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道徳の授業で合唱曲を扱った教材

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 2学期が始まって早くも1周目が終了。授業も順調に始まり、美術は当然のことながら担任するクラスの道徳の授業も早速行いました。  2学期最初の道徳は諸事情あってクラス裁量ということだったので、折角なら挑戦的なものにしようと思い、オリジナル教材として10月に行う歌声大会で担任しているクラスが歌う自由曲「正解」を教材に授業を考えてみました。  合唱曲に限らず、歌詞が良い曲は数多あることは周知の事実だと思いますが、意外と歌詞の意味について深く考えたことがある曲は多くはないかもしれません。昔はCDアルバムに付属の歌詞カードを見ながらよく歌ったものですが、最近はサブスクやストリーミングで曲を聴くのが主流となり、歌詞と向き合う機会が減っているのではないかと思います。  しかし、合唱曲として歌うからには歌詞をじっくり読み、音源に合わせて世界観にどっぷり浸るということをしてもやり過ぎではないと思います。音楽を趣味で聴いていても歌の世界を深掘りする機会はそれほどないことかもしれませんが、深掘りすることがそもそも鍵となる道徳の内容として扱えば、曲の良さをさらに感じられるようになり、それが合唱にも良い影響を与えるのではないかと考え、今回教材を作成してみました。 歌詞カードと授業のワークシートを一体化  10月に歌声大会が行われるので、夏休み前にはクラスで歌う曲を決めて、夏休みにも練習できるようにピアノ伴奏者や指揮者には楽譜を渡し、GoogleクラスルームにはYouTubeの音源をアップするなどして、練習ができる環境を整えてきました。  昔に比べたらGoogleが使えるようになり、合唱練習もしやすくなりました。合唱曲を決める際もGoogleフォームで何度も投票を重ねてなるべく多くの生徒の考えが反映できるようにもなりました。しかし、合唱曲が決まってそのまま練習に入っている感があり、練習を重ねる中でそれなりに曲への思いもある程度は深くはなっていくものの、名曲のポテンシャルを十分に生かせていない感触がこれまでずっとありました。 歌うことを通して曲の内容にも感動し、自分の人生と向き合う。そんな体験が合唱を通してできるはず であると考えていました。  そんな中、2学期最初の道徳の授業がクラスの裁量でできることになったので、自由曲の「正解」を道徳の教材として使ってみようと考えるに至りました。そして、これ...

今年の夏休みにやって良かったこと

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 今日で夏休みが終わります。まだ残暑の厳しい8月下旬ですが明日からは2学期がスタートです。ただ、2学期はだんだんと過ごしやすい時期になっていくのが良いですね。快適な気候になればやりたいことにも積極的に取り組めるようになって生活の充実度がアップするので、2学期は個人的に結構好きです。まあ1・3学期にもそれぞれお気に入りポイントがあるので、どの学期も好きです。(1学期末の酷暑の時期は気候的には最低ですが、夏休みが近づくハッピーボーナスがあるので嫌いにはなれません(笑))  今回は2学期を迎えるにあたって夏休みにやって良かったと思えることを振り返ります。凄く個人的な内容になるかもしれませんが、参考にしていただけるものもあるかもしれませんので、良かったら読んでいただけると嬉しいです。 継続的なランニングと冷水シャワー  これは昨年の夏にも行いましたが、夏休み中はほぼ毎日ランニングをしました。これは主に夏バテ対策で取り組んでいることで、運動した分、食事で栄養補給したくなりますし、睡眠の質も良くなるので健康的な生活を安定して送ることができます。また、ランニング後に冷水シャワーを浴びることで血液循環の促進や免疫力の向上など様々なメリットが期待できます。そして何より気持ちが良いです(笑)。  ランニンング後のプロテイン摂取は吸収率が良く、運動後は何を飲んでも美味しく感じるので、幸せに浸りながら健やかな体づくりができます (笑) 。プロテインを飲んでいると言っても別に筋肉ムキムキを目指しているわけではありませんが、ある程度しっかりした体を作る上でタンパク質は重要なので、運動した後にはプロテインをなるべく飲むようにしています。  夏場のランニングは朝と夜の涼しい時間帯に主に行うようにしていますが、部活動を終えて年休で昼過ぎに家に帰るなりすぐにランニングに昼間から出かけることも少なくはありませんでした。昼間は暑すぎるので、2〜3キロの短時間でペース重視で走り、涼しい時間帯は3〜6キロ程度走るようにしました。  夏は汗をたくさんかく割に運動には不向きな季節なので、水分をたくさん摂取しがちですが、それによって食欲がなくなり、運動と栄養が不足してしまうと、一般的に夏バテになる傾向があります。 毎日のランニングはこのような夏バテを防いでくれますし、継続的に取り組むことでむしろ体力が向上し、良いコ...

