一律の提出物(課題)がもつ問題についての考察 〜主体性を発揮できる課題設定とは〜
10月のこの時期は中間考査が行われている学校も多いのではないでしょうか。テストがあるとそれに向けた課題に関する話を生徒から聞いたり、取り組む様子を見たりすることも多くなります。そんな姿を見ていて思うのが「生徒のやっつけ仕事感」です。課題に生き生きと取り組む姿を見ることは稀ですし、おそらくそれが当たり前だと認識されているのではないかと思います。しかし、本当は勉強が好きになるように教師が仕掛けを考えたり、課題を設定したり、工夫をすることが大切だと思います。知識を獲得するためだけならいくらでも便利な教材がある現代において、教師の役割は「主体性に学習に取り組める生徒の育成」にあるためです。
今回は、生徒が学習に取り組む様子を普段から見ていて、勉強嫌いに繋がりかねない避けてほしい課題の取り組ませ方についてお話しさせていただきます。その方法は「一律同じ課題の提出物」です。この問題点については、小中高と学校で課題に取り組んできた多くの人からすると何となく分かると思います。人それぞれ取り組むべき課題は違うはずですし、個人的にやりたい勉強もあるはずです。しかし、学習への主体性が声高に言われるようになった現代においても、依然として一律の課題がスタンダードであるように感じています。
私は、このような提出課題が一般的である原因は、教師が「個別最適な課題の取り組ませ方」について十分な認識ができていないことにあり、やり方が分からないゆえに従来型の一律課題の提出物という方法から抜け出せないためであると考えています。個々に合った課題に取り組む方が生徒のためになるということは、ほとんどの人が分かっていると思いますが、そのためにどのように課題に取り組めるようにするのかが分からないという状況なのではないでしょうか。
今回は一律の提出物(課題)によってどのような問題が生まれるのか、そして個別最適な課題に取り組んでもらえるように、教師として、または子どもの教育に携わる大人として、どのようなアプローチが必要なのか、考察をしてみました。
一律の課題で意欲が増すのは競争の時
一律の課題が必ずしも悪いわけではなく、誰かと競争する時は一律の課題だからこそ意欲が増すこともあります。試合やゲームで少しでも相手を上回るために知識や技術、発想力を駆使するのは大変興奮することだと思います。それはテストで競い合うのも同じかもしれません。
しかし、学習課題は競争目的ではなく、知識や思考を豊かにするためのものであり、力の伸ばし方は人によって様々です。取り組むべき課題が一人一人違うのに、それを無理やり一律にするのは、評価する側からすると課題の完遂度をそのまま評価点にすることができるのでシンプルで分かりやすいです。評価点の競争ですね。しかし、そのような方法が生徒の学習意欲を本質的に伸ばすものとは考えにくいでしょう。学習は評価点や内申点を獲得するためにするものではなく、学力を身につけて、この世界とよりよく関わって幸せに「生きる力」を伸ばすことが主な目的です。ましてや提出点を稼ぐための課題となってしまっては、学習内容そのものよりも、いかに早く課題を終わらせるかに焦点がいってしまい、まともに内容を理解もせずに空欄を埋めて提出するという、学習とは言い難いような状態を生んでしまいます。
じっくり自分のペースで課題に取り組み、着実に理解度を高める。そんな当たり前の取り組み方ができるように、教師は課題の設定を考える必要があります。
自らの課題と向き合う時間を奪う一律課題
教師から一律の課題が出されて、それに提出点がついてしまうと、他にやりたい課題があっても、提出点に響かさせるわけにはいかないので優先的に提出課題に取り組もうとします。これでは生徒の主体的な学習の機会を奪い、受動的な学習姿勢を助長しかねません。
自分で判断して課題に取り組むからこそ、学ぶ内容に対するモチベーションが高まります。自分にとって必要であると考えたり気が付いたりすることで知識を吸収する準備ができるためです。興味がある内容であれば、驚くほど早いスピードで知識を身につけることもできます。逆に、課題のレベルが自分にあっていないものだと、取り組む時間は無駄の多いものになってしまいます。できない生徒からすると基礎問題でさえ分からないのに応用問題まで取り組まされますし、基礎問題が簡単すぎる生徒は退屈な問題に延々と取り組み、応用問題に十分な時間を当てられなくなってしまいます。一律の課題が主体的な学習を行う上での「障害」になってしまっては、教育上本末転倒です。
