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1月, 2021の投稿を表示しています

遊びの創造性 〜自動化する学び〜

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  前回に引き続き「遊び」についての記事を書きます。今回は造形活動における遊びの創造性について述べていきます。そしてそのために自動化する学びが大切であり,「遊び」に潜在するその可能性について迫っていこうと思います。  私は大学院の時から常に「遊び」を美術教育だけでなく,人生のあらゆることにその要素を見出し,活動や学びの充実を図ってきました。このブログやウェブサイトを始めたことも自分の活動をより遊べるものにしたかったためです。教科教育や学級を経営し,部活動でテニスや美術を指導するという普通の教員としての人生も決して悪くはなかったのですが,そのような日常に少し飽きてしまったというのが本音です。より美術教育を通して刺激的に遊びたいと考えた時に,ブログやウェブサイトで発信力を高めたり,厳しい環境に身を置いて自分のレベルをさらに上げたいという考え方に行き着きました。より厳しい戦いを好むサイヤ人のようなマインドセットです。本当にドラゴンボールはと幼少期に出会ってよかった(笑)   「遊び」を人生の核に置くことで,刺激や発見を求めて行動する習慣が確立します。これは「学びの自動化」と言えるもので,このような状態に少しでも多くの子どもたちが成長できるように学習の在り方を説明しているのが学習指導要領になります 。特に来年度から中学校でも施行される新学習指導要領では「主体的で対話的な深い学び」をテーマにしており,この狙いは自ら問題解決し,生涯にわたってたくましく学び続け,柔軟に生きることができる力の育成にあります。いよいよ「生きる力」について文科省も本腰を入れてきた感じがしますし,GIGAスクールというのは国をあげて新しい学びに向かって学校を変革していく決意の表れと取ることができます。   「学びの自動化」を私はこれまで常々目標にして授業を考えてきました。今回はそんな授業の中からヘンリー・マチスのカット・アウトという表現を参考にした教材「カット・アウトで喜怒哀楽」を紹介しながらどのように学びが深まっていき、創造性につながったと考えられるか説明します。  この授業ではまず喜怒哀楽の中から自分がテーマにしたい感情を決め,自分のイメージに合う画用紙を選び,下がきなしにハサミで形を切ります。切ったものは喜怒哀楽それぞれのテーマに分けられた四つ切り画用紙に好きなように貼り付けさせ,最終的にクラス全

遊んでこそ学べる

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  今回は私が教育のモットーにしている「遊び」をテーマに記事を書きます。  皆さんは「遊び」と聞いてどのように考えるでしょうか。それがもしも仕事や勉強と相反するものであると考えているのであれば,私はちょっと勿体無いと思います。なぜなら 「遊び」と仕事や勉強はかなり両立するもの だからです。私がこうして休日や学校での勤務時間外にブログを書いているのは紛れもなく「遊び」の範疇ですが、これを通してたくさんの学びがあります。さらに言うと,もし私がブログを書くことを仕事にして副業としてやっていくようになったとしても,これまでのように遊びの一環として書き続けると思います。 遊びは楽しい限り続けられるものであり,遊び自体楽しさを発展させる構造をもったもの です。  私は修士論文で「遊びの構造を分析することで見えてくる造形教育の在り方」について研究しました。なぜ遊びについて研究しようとしたかというと,私が実家で飼っていた猫の日々の遊びから知性を伸ばしたり,世界を広げるヒントがあるように感じていたためです。実家には猫がたくさんいましたが,一番よく遊ぶ猫はとても賢く,好奇心旺盛で猫とは思えないような行動をたくさんしていました。かなり気性の荒い猫だったので,手を焼いたこともありますが,その分色んな関わりがあったように思います。そんな猫の遊びを見ていて,そもそもなぜ知能の高い動物は遊ぶようになったのか考えるようになったのが研究をスタートするきっかけとなりました。  そうしてゼミの先生が私に推薦してくれた本が西村清和著「遊びの現象学」だったのです。この本は遊びを哲学的に分析していて,研究を進める上で大変有益な情報を得ることができました。あまり大衆向けではありませんが,大変おすすめできる内容なので,教育に関わる人には是非読んでみて欲しい本です  この本を要約すると, 「遊びとは自己目的的な活動であり,遊びが何か他のものに利用されてしまうと,遊びとそれに向かう人の同調関係は壊れてしまい,遊べなくなる。遊びが遊びとして発展していくには,あくまで遊びの同調関係の中で生じるゆらぎ(浮遊)を創造的に遊ぶことによって可能となる。」 という感じです。なんかモヤモヤする要約で申し訳ありません(苦笑)。これはつまり,遊びはあくまで遊びであるから楽しいし,発展させていけるのであって,もしもこれが勉強や真剣なスポー