地元の福知山を散歩して気がついた街の可能性と魅力

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 お盆ということで地元の京都府福知山市に2日間帰省しました。お盆の時期ではありますが、実家の達脇ベーカリーは仕事をしており、しかも大口の注文が入ったということで、実家に帰るなり即パン屋の手伝いをしました。手伝いと言ってもパンの製造ができるわけではないのでパンの包装を行い、懐かしさに浸りながらエアコンのない灼熱の工場(大きな釜があるのでエアコンが効かないため、窓を開けて扇風機で暑さをしのぎます)でひたすら作業をしました。たまにはパンの包装という単純作業に徹するのも悪くはないものですね。実家を離れて全く違う生活をしていると、こういう体験がとても新鮮に感じられます。昔は手伝うのがなかなかの苦痛でしたが(苦笑)。あと、少しでも親孝行をしなければと最近は思うようにもなりました。  滞在2日目の朝は30分程度散歩をしました。30年以上前からほとんど変わらない土手や自然の景色、大学生となって福知山を出てから大きく変化した市街地や商店街、少しの時間ではありましたが、色んなことを感じたり考えたりしながら散歩することができました。  今回は散歩をしていて特に印象的だった福知山の姿について書かせていただきました。地元を離れても大好きな福知山への思いは変わりません。残して欲しいところや生かして欲しいところについて率直な地元への想いと共に少し考察をしてみました。 古い街並みの面影を残す長屋  城下町である福知山には今もなお長屋の面影が商店街などに見られ、私の実家も昔は隣の家とくっついた状態(厳密には猫が通れるぐらいの隙間が隣の家との間に存在)でした。昭和以前であれば家が壁で隔てられた長屋は城下町には普通に見られた光景だったと思いますが、最近はほとんど見られなくなりました。しかし、福知山には割と最近まで典型的な長屋が結構たくさん存在していました。  上の写真は福知山城のすぐ近くにある長屋のエリアです。これを見ただけでは普通の古い長屋としか思えないかもしれませんが、私はこういった長屋を生かせる福知山であって欲しいと思います。 なぜなら、城下町の象徴的な場所として非常に貴重であり、城からすぐ近くにあるため観光スポットにもなり得ると考えられるためです 。  まだ住民が普通に生活しているので、観光スポットにする話を勝手にするのも良くないかもしれませんが、古くからある長屋がほとんどなくなってしまった今、...

ブログ5年目スタート!

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 早いもので、ブログを開始してもう4年が過ぎました。これまで週に一回記事を書くことを継続し、一瞬更新ペースを上げた時期もありましたが、週に一回書くことが完全に定着しているので、これからも無理なく自分のペースでブログを更新していこうと思います。  今回は過去1年間を振り返りつつ、ブログ5年目で主に取り扱っていきたいと考えている内容についても書かせていただきました。  過去の節目に書いた記事へのリンクも用意していますので、良かったら見てもらえると嬉しいです。 1年目の記事 (2021年8月13日) 2年目の記事 (2022年8月13日)   3年目の記事 (2023年8月11日) 4年目の振り返り Well-bingと教育について  3年目まではSociety5.0感の強い内容で、ICTに絡める内容が多くありました。自分自身、学校では総合やICT担当をしてきたことで、自然と新しい時代の学びや仕事の在り方(PBLやアダプティブラーニングなど)や、DXにつながるような作業や学習方法について考えることが多かったことがその要因にあったと思います。今思うと、この頃は決して詳しいわけではないICTについて必死に勉強して、とりあえず試しにやってみる成長への意識、そして成果を求める側面が非常に強かったと感じています。  それがブログ4年目になって大きく方向を変化させることになり、それまでのICTに関連することの割合が小さくなり、より良く生きるWell-beingに関する記事の割合が大きくなりました。体育会や部活動、ゴミ拾いボランティアなど非常にアナログな内容を扱うことが多くなったのが4年目の特徴として言えます。だからと言って普段の教育活動でICTを使わなくなったわけではなく、継続して活用していますし、美術教育におけるICTの活用方法を継続的に改善させてきました。進化が著しいAIの活用もかなり積極的に行っています。  しかし、不思議なもので、 ICTを日々使っていると、逆にこれまで見落としてきたアナログの良さも日常的に感じるようになりました。デジタルやAIといったICTに関することはあくまで何かを解決する上での数多あるツールの一部でしかなく、心がいかに動く体験をできるかが生活の中では根本的に大切であり、むしろ体験する際のマインドセットの在り方に着目する必要がある と考えるようになりました...