ただ、この教師によって設定される提出課題による「障害」は、テストで点数が取れない生徒の救済目的にもなっているケースが多くみられます。つまり、教師からすると、答え丸写しでも良いから期限内に点数が取れる生徒と同じように出せば評定1にならないように、むしろ配慮していると考えているわけで、何の悪気もなく一律の提出課題を設定していると言えます。
問題が難しすぎたり、量が多すぎたりして答えを丸写ししない限り提出が困難な課題を生徒の個人差を無視して一律で課すこと。このことがいかに学習に対するモチベーションにネガティブな影響を及ぼすかを考える必要があります。学習をファシリテートする視点を忘れてはいけません。教師は学び方を生徒に身につけさせるプロである自覚をもって様々な課題(仕掛け)を考えることが大切であると思います。
生徒の主体性を伸ばす課題の設定
では生徒一人ひとりが効果的に学習をし、主体性を伸ばせるような課題の設定とはどのようなものが考えられるかと言うと、「取り組む内容が一人ひとり異なる提出物」で良いと考えています。ワークなどを使って勉強はしても、取り組む内容や問題は学習者の判断で選べるというのが望ましいでしょう。個々のニーズに応えられるように、自分の判断で取り組めるようにする課題設定であれば、自然と個別最適な学習になることでしょう。
観点別評価の「主体的に学習に取り組む態度」というのはそもそも学習者が自分で判断して学習に取り組む力を見取り、評価するものですが、これが提出物の内容云々ではなく、課題の範囲を完了したかどうかで判断されているのであれば、それは「主体的」とはどういうことか考える必要があります。教師が一方的に設定した課題を取り組むかどうかは生徒の主体性とは関係ありません。主体性が高い生徒であれば、もしかしたら設定された課題以外のものに取り組んで自分にとって最適な学習をする可能性もあります。
個別最適な学習は学習意欲を上げるポイントであり、それが結果として主体的な学習にもつながるということを念頭に置いて課題を考えるのがコーディネーターやファシリテーターとしての教師であり、生徒の学習成果にもつながることでしょう。やる気スイッチが入れば人間誰でもものすごい勢いで学習します。そのためには「できる」「分かって面白い」というきっかけが大切。そんな生徒の達成感を促せるような課題設定をして多様性のある提出物となれば見る楽しさも生まれると思います。
提出物のチェックが教師として楽しめるものになっているかどうかが、課題設定のポイントかもしれませんね。
最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は一律の提出物がもつ問題点と、生徒が主体的に課題に取り組める方法についての考察をしてみました。何か参考になるものがあれば嬉しいです。
私は美術科が担当なので、提出課題は授業作品と学習レポート(振り返り)が主なものになりますが、どちらもある程度の型(画用紙、木材、粘土、レポート用の資料など)は予め用意しながらも、それを自由にアレンジして良いことにしています。なので、提出されるものはどれも異なったものですし、何か特定の答えがあるわけでもないので丸写しする必要もありません。自分のやりたいことに合わせて取り組むだけです。
これは確かに教科性もあると思いますが、美術でも評価しやすくするためにいくらでも一律の課題を設定することはできますし、実際にそういう取り組みもしばしば目にします。そのような学習がもしも生徒や教師にとってワクワクするものであれば良いのですが、そのような状況になっていないのであれば改善を考える必要もあるでしょうね。ただ、生徒も教師もワクワクする課題を考えるのはとても楽しいことだと思います。そんなワクワクを大切にして、これからも課題設定を考えていきたいと思います。
それではまた!
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