中学生の総合体育大会と部活動について思うこと
今の時期は全国各地で中学校の総合体育大会が行われていると思います。私の勤務する倉敷市でも、今週末から備南東地区の大会が開催され、3年生は最後の総合体育大会に出場して熱い試合を繰り広げていることと思います。
私が担当するソフトテニス部も団体・個人共に出場し、今日ブログを書いている時点で団体戦が終わり、個人戦1日目(ベスト32が決定)が終了しています。もう1日大会は残っていますが、今年の総体の振り返りと、この大会の意義と部活動に意義について考えたことをまとめておきたいと思います。
2年連続で団体の県大会出場を逃す
昨年、力のあるチーム(シード校)でありながら団体戦で1回戦負けした悪夢が、今年も再び起きてしまいました。今年は新人戦で3位に入り、第3シードで総体を迎えたのですが、今年度から参戦したクラブチーム(実力はあるも、ポイントを持っていないためノーシード)に2回戦で当たり、激戦の末1−2(団体は7ゲームの3対戦)で敗れました。1勝1敗で迎えた3対戦目、一時マッチポイントを握りながらも、勝ちきれず、ゲームポイントで追いつかれ、ファイナルゲームで負けました。昨年も似たような形で負けたので、とても悔しい思いをすることになりました。
私たちのチームに勝利した相手チームは、結局その後第2シードの学校も破り、決勝進出。最終的に2位だったことを考えると、勝てなかったこと自体は非常に残念でしたが、チームとしては決して悪い状態ではなかったと言えます。それゆえに、県大会に出場できずに団体としての戦いが終了してしまったことに勿体なさを感じます。しかし、勝負の世界ではこういうことはよくあることで、これが悔しさのバネとなって今後の生活にプラスになってくれることを願っています。
敗れはしたものの良いチームになれたこと
敗退したことは本当に悔しいことでしたが、相手も実力があり、激闘の末に負けたわけなので、試合後は敗戦のショックはありつつも、清々しさもあり、それほどチームの雰囲気はネガティブなものではなかったのが救いでした。選手も応援も死力を尽くし、100%以上の力を振り絞っていましたし、相手も負けじとプレーしていたので、応援と感動が混ざり合った言葉に表せないような試合状況となりました。本当に勝ちたい気持ちがぶつかり合い、とてつもない熱気がコートを包んでいる状態でした。そして、試合後はお互いやり切った気持ちで、健闘を讃えあう爽やかな挨拶で締めくくることができました。
今回の大会で私が特にポジティブに思えたことが、試合に出られなかった選手たちの成長です。今年のチームは3年生が4名で2年生が13名、1年生が6名で、団体メンバーも3年4人、2年3人、1年1人という編成となっています。現2年生が1年生だった時の総体では団体戦の応援でほとんど力になれていないだけでなく、試合前にも関わらずスマートフォンでゲームに興じる(先輩に注意されてもやめられない)という、普通ではありえないようなお荷物状態だった生徒たちが、今年は必死に声を枯らして応援して、チームの雰囲気を大いに盛り上げてくれました。
入部して間もない1年生はさすがに2・3年生のような応援はできていませんでしたが、先輩たちの姿を見て大いに刺激を受けたのではないかと思います。3年生を含めた団体メンバーが全力を尽くし、メンバー外もチームの一員という自覚を持って挑んだ総体。2回戦敗退という辛い現実を吹き飛ばすぐらい、良いチームになれた喜びを感じることができました。
部活動のもつ非認知能力の面での意義
練習では、以前は自分の番を待っている時は棒立ち、ボールが出されても準備ができておらずまともに反応できない、自主練習よりもスマートフォン。そんな状態だった生徒が1年経てば、暇さえ見つければ自主練習で壁打ちに出かけたり、練習時に順番を待っている時にはフォームをチェックしたり、テニスに対して非常に主体的に取り組む姿が見られるようになりました。これは一部の2年生の話ではなく、普段真面目に部活動に参加している生徒全員がそのような姿になっています。