自然に学ぶ美 〜岩石〜

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  今回から「自然に学ぶ美」をテーマに記事を書少しずつ書いていきます。シリーズものにして、たくさんの自然の美とそこから学べることについて考えを発信していきたいと思います。 自然に学ぶというのは、 自然そのものについて学ぶ ということです。そして、そこから美について迫っていきたいと思います。  美とはどのようなものであるかと考えたときに、自然というのはとても大事なヒントになります。 私たち人類は長い間自然の中で暮らしてきました。そしてその中で生活や種の繁栄を支える良いもの(美点)を発見し、美の概念を生み出してきました 。これは人間の本能レベルの美意識であり、こういう美意識は人間以外の生物でさえもっているとされます。例えば、色が綺麗な花びらの花には蜂が集まります。これは、蜂たちがそこに良質な蜜が取れることを本能的に知っているためだとされています。また、オス鳥が美しい羽を持っている傾向にあるのは、羽の美しさから健康状態を判断して、メスが良い状態のオスを選ぶためであるとされています。   生物たちは種の保存と繁栄のために「自然の美」にとても敏感に反応するようになっている のです。なので、自然の姿についてよく観察し、繁栄している何かを感じ取った時に、それがどのような状態になっているか、つまり 「自然に学ぶ」ことによって美の姿も自ずと見えてくる のではないかと思います。そして、その先に、より普遍的なことについて考えることもできるようになるのではないでしょうか。この点においては私もまだ大体のイメージでしかもてていないので、これから記事を書いていく中でより明確に自分の中に築いていきたいと考えています。  というわけで、今回は「岩石」から学べることについて私なりに考察をしてみようと思います。岩石は山や川にたくさん存在する非常に身近でお手軽な存在です。皆さんは岩石を見て何か魅力を感じたことはあるでしょうか。岩石は理科の授業で様々な種類のものがることは学習しますが、それがただの知識にしかなっていないのであれば大変勿体無いように思います。  そういう私も高校で地学を専攻して、岩石に興味は持ったものの、実際に岩石を自然の中に主体的に見に行くようなマニアではなく、漠然と地層を見て、「面白い模様だなぁ」と思う程度でした。実は私、実家にいたときには兄からもらった富士山の火山岩が机の片隅にずっと置い

美術に関わる全ての人に読んで欲しい本

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  今回は美術に関わる全ての人に読んで欲しい本の紹介をします。この本からは美術を学ぶ価値や、生きていく上で非常に重要な視点をもてるようになるきっかけを掴むことができると思います。その本というのは、「新学習指導要領」と言いたいところですが、これはマニアック過ぎて美術を学び始める中学生には壮大すぎる内容なので今回は紹介を控えておきます。冗談はここまでにしておき、中学生を含めて美術に関わる全ての人に読んで欲しいのが「13歳からのアート思考」(末永幸歩著)という本です。  この本は美術教師である末永先生が 「自分だけのものの見方」ができる人がこれからの時代で活躍できる人間になる ということで、アーティストのように考えてアートと関わることの重要性を説明しています。美術教育がスタートするのは13歳の中学1年生からということで、この本は中学1年生でも読めるような内容になっていますが、大人にとっても目から鱗な有益な情報が詰まった一冊となっています。  この本の内容を簡単に説明すると、アートは植物のように例えることができ、 花(作品)は単なる結果であり、大事なのは植物の根の部分(アート思考のプロセス) ということで、この根の部分について知ることが全ての人にとって必要だということです。  そして主に6つの作品を取り上げて多角的にその魅力について説明していきます。6つの作品というのが、 1.「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」ヘンリー・マティス 1905年 2.「アヴィニョンの娘たち」パブロ・ピカソ 1907年 3.「コンポジションⅦ」ワシリー・カンディンスキー 1913年 4.「泉」マルセル・デュシャン 1917年 5.「ナンバー1A」ジャクソン・ポロック 1948年 6.「ブリロ・ボックス」アンディー・ウォーホル 1964年 というラインアップです。美術史をかじったことがある人なら、割と有名どころばかりなので、思い浮かぶ作品もあるのではないかと思います。しかし、彼らの作品の魅力についてはどうでしょうか?  美術の授業で名前や作品は覚えたけど、魅力は分からない。これまで私が会ってきた大人はそういう人が多いように感じます。例えば20世紀最大の画家ピカソ。彼の名前を知らない大人はいないでしょうし、まだ中学校に入りたてほやほやで美術を学んでいないはずの1年生でさえ大抵は知っています。しかし、

