総合体育大会で考えたこと

 今週末は備南東地区の総合体育大会が行われ、私もソフトテニス部の顧問として引率してきました。3年生にとっては最後の総合体育大会でこれまでの練習の成果を発揮する最高の大舞台であり、中体連が主催する県大会、中国大会、全国大会につながる唯一の大会ということで 選手は敗退する最後の一球まで全力でプレーをする熱い大会です。

 今回、この大会の中で改めて考えさせられることがたくさんあり、部活動の意義についてさらに認識を深めることができたと感じています。こういう経験あってこそより良い教育についても考える機会になるので、今回考察したことをまとめてみました。



「勝ち負けが全てではない」を深掘りする

 最後の大きな大会ゆえに、出場する選手、特に3年生のほとんどが貪欲に勝利を目指してプレーします。もちろん勝負なので必ず勝ち負けがつきますし、強い選手が敗れて県大会を逃してしまう波乱も起きます。

 良い結果を得たいという思いはあっても、勝ち負けが全てではないという話は多くの人に共通理解されている価値観ではありますが、そのことが当たり前過ぎてその言葉の意味について深い認識をもつに至っていないケースが多いように思えます。それは毎年新たに認識を更新する学びを得られている自分自身にも当てはまることです。そして、今回の大会では特に大きな学びがあり、こうして記事を書くに至っています。

 私が担当するソフトテニス部の団体チームは良い選手が揃っており、岡山県のチームの中でもかなり上位のレベルに達している手応えが大会前にはありました。春の大会や練習試合でも県でベスト4に入る上位の学校と互角の試合ができていたので、第8シードで臨む今回の団体戦ではベスト4をかけた試合で第1シードの学校を倒すことを目標に取り組んできました。ここで優勝すれば県大会、そして中国大会も視野に入ってきます。

 そして迎えた団体戦の初戦。シード校ではないものの、かなりの力を持った学校と対戦し、3−4(負)、4−1(勝)、3番勝負となった3試合目が3−4(負)で1対2の初戦敗退となりました。たくさんの試合をして長い1日になると考えていましたが、団体チームの挑戦は早々と終了してしまいました。

 負けた二つの試合に関して言うと、本来の力を発揮できずに苦しい展開となりながらも粘り強く戦った末にいずれも最終ゲームで負けてしまったのでとても悔しい結果でした。それは県大会を最低目標として設定していた団体のメンバーにとっては尚更のことだと思います。しかし、苦しい試合の中で必死にもがきながらプレーをしたり、仲間を声が枯れるまで応援したりした選手と団体メンバー外の部員の姿はとても立派でしたし、そういう「一生懸命」「必死」な時間をチームとして共有できたことは大変貴重な経験だったと思います。「ここで負けるわけには絶対にいかない!」という死に物狂いな気持ちが出ており、それは相手チームも全くもって同様でした。

 ただ、力のあるチームが初戦から負けそうな状況になった時の必死感というのは私がソフトテニス部の顧問になって以来初めての感覚でした。これまでのチームは前任校も含めて今年よりも戦力が劣るチームだったことがほとんどですが、そんなチームでも初戦は突破し、県大会にも何度も進んできたので、初戦から窮地に陥り必死に奮闘するも甲斐なく敗退するという経験は、ある意味私にとって大変新鮮なものでした。さすがに全く望んでいた結果ではなかったので、すぐに心の整理をすることが難しかったことは否めません。しかし、こういう経験も自分にとって、そして部員にとって大切なことであると今は思います。

 そういう状況を踏まえた上で「勝ち負けが全てではない」という言葉の価値も輝くものであると思います。この言葉は「結果にはつながらなくともやり切った」という頑張ったこと自体を肯定的に捉える際によく用いられていると私は感じていますが、今回のケースではもちろんそういう部分もあったと思いますが、それよりも「悔しくて悔しくてたまらない」というものであったと感じています。県大会への望みが団体として断たれてしまったゆえに、個人戦での奮起を誓った選手、強くても県大会に行けなかった先輩の姿を見て自分が練習を頑張らなければいけないと強く決意した2年生以下の部員など、悔しさをバネにする気持ちが強烈に生まれたように感じています。実際に試合を終えて解散する際に「学校へ戻って練習したい人がいるのであれば練習に付き合います」と言うと、団体メンバーに加えて多くの生徒が練習に参加しました。こういうモチベーションの芽生えが敗退したことで生まれたのは人間としての成長を考える上で非常に肯定的に捉えることができると思います。

 「勝ち負けが全てではない」と言うのは簡単ですが、振り返った時に何が得られたのか、そして自分の中に何が芽生えたのかを考える機会を仕掛けることは部活動の教育的側面として非常に重要なことであると改めて思いました。