岡山県中学校教育研究会美術部会岡山県大会で行ったワークショップの振り返り

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 先日7月31日に建部町文化センターで中学校美術部会の岡山県大会が開催されました。今回はこの研究大会の振り返りをブログにまとめました。  私は倉敷支部の発表を担当させていただき、「 ICT活用で広がる学びの可能性 」について研究発表し、ICT活用が目的ではなく、その先の生徒の主体的な学習や課題解決型の学習にICTが助けとなってくれること、そしてやりたいことに安心して挑戦できる充実した学びが約束された学習環境の中で実現されることが期待される幸福感について私の考えを発表しました。また、倉敷支部では私以外にもう一人が「共通事項に自ら気づく授業展開」について発表しました。  4年前から私は倉敷支部の研究主任ということで、支部の発表全体をコーディネートさせていただきました。支部の持ち時間が90分ということで、発表2人が質疑応答を含めて35分程度、指導講評10分程度というのが普通の流れになるところだと思いますが、共通事項とICTを発表の軸にすることを決めた際に、参加者に体験を通して学んだり、会の中で実践に向けた一歩を踏み出す機会にしたりできたらと思い、ワークショップをメインにして実践発表は質疑応答含めて30分で二つ行い、40~45分程度ワークショップの時間を設けることにしました。 ワークショップ「造形美の遊園地」  今回の倉敷支部の発表テーマが「生徒と教師が共にワクワクする創造的な学びの冒険」ということで、共通事項にしろICTにしろ、ワクワクに溢れた美術の学習を実現する視点をポイントにして研究発表しました。そして、ワークショップも同様に共通事項への意識を大切にして、色や形、構成、材料などの造形要素の働きを捉え、作品全体の特徴からイメージを捉えることをポイントに参加者には取り組んでいただきました。  最初に「造形美の遊園地」という言葉からイメージできることを個人で1分程度でメモ書きして、5〜6人グループでテーマを合わせて制作をスタート。材料は部屋の中央に用意してあるので、必要なものは自由に利用できるようにしておきました。参加者のほとんどが美術教師ということで、みるみるうちに作品が発展していきました。参加者の年齢層は20代から60代と非常に幅広かったのですが、皆さん童心に帰ったように造形を楽しみ、コミュニケーションしながらアイディアを発展させているのが印象的でした。  私は作品の変...

学期末の大掃除で美化活動

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 学期末定番の大掃除が1学期の終業式の前日に行われました。教室は掃除の後にワックスをかけるので机椅子は全て廊下へ出して床や教室の隅々まで拭いたり磨いたりしますが、美術室は床が謎のコンクリート加工ということでワックスをかける必要がなく、机椅子の場所はそのままで行うので、割といつも通りの掃除をしました。しかも、普段から美術室は時間いっぱい掃除に取り組んでいるので、特別に綺麗にする必要もなく、いつも通りの掃除で十分という状態でした。普段から掃除に励んでくれている美術室のメンバーには感謝です。  大掃除は普段の掃除時間の倍の30分間ということで、普通に掃除をすれば15分余るわけですが、せっかくなので掃除以外の美化活動に取り組んでもらうようにしています。これまでにやってきたこととして、 ・すのこラックのペイント ・ダンボール棚のペイント ・美術室の汚れた壁をグレーにペイント(もちろん校長に許可を取った上で) ・ダンボールパネル(90cm×180cm)や画用紙(絵画制作の下敷き)にステンシルでペイント 以上のような美化活動に取り組んできました。どれも掃除時間が終了しても少し居残りしてやり続けるぐらい生徒は夢中で取り組みます。ちなみに、この大掃除の後半15分間で行う美化活動の時間のほとんどは、私は別の担当場所である自分のクラスの教室や廊下の掃除監督に行くので、活動の一部始終を把握しているわけではありませんが、出来上がったものを見れば大体どんな感じで作業が進んだのかは想像ができるので、生徒が短時間で色々と工夫を試みたことが分かります。  今回は先日行った大掃除の美化活動で取り組んだダンボールパネルと絵画制作する際の下敷きに利用する画用紙へのステンシルペイントを紹介します。もちろん掃除時間の美化活動としてだけでなく、教材としてもステンシルの版画は面白いので、何か参考になることがあれば嬉しいです。 ステンシルの版とスプレーがあれば手軽に楽しめる  模様や図柄をステンシルの切り絵で作成すれば、スプレーで簡単に版画ができます。もちろんステンシルを作成するのは手間ではありますが、この作業自体が充実感であったり達成感であったり、ものを作るのが好きな人にとっては多少なりともウェルビーイングに貢献することなので、暇を見つけてはステンシルを作成しておくのが良いでしょう。私の場合は教材の一環として和柄...