素材のもつ魅力 〜木材編〜

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  前回に引き続き「素材のもつ魅力」についてお話しします。今回は最も身近な素材と言っても過言ではない木材の魅力について迫っていこうと思います。  皆さんの考える木材の魅力とは何んだと思いますか?。あげ始めるととんでもなく壮大な話になってしまいます。なので、今回は私なりに簡単にまとめ、主に美術や工芸に簡単に生かせる部分を中心に書いてみました。少しでも参考になる内容をお届けし、木材についてより親近感と興味をもっていただけたら嬉しいです。  まず、木材の魅力は以下のようなものがあると私は思います。 1.美しい木目、模様、質感 2.適度な硬さを持っているため彫刻で多様な表現が可能 3.朽ちた部分も味になる 4.独特の良い香り 5.遊び道具として豊かな体験をさせてくれる といった魅力があると思います。今回はこの5つについてお話ししていきます。 1.美しい木目、模様、質感  木材の木目が作り出す模様や質感は木材の部位によって変わりますし、木の種類によっても当然変わります。真っ直ぐな木目は洗練された雰囲気を放ちますし、曲がりくねった木目からは生命感を感じます。枝別れする部分などには節があり、これもまた良い味を出します。  木材のもつ 木目には人工のものにはなかなか見られない「決まりのない自由な美しさ」があります 。加工はしていても、自然の模様をそのまま生かせるのが木材であり、その多様な木目に私たちは美を感じます。高級木材を使った床はとても洗練された雰囲気を放ちますが、節だらけのグレードが落ちる木材であっても使われ方次第で魅力的な素材として真価を発揮する可能性もあります。 木材も「みんな違ってみんないい」であり、とても奥の深い素材 です。  木材のもつ質感も魅力的なところです。極端な話、樹皮がついたままの状態でも格好良いと思います。ただ、その状態では工芸として考えると性能面で問題があるため、サンドペーパーで表面を磨き上げることがほとんどです。サンドペーパーで仕上げられた木材は肌触りが大変良く、自然の素材ゆえに手によく馴染みます。そして木目が美しく見える状態になります。 サンドペーパーの力は偉大で、多少形が不細工な彫り上がりの状態でも、徹底的に磨きさえすれば大抵のものは洗練された作品になってくれます 。なので、美術の授業ではサンドペーパーで作品を仕上げることを特に大事にして指導してい

素材のもつ魅力 〜ペットボトルキャップ編 VOL.1〜

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   今回は素材のもつ魅力についてお話しします。世の中に素材と言えるものが溢れています。紙、木材、金属、ガラス、土、プラスチック、布etc...上げ始めると本当にたくさんの素材があります。これらの素材の持ち味をいかに活用するかがデザインや彫刻においてとても大切になります。この活用法においては様々な工夫があり、大変研究しがいのあるものです。美術教師として 素材の活用に関する研究 は永遠のテーマと考えています。  素材はホームセンターや専門店で買うこともできますが、 どんなものでも素材としての可能性をもっているため、あまり周りから素材として注目されていないようなものにも目を向けてみるのも面白いです 。例えば「ゴミ」として扱われるようなものです。大学時代、一緒に授業を受けていたある学生が「カスが世界を明るくする」というタイトルの作品でゴミをスクラップブッキングにしていまいした。これが大変面白くて、ある役目を終えて不必要となったものでも、そこに意味を見出すと見え方が全く変わるということに気づかされました。それ以来、ゴミを見ると「なんか面白いものができないか」と考える癖がつくようになりました。廃材などを使って美術室の環境を整備したり、ソフトテニス部に活用できるものをつくったり、私がこれまでに作ってきたものは実用的なものが中心ですが、 ゴミの多様な素材を見ると色々なイメージが浮かんできます 。それだけでも価値のあることだと思うので、これらからも素敵なゴミとの出会いを楽しんでいきたいです。ちなみに「ゴミ人間」と「えんとつ町のプペル」はまだ見ていません…(笑)  今回素材のもつ魅力で紹介するのがペットボトルキャップです。リサイクルしたりワクチンの寄付につながるということで集めている人も少なくないと思います。学校にも沢山のペットボトルキャップがあります。ペットボトルキャップはゴミというわけではありませんが、 使用を終えたペットボトルキャップ自体に価値を感じることは少ない のではないでしょうか。「DAKARAのキャップについているクローバーが好きなので集めています!」なんていう人ももしかしたらこの世にはいるかもしれませんが、基本的にはゴミの一派として考えられているのではないでしょうか。  そんなペットボトルキャップは素材として、 1.大きさが基本的に揃っていて、構成的に使いやすく、統一