運動能力が高く、スポーツ経験が豊富な生徒であれば、テニスを始めればすぐに上達することが多いですが、そうでない生徒が地道に努力することを覚え、少しずつ運動能力や技術を身につけて、実力が追いつくというケースはよく見られます。私はこういうところに特に部活動の重要な側面があると感じていて、その魅力に取り憑かれています。
スポーツが得意ではない生徒がスポーツが好きになり、トレーニングに励むことができるようになって苦しいことにも粘り強く取り組むことができるようになるのは非認知能力の成長を意味すると言えます。最近では認知能力の大切さはもちろんですが、むしろ非認知能力を育むことに大きな可能性があることに注目が集まっているように、この力をいかに育むかが教育の世界では課題となっています。
そのように考えると、部活動は非認知能力を育む重要な役割があり、練習のモチベーションとして機能する大会、とりわけ総合体育大会の存在は非常に重要であると言えます。この大会があるからこそ、練習の成果を発揮する機会(他の大会では生まれない高いモチベーションを引き出すのが県大会や全国大会など上の大会につながる総体)になりますし、必死に頑張る先輩を後輩が見て、頑張る気持ちを引き起こす機会にもなります。
部活動のような強烈な体験ができれば、それは主体的に取り組む態度にもつながりますし、そういう態度の獲得は非認知能力の獲得にもつながることでしょう。一人で頑張るだけでなく、チームとしてお互いを応援し、プレーにも応援にも必死になれる。そういう経験は人を大きく成長させます。
クラブチームが参戦しても変わらぬ部活動の意義
クラブチームが参戦すると、当然のことながら公立学校は不利になります。上手な選手が集められるクラブチームと、地域の住民がベースになる公立学校ではどうしても戦力的に大きな差となってしまいます。その結果、総合体育大会などの全国につながる大会で公立学校の選手が勝ち上がることができないという状況も生まれると思います。
それでも、部活動の持つ「教育」という面での意義に影響があるかというと、決してそういうわけでもないと思います。実際に、私が勤務する岡山県では、私立の山陽学園と就実の女子ソフトテニス部が長年県のTOP2を独占し、他の学校が中国大会に進むことが困難な状況でした。それでも、各校の女子ソフトテニス部員は県大会出場を目指し、「可能な範囲で」ベストな成績を目指しているチームがほとんどでした。
中学校の部活動では努力してきたことを何かしらの結果に変えたり、仲間と協力して熱いものをつくり上げたりして、自己有能感や自己肯定感をもつことができるところに大きな意義があると私は思います。決してクラブチームや私立の学校の選手に敵わなくても、3年間で練習してきたことがある程度通用すれば、達成感も生まれます。そして、そういう経験は高校でも競技を続ける要因になり、生涯スポーツとして楽しむことにも繋がります。
スポーツをする目的は人それぞれなのは言うまでもありません。部活動に所属する生徒の目的ももちろん各々によって違います。それでも、個人でレベルアップを図ったり、チームで良いものをつくり上げたりすることは、普段の生活場面でたくさんあるわけではありません。それゆえに、部活動という「場」が教育上とても意味のある場所になると思います。
私もソフトテニス部の一顧問として、部活動の意義についてこれからもしっかり向き合いながら、より充実した活動ができるよう勉強し、日々実践していきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は総合体育大会について思うことをまとめました。考えたことを備忘録的につらつらとまとめた文章ですが、読んでくださった方にとって、何か参考になるものがあれば嬉しいです。
余談になりますが、大きな大会で両チームが必死になってプレーし、応援する状況は「お祭り」のような状態になります。誰かが用意したお祭りを楽しむのではなく、自分たちでそういう状況をつくり上げ、とんでもない高揚感を得られる感動的な体験ができる機会はこれからも大切にされてほしいと思います。
また来年に向けて良いチームを作り、総合体育大会に臨むことができるよう、私も励みます。
それではまた!
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