観点別評価AとCの混在への違和感について

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  1学期が終了し、今日から夏休みに入りました。夏休みに入っても部活動やその他の仕事がたくさんあるためそれほどゆっくりできるわけではありませんが、これまでに比べると多少は趣味に充てる時間が増えるので、やはりいくつになっても夏休みは嬉しいものです。  一般的に1学期最終日に生徒に渡す通知表。これが渡される際のドキドキ感は今の生徒も昔の生徒もあまり変わらないような気がします。成績に自信があるなしに関わらず、渡される前はとにかくソワソワしていて、通知表というものが及ぼす影響には非常に強い力があると言えます。それは教員として仕事をしている自分の勤務評価が渡される際の感覚も同様ですね。  ただ、この通知表というものが生徒の学習状況に対する適切なフィードバック(観点別評価のABC)になっていないと、1から5までの評定という分かりやすい成績をただ確認したり、友達と比較したりするだけのものになってしまいかねません。「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3つの観点のABC(個人的にはSを作って欲しいと考えていますが)が生徒の学習の実態を表すものとしてフィードバックされ、その後の学習につなげてこそ通知表の役割を果たすことにもなります。   今回、通知表の観点別評価について記事を書こうと思ったのが、観点別評価にAとCが混在しているケースをよく目にすることがあり、これについて私は違和感があるためです 。本来、3つの観点は相互に関係し合うものであり、A(非常に優れている)とC(成果が不十分で努力を必要とする)が混在するような評価というのは、そもそも評価方法自体に何かしらの問題がある可能性が考えられます。  教師としてABCで評価する機会がある人は1%程度の人間にしか当てはまりませんが、全ての大人が通知表を受け取ったことがありますし、親として通知表が渡される機会のある人ももちろん多いので、色んな人にこの問題について考える機会にして欲しいと考え、記事を書きました。 CCAとAACは特に強烈な違和感   「知識・技能」がC、「思考・判断・表現」がC、「主体的に学習に取り組む態度」がA。そんな評価を度々見ることがあります。このような評価は教師の指導を速やかに改善する必要があることを文科省から出されています。( 関連資料 )  ではなぜこの評価に問題があると言えるのでしょう...

研究大会の質疑応答にSlidoとChatGPT-4o、Googleドキュメントの活用

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 今年の7月31日に岡山県中学校教育研究会美術部会の研究大会が建部文化センターで開催されます。この会に向けて、私は倉敷支部の研究主任として発表準備を行なってきました。そして私自身も発表者の一人として当日はICT活用で広がる学びの可能性について研究発表することになっています。もうすでに当日のプレゼン資料も含めた発表資料は完成し、支部の中でのリハーサルも済ませているので、後は本番を待つのみとなっています。  研究大会では実践発表、質疑応答の流れが組まれており、これはごく一般的な流れですが、今回の発表では事前に質問をSlidoというアプリで入れられるようにしており、これによって発表しながらでもSlidoに入力された質問に目を向けることもできるため、スムーズに質疑応答に入ることができるようになっています。  ただ、質疑応答の時間には限りがあるため、質問に全て答えることができない可能性も十分にあります。せっかくの機会なので、可能な限り答えるつもりですが、限界があるのも事実。しかし、 質問があるのに答えられないのは勿体無いということで、今回ChatGPT-4oを活用して発表者のAIを用意し、後で回答をGoogleドキュメントで共有するという手段を取ることにしました 。  今回はChatGPT-4oを活用して発表者のAIを用意し、Googleドキュメントで回答を共有する方法について説明します。この夏休みに研修会や研究大会を予定されている場合は同じようにChatGPTを活用できる可能性もあるので、良かったら参考にしてみてください。 ChatGPT-4oに論文と発表スライドを読み込ませる  既にChatGPTを利用したことがあるという人も多くなってきていると思いますが、一応ChatGPTの最新版モデル4oとは何かについて説明しておきます。  無料版で使える従来のChatGPT-3.5はテキストを入力してAIがテキストで返