1年生が3年生の真剣を目の当たりにする場

 正直なところ、多くの1年生にとって最後の大きな大会で必死になってプレーすることの意味をまともに理解することは難しいことだと思います。実際に団体戦で応援に来ていた1年生の中には家庭への連絡手段として持参を許可しているスマートフォンで試合の待機中にゲームに興じ、先輩や他の教員から指導されても再びゲームをしてしまうという部員が何名かいました。試合がない部員には事前に試合会場に来ている意味について確認していましたが、それが全員に伝わるものではなく、やはり意識には大きな差が存在するということを突きつけられた思いがしました。この事実を知ったのは試合に入る直前で、怒りとやるせなさのあまりに「スマホでゲームをしたやつは試合の応援はせずに今すぐ帰れ」と部員に対して言い放ってしまい、チームの士気に大きく影響を与えてしまったかもしれないことは冷静に考えると自分自身反省するべきことですが、そのような状況が生まれてしまったことも含めて今年度のチーム力であり、受け止めなければいけないことであると感じています。多くの1年生にとって団体戦は自分事にはなっておらず、そういう状況にもっていくことができなかった私とチームのリーダーである3年生、そしてそれをサポートする2年生の責任です。

 部員の中にはなんとなくソフトテニス部に入り、なんとなく友達と一緒にいることを目的にしている場合もあり、特に3年生が引退する前の1年生にはそのような姿がよく見られます。3年生の進退がかかった大事な試合の応援とサポートをするよりもスマホでゲームをすることの方が優先順位として高いというのも、残念なことですが事実であると認めなければいけません。しかし、そんな1年生たちも3年生の真剣な姿、悔しがる姿を目にして、その意味をしっかり理解できなくとも、そういう姿があるのだということを目にする貴重な経験にはなったと思います。それがいわゆる「違和感」のようなものであっても良いと思います。普段の生活で必死な人の姿を見ることはなかなかないことでしょう。ましてや漫然とゲームをする時間が長いような生活をしている生徒であれば尚更のことだと思います。少しずつではありますが、そういう人間のリアルなドラマを体験することで人の心は色々と感じられるようになるものであると私は思います。必死に頑張った経験がない人が必死に頑張る人の気持ち、そしてその先に流す涙の意味を理解することは難しいことでしょうが、そういう光景が何か心の片隅に残るものとなるのであれば、部活動としての意義は十分に果たしていると思います

 総合体育大会という大きな舞台に部活動全体で臨んだからこそ実現した貴重な成長の機会であり、教育的な仕掛けの要素に溢れているということを確認することができました。


求められる応援する側の冷静さ

 応援は選手の力になることもあれば、時として試合の進行の妨げになってしまうこともあります。マナーを守った応援であればどれだけ大きな声になっても基本的には良いでしょうが、マナーに欠けた応援や発言によってせっかくの熱い試合に水が刺されてしまうようなことがあってはいけません。

 ソフトテニスではアウトやフォルト、インのジャッジが基本となっており、かなり際どいジャッジになることも多々あります。正直なところ、真剣に見ていてもミスジャッジは起こり得ますし、中学生がほとんどの場合審判をするソフトテニスでは毎試合とまではいかなくともミスジャッジが起きることは珍しいことではありません。場合によっては選手の反応でインかアウトを判断してしまう審判もいます。

 だからこそ、「外野」である応援とベンチコーチに入っている顧問やコーチ、そしてプレーヤーにはジャッジに対して口出しができないルールが存在します。これを守れない場合は警告(イエローカード)が選手やチームに対して出されます。全ては試合が公平に行われ、審判が判定に困ってしまわないようにするためです。

 そうであるにも関わらず、外野から判定に関わることでプレー中に声があがったり、判定を覆すような声をあげたりして、選手と審判が困惑しながら試合を進めなければいけないような状況を作ってしまっては、せっかくの大舞台での試合が台無しになってしまいかねません。熱い気持ちをもって選手も見ている側も試合に臨むことは素晴らしいことですが、スポーツはフェアであるからこそ気持ち良くプレーできますし、良い試合によって感動が生み出されるものであると思います。総合体育大会は選手の熱いプレーと、マナーを守りつつも爽やかで励まされる応援でさらに素晴らしい場が作り出されるからこそ最高の舞台になると思います。負けた時にも相手のチームの選手や顧問、保護者の方々と爽やかにお互いの健闘を讃えあうことができるのも部活動を通しての素晴らしい経験です。そんな部活動の輪の中に多くの人が関わって欲しいと改めて思う週末になりました。


 最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は本当はさらっとまとめるはずだったのですが、書いているうちに色々な思いが浮かんできて内容の割に長々と書いてしまいました。そんな文章でも読んでくださった方にとって何か考える機会になったのであれば嬉しいです。

 これからも部活動を通して充実した時間を送りつつ、本職の美術の指導にも好循環が生まれるように、経験したことを言語化によって深掘りしていきたいと思います。

 それではまた!

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