですが、これは教師が意識して取り組むのは当然ですが、そういう姿勢が生徒からもたくさん見られるようになることが理想です。普段の学校生活の中では実感を伴った学びの機会を得ることが難しくても、体育会という全力を尽くして走ったり応援したり、助け合ったりする機会は生徒がPBISを実践する良い機会になります。このような環境で生徒は心を耕し、自分のやりたいことに一生懸命取り組んだり、他者を大切にすることを通して自分自身も成長したりできるというポジティブなサイクルが回り始めると思います。
私自身も、今回の体育会で生徒への感謝の気持ちが一段ともてるようになったと実感しています。トラブルは避けたいものですが、全力で取り組む中でのトラブルは他の誰かの活躍を生み出す機会にもなり、そういうった場面で普段見てこられなかった生徒の素晴らしい一面を発見することにもつながります。
結果に囚われてしまうと、ミスを責めたり指導したり、生徒も教師もとてもじゃないですがポジティブな気持ちにはなれません。あくまで体育会は心を耕す学びの一環として行われているということを忘れずに、これからも体育会というイベントを大切にしていきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。私自身、子どもの時から体育会というものが好きなイベントではありましたが、教師になって一層好きになってきていると感じています。先にも述べましたが、勤務校の体育会が最高の形で行われているとは思っていませんし、今後に向けて課題はたくさんあると認識していますが、改善するべきところは改善し、体育会本来の良さは大切にしていけるように、自分にできることを取り組んでいきたいと思います。そして生徒たちと一緒に素敵な思い出を今後も作っていけたらと思います。
それではまた!
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