軽快な仕事始めは運動から 〜創造性のスイッチを入れる〜

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  私の勤務する中学校は1月7日から3学期が始まります。仕事始め自体は1月4日だったので、今回の記事は少しタイミングが遅いと思われるかもしれませんね。しかし、実際に周りを見ると、冬休みが終わることに関して非常にブルーになっている人は少なくありませんし、この記事を読んでいる人の中にも仕事始めからいまいちモチベーションが上がっていない、体が重いという人もいるかもしれません。今回の内容は休み明けの仕事に辛さを感じる人に是非読んでもらい、 たとえ休み明けでも軽快な気持ちでクリエイティブに仕事をし、充実感のある生活をするためのきっかけ になればと思って書かせていただきました。  しかし、「てか、そもそも休み明けにやる気なんか出るわけねぇだろ!」と思われている人もいることでしょう。私も昔はそうだったのでよく分かります(苦笑)。私が学生だった頃は始業式の日ほど嫌なものはありませんでした。宿題も完了していなかったというのもその原因の一つだったかもしれません…。  しかし、 世の中の常識を疑うようになり、自分の中に軸ができてからは、それに合わせて生きるだけなので、結果的に長期休暇明けや年末年始の休み明けでも快調にスタートを切ることができるようになりました 。そしてその中で何が効果的で、逆に何がまずかったのかも様々な研究結果と照らし合わせて分かってきたので、今回記事にしました。仕事始めがいまいち快調でなかったという人には特に読んで欲しいですし、幸いにも今週末は3連休なので、来週を仕事始めと考えて軽快に働き、2021年を素敵な1年にして欲しいと思います。 軽快さのポイントは「動くための環境づくり」  とてもシンプルですが、これに尽きます。動いてしまえば意外と楽であると気がつけたことがたくさんあるのではないでしょうか。 最初のポイントは「動きやすい環境にする」ということ です。  新年の仕事始めが特に辛くなる原因に年末年始のだらだら生活があります。炬燵なんていうものは私たちの活力を奪う罠でしかありません(笑)。これを使うと、自分たちが人類であることを忘れて猫の一種であるかのように振る舞ってしまいます。炬燵で寝て、起きたらご飯を食べて、炬燵に入ってテレビやゲームに興じて、寝る。何ともリラックスに溢れた数日間を送ることになりますよね。たとえ炬燵でなくとも、暖房の効いた部屋で一日ゴロゴロするのも

あけましておめでとうございます 〜新年の抱負〜

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    明けましておめでとうございます!昨年は大変お世話になりました。温かい応援をしてくださる方もいて、ブログを更新したり、他の活動も精力的に取り組むことができ、自分自身の成長が大いに実感できた1年でした。今年はさらに自分自身の限界を突破していきたいと思いますので、どうぞ今年もよろしくお願いします!  というわけで年賀状の代わりに毎年やっている教室の黒板アートです。ちょっと右寄りな雰囲気を太陽の図柄が放っていますが、子どもたちが作成した体育会のクラスの応援幕にこのデザインが使われていたのでそれを生かしました。限界突破というのもクラス目標です。パクりと言うよりオマージュというところでしょうか(笑)  私事ですが、今年人生で初めて初日の出を拝んできました。天気にも恵まれ、とても美しい景色を堪能できました。家の近くの山まで歩いていき、ひたすら階段になっている山道を妻と一緒に登りました。妻にとっては相当キツかったそうで、下山してから今年の抱負を聞くと「歩いて体力をつける!」と言っていました。  歩くことは本当に大事。日本人の多くは二宮金治郎からこのことをDNAレベルで刷り込まれているはずです。 常に歩く可能性を探るマインドセットをもつとダラダラ過ごす時間が劇的に少なくなります 。私自身、普段から歩きまくっていますが、改めて歩くことの大切さを考えることができた元旦の朝でした。  元旦の早朝からたくさん歩き、これまでの人生で最もアクティブなスタートを切った2021年。帰宅したらそのままランニングへ。これをして気がつけたことがあります。毎年元旦は最高に眠くてダラダラ、体が鉛のように重かったのが今年は超快調なのです。大晦日は義理の親の家で紅白を見てから帰ったため、睡眠時間は3時間程度しか取っていなかったのにとにかく元気。正月はダラダラするものという考えがこれまではありましたが、 とりあえず初日の出を拝みに山に登れば、快調なスタートが切れる ということが分かりました。初日の出の価値を知るまでに30年以上というかなり長い時間がかかってしまいましたが、人生はこれから3分の2が始まると考えて、良いタイミングで気がつけたと自分自身を必死に納得させておきます。  初日の出の写真を撮りましたが、写真だけなら他の日の方がむしろ人がいなくて美しく撮れます。しかし、初日の出を拝むこと自体がとても大事な