期末課題として美術レポート

 


 今回は、学期末の課題として美術レポートを作成することの重要性について考えを書きます。私は以前から、美術の教科特性上、テストをするよりも、レポートの方がメリットが大きいと考えてきました。もちろん、美術でも知識は必要であり、定期考査では知識だけでなく、発想面も生かせるような内容になるよう、問題の工夫が大切であることを以前の記事「https://art-educator-tatsuwaki-serendipities.blogspot.com/2021/02/blog-post_28.html」で書いたことがあります。私としてはテストが悪いとは考えていませんし、時間に余裕があるのであれば、テストとレポートの両方ができたら理想的とさえ思います。しかし、限られた時間で最大限の学びを実現するためには、テストではなくレポートと考え、「主体性」が特に重要視されるようになった現在の学習指導要領への改定を機に、定期考査を廃止してレポートにする案を昨年度末に出しました。そして今年度から私の勤務校では1学期と3学期の定期考査をレポートにすることが認められました。(2学期の考査は念のためということで残されていますが・・・)

 実は以前に勤務していた学校の中には美術の定期考査がないところもあり、そこでは期末レポートを課題にしていたので、今回の取り組みは私にとって初めてのことではありません。今回、テストからレポートに変更したいと思った背景にはレポートを作成するメリットが大きいという過去の手応えがありました。

 レポート作成は美術以外の教科でも大切だと思います。持続可能な開発のための教育ということでESD(Education for Sustainable Development)という言葉を聞くようになりましたが、レポートの作成はこの新しい時代の教育にも結びつくことだと思います。それにしても、SDGsとかESDとかVUCAとかSTEAMとか、頭文字だらけの分かりにくい言葉が爆発的に出てきて、新しい言葉についていくのが大変です。ITとかNATO、WTO、ASEANぐらいなら楽勝と思っていましたが、こうも怒涛の勢いで頭文字の言葉が出てくると訳が分からなくなります。暗記が絶望的に苦手な私なので、これらの頭文字言葉を積極的にこのようなブログの場で使って自分に刷り込んでいきたいと思います。自分で使っておいて速攻で意味を忘れたりするなんてことは考えにくいので、このようなアウトプットの場は自分にとって大切です。

レポートを作成することのメリット

 定期考査の存在意義はテストを通して、学習内容の定着度を確認し、未定着な内容や自分に必要な内容を後で学習することにつなげるところにあると思います。そう言った意味でテストは確かに大切ですし、美術でもテストを行う価値は十分にあると思います。しかし、そのような「今後の学び」への認識を持ち、テスト後に勉強するモチベーションにすることができている生徒がどれくらいいるでしょうか。難関大学を目指すような進学校に通う高校生や、一部の向学心のある中学生であれば、テスト後に未定着の内容を振り返り、今後につながる学びをするかもしれませんが、多くの生徒はそういう認識をテストに対して持っていないのが現実です。

 多くの生徒が気にするのは点数と順位、そして通知表の評定であり、テストが終われば学習した内容は「不必要な情報」として失われていきます。これは持続可能とは程遠い状況と言えます。結局のところ、場を凌ぐために得た知識は虚しい学力でしかありません。テストがただの点取ゲームのような状態になってしまい、このゲームを楽しめるのは覚えるのが得意な生徒であり、覚えるのが苦手な生徒にとってはストレスにしかなりません。

 学んだことを生かすことができる「生きる力」や「確かな学力」にするためには、自分の思考力として活用することが必要です。レポートでは、ただ知識をまとめるだけでなく、自分の思考を用いて考察したり、自分なりに分かりやすく解釈したり、関係することをさらに調べたりといった発展的な内容にすることができます。これは勉強というよりも「研究」に近い感覚と言えるかもしれません。そもそも勉強も研究も、英語ではstudyで共通ということには勉強の本来の形を考えさせられます。

 自分で思考したことをレポートにまとめ、じっくり取り組んでいると、新たな発見が生まれます。私たちの頭の中だけでは発想力に限界があり、実際に手を動かし、絵を描いたり、文章を書いたりしないとイメージはそれほど膨らみません。テスト勉強もそうで、ただ学習内容を覚えているだけでは学習内容の根本を問うような思考活動はほとんど期待できず、短時間で点数が取れるように要領よく勉強するにとどまります。要領を追求する中で肝心の活用できる力が身につかないのでは一体何のための勉強か分かりません。思考活動を促すような取り組み抜きにはまともな勉強にはならないと言えます。


入試につながるかどうかの問題ではない

 レポートを通して「生きる力」「確かな学力」をつけるという話を聞くと、「そうは言っても入試に必要ない教科である美術なんて、一夜漬けで覚えて、その後綺麗さっぱり忘れてしまっても問題ないやん」と思う人もいるかも知れません。私も昔はそう考える人の一人でした。しかし、よく考えてみて欲しいのですが、この世の中、美術に関係しないものを探す方が難しいということです。身のまわりの品はほとんどがデザインされたものですし、部屋のレイアウトや服のコーディネートを考えるのもデザインに関する活動です。普段食べているものにさえ何かしらの美意識が関係しています。もしグチャグチャで汚い状態の食べ物がお店で出てきたら、一生そのお店には行かないようになると思いますし、家庭の食事でもある程度は美味しそうに見えるように気配りがされるのが普通です。それぐらい私たちは普段から美意識を無意識に近いぐらいのレベルで働かせています。そんな生活には欠かせない美意識を、様々な活動を通して総合的に学ぶのが美術の時間です。

 しかし、美が施されたものを当たり前のように享受している私たちですが、これが美をつくり出す側になった時に、突如として多くの人が「自分にはできない」と考えてしまいがちです。そういったことは専門家のすることだと決めつけ、自分でアレンジしたりクリエイトしたりすることを放棄して、「お手本」となっているものをそのままコピーしたり、ただ消費したりするだけという、没個性的な状態になってしまいます。本来なら美術を学んで、自分の理想に合わせてクリエイティブなデザインを考えたり、ユニークな造形表現をすることができるはずなのに、その力を発揮できないというのは残念なことです。逆に、少しでも美術で学んだことを生かした活動をすると、アイディアマンとして賞賛を受けたという経験がある人もいるのではないでしょうか。義務教育で全ての人が美術を学び、創造活動をしているはずなのに、その力を発揮できないというのは非常に勿体ないことだと思います。

 私はレポートで学んだことを深めたり、広めたりする機会がこのような状況を改善する上で、テストよりも効果があると考えています。レポート作成にあたり、授業で学んだことや感想文、振り返りを確認すると、自分自身の学びを客観化しメタ認知(自覚)できる可能性が生まれます。このメタ認知の機会があるかないかで、学びに向かう態度が変化します。

 例えば、モネなどの印象派やピカソが用いたキュビスムという技法について「学んだことの意味」を考え、深掘りしていくと美術の範疇を超えた認識を持つことができます。印象派であれば、綺麗な光の表現というだけでなく、産業革命によって世の中が便利になってチューブ式絵具が開発され、それまでのように絵具を画家が作らなくなって良くなっただけでなく、そこで生まれた余裕と便利さ、制作環境の変化によってイノベーションが起きるということが分かります。また、写実的な表現の限界を超えるキュビスムという技法は、モチーフの様々な側面を描いて再構築することによって、写真のような一面的な視点では絶対に表現できない深い意味を絵に持たせることができ、多面的に捉えることの可能性について考えさせてくれます。私が大学4回生の時に英語から美術に進路変更したのは、他でもないピカソの表現の偉大さに気が付いた自分自身をメタ認知したからこそです。

 じっくりと考え、記述したり表現したりすることを通してメタ認知につなげ、そこからさらに学びを深めていく。そういった側面はレポートの大きなメリットであると言えます。そして、この「深まる」経験の先にあるものこそ、レポート最大のメリットがあると私は考えています。


レポートは制限を突破できる

 テストであれば、100点以上を取ることは不可能です。ちなみに私は超ケアレス人間なので、確認に確認を重ねても102点満点のテストを作成するなど設定ミスによって限界を突破できるテストを作成することがありますが、基本的にテストには限界があります。

 しかし、レポートの場合、評価自体はAが最高ランクであったとしても、一般的なAを遥かに超越したスーパーレポートが稀に出現します。レポートはA3片面の全面に作成する基準があっても、もしそこに入りきらないぐらいに盛り込みたい内容があれば、それは裏面や別の紙に追加することもあって良いと考えています。主体的な学習態度に火がついた人間は、自分がやりたいと思ったことは納得するまでやり続ける傾向があります。やめたくてもやめられない。そんなとんでもない状態になった時に、人は尋常ではない狂気のような研究や表現を行います。そういう強烈な経験こそ、充実した学習を実現する上で大切です。
 美術の授業の中心は制作活動ですが、授業時間で取り組める作品の数は限定的です。しかし、学んだことを生かして他にも表現したいと思うこともあるでしょう。そういう主体性のある生徒であれば、授業外で自由に作品を制作し、それをレポートにすることもできます。また、ある表現方法について深めていくと、他のことにもつながって調べる対象が広がり、1枚の紙には収まらないような状態になる可能性もあります。自由研究で凄いボリュームになったものを見ることがありますが、あのような現象が美術レポートで起きても特に問題はありません。唯一問題になるとしたら、レポートをチェックする時間が膨大になり、私の時間外労働が増えてしまうことぐらいでしょうか。しかし、素晴らしい作品がそんなブラックな労働時間をかき消してくれます。
 このように、レポートでは自分が学習を深めたいと思ったことを自由に選ぶことができるため、美術が元々好きな生徒であれば内容をどこまでも盛大に発展させます。その一方で、美術が決して好きではない生徒は必要最低限の内容でレポートをまとめようとします。しかし、そんな生徒でも学んだ内容を振り返り、大事だと思ったところと「向き合う」機会は確実に訪れます。心を無にして内容を丸写した場合は完全に内容をスルーすることもできるかも知れませんが、何も考えずに授業資料や教科書を書き写すことは難しいことです。
 美術が好きではない生徒でも、学習内容に含まれた大切な意味を感じられるように、授業資料の内容にはこだわるようにしています。決してただの知識の羅列とならないように、少しでも生徒が関心を持てるように授業資料の改善は延々と続きます。良い資料ができたと思っても、授業をすると反応がイマイチ・・・なんてことはざらにありますし、その逆に簡素な資料なのに授業はうまくいったという予想外の反応もあり、そういった経験が資料を少しずつ最適化していくことになっていると感じています。
 資料のブラッシュアップとそれによる授業改善は教師にとって必要な取り組みであるだけでなく、そこにやりがいと面白さもあります。決して美術が好きではない生徒であっても、ちょっとしたきっかけでど美術の壮大な世界に関心を持てるようになる可能性があります。そのことを信じて日々自分自身の美術教育の改善に努めていきたいと思います。


 最後まで読んで下さってありがとうございました。今回は美術レポートの重要性についてお話しさせていただきました。学んだことを振り返り、深めていくことによって、美術が私たちの生活に大変関係するものであり、学ぶ価値のあるものであることを実感できる可能性は高まると思います。私は美術教師として美術レポートについてお話ししましたが、他の教科にも当てはまることは多いのではないかと思います。定期考査が悪いとは言いませんが、生徒の学びに対する考え方を変えるべき時がきていると私は思います。要領よく覚えて、良い点数を取るために勉強するのではなく、生きる上で活用可能な力を身につけるために勉強するということを私たち教師は生徒に気がついてもらえるように学習の機会を提供できるようにしていくことが大切だと思います。

 次回はデジタルでの振り返りシートの活用法について紹介する予定です。今年GIGAスクール構想が始まり、授業でのChromebookの活用が進んでいますが、私は振り返りシートをデジタル化しました。これに関しては以前にも記事を書いたことがあるのですが「https://art-educator-tatsuwaki-serendipities.blogspot.com/2021/05/google-classroom.html」、使い始めて1ヶ月以上が過ぎ、見えてきた新たな可能性ついて紹介したいと思います。

 それではまた!

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