廃棄する前に最適化につなげてみる part.2
今回は以前に書いた「廃棄する前に最適化につなげてみる」のpart.2です。凄く前に書いた記事の続編になります。以前の記事では、転勤してきた学校の美術室が最強の汚部屋で廃棄物だらけでたくさんのものを捨てましたが、捨てるだけでは勿体無いということで、活用できるものは工夫して活用するという内容でした。その際に、棚の窓が活用できていない状態のまま、1年以上寝かせ続けていましたが、ようやくリメイクにつなげることができましたので紹介します。
今回この窓を展示用ケースとしてリメイクしました。実は以前の学校でも校舎建て替えの際に廃棄物として同じような棚があり、それを展示ケースにリメイクしたことがあるので、その経験を生かした形です。
合板と90cm × 20cm × 1.5cmぐらいの木材、ネジ、窓とケースを固定するための金属、窓のレールを埋める軽量粘土を使いました。
鉄の素材感が木材とのマッチングの面で少し気になりますが、この流用感がむしろこの展示ケースの持ち味であると自分自身に言い聞かせたいと思います。
展示ケースにリメイクしたきっかけ
このケースを作ろうと考えたきっかけは、以前同じようなものを作ったことがある(上の写真)という経験もありますが、今年これから行われる倉敷市の児童生徒の作品が集う倉敷っ子美術展に立体作品を出品する予定ができたためです。立体作品は鑑賞者に触られないように展示方法を工夫する必要があるため、展示ケースが必要になりました。
必要性を感じるまで手をつけていなかった窓の廃棄物ですが、展覧会のおかげで重たい腰を上げることができました。いざ行動を始めると、あっという間にできましたし、作る楽しさや完成させる達成感もあり、改めて働くことによって得られる創造の機会というものを考えさせられました。
勉強にも仕事にも主体性が問われる時代ですが、全て自分きっかけで始めるのは限界があります。周りからの刺激を得て動くきっかけになるものもたくさんあります。その時に、「自分にはこれができる」という知識や技能、さらには発想力があると、挑戦的な課題もゲーム感覚でクリアすることができるのではないかと思います。今問われている主体性というものは「全て自分の好きなようにやる」というものではなく、自分が置かれている状況で必要な課題をポジティブに解決して楽しむことに変えてしまう姿勢だと考えています。要は、これも遊ぶ力と言えるのではないでしょうか。
ブリコラージュの視点
ブリコラージュとは「あり合わせのもので寄せ集めて自分で作る」「器用仕事」という意味の言葉です。私はこのブリコラージュの視点が多くのことに有効に働くと考えています。ブリコラージュは既存の意味に囚われず、あり合わせのものでなんとかしてしまうことなので、この視点を持つことが創造性という意味で非常に重要です。
遊びという様態も、このブリコラージュに関係しています。遊びを発展させるために使えるものは既存の意味にとらわれず遊びに利用するというメタモルフォーゼ(変化・変態)としての性質を持っています。遊びやブリコラージュは恣意的にただ気の向くままに行動しているわけではなく、そこには必ず「意味の変化」「知識・技能の活用・応用」が含まれます。これらと非常に相性の悪い概念が「常識」「固定観念」だと私は考えています。これらの縛りから解放されない限り、遊びはただの気晴らしであり、仕事や生産性とは相容れないものですし、廃棄物はただのゴミです。
ブリコラージュの視点があれば、究極的には「捨てるものは何もない」状態になります。今の時代はリサイクル技術もかなり進化しているので、廃棄物として出したとしても実はそれほど資源の観点から見れば無駄は出ていないと考えることもできます。しかし、そもそもゴミを出さなければ問題ありませんし、ブリコラージュによって価値あるものに創造されるのであれば、それは社会にとって前進を意味します。まさにSDGs。
私は美術教師としてこのブリコラージュの視点を生徒に涵養させ、共有していくことが大事だと考えています。こういうリメイクされたものを美術室に置くことで、生徒にリメイクすることの魅力を自然と気が付かせることもできます。
DIYを楽しむ人が多い時代
DIYという言葉が社会に完全に定着した感じがありますね。これは物質的に十分に恵まれ、物に対する余裕が生まれた時代であるからこそ、物に対して主体的に関わっていこうとする現象としてDIYという言葉が生まれたと私は考えています。もちろん大昔からDIYは一般的でしたが、それは生活をする上で必要があったために行っていたわけであり、工業化社会になって家具などが大量生産されるようになってからは、実はDIYをするために材料を購入して作るよりも既製品を購入した方が費用の面では安くつくというケースも少なくありません。それでもDIYで自分の作りたいものを作るというのは、他ならぬ「DIYすることの楽しさ」があるからこそではないでしょうか。
今後ますます3Dプリンターの普及などによって物質的には恵まれ、個々のニーズにあったものが安く提供される時代がやってきます。しかし、全て他者から提供されたものだけで満足できないのが人間です。これにはきっと「作って遊ぶ」という本能が人間には備わっているのでしょう。この点についてはまだまだ研究段階で、現象学で遊びの様態についての研究が進んでいる程度で、生体心理学の視点からはまだまだこれからという段階です。脳科学の研究も進んでいると思いますが、この点については私は素人でよく分かりません…(苦笑)。
おそらくまだまだ「作って遊ぶ」という本能の科学的な根拠としては乏しいですが、子どもたちが誰かから教えられるわけでもないのに砂場や草木で夢中になって遊びながら何かを作っていく様子を見ていると、ほぼ間違いなく作って遊ぶDNAが人間には組み込まれており、その結果が人類の文明・文化の発展を可能にさせてきたのではないかと思います。
DIYを楽しむ人が増えてきた時代であることを考えると、人類は生活に困ることなく、創造的に遊びながら生活を楽しむ状況になりつつあると思います。そういう時代だからこそ、造形教育の果たす役割がますます大きくなってきていると感じています。私は美術教師としてこの視点を大切にしながら教育活動に携わっていきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。今回は「廃棄する前に最適化につなげてみる」のパート2ということで、窓のパーツを展示ケースにリメイクするという内容と、ブリコラージュの視点の重要性、そしてDIYという言葉の広がりから見えてきたことについてお話しさせていただきました。身のまわりに何かDIYに生かせる廃棄物などがあれば、是非創作遊びをしてみてください。今回の内容が何かしらの役に立つ情報になれば嬉しいです。
それではまた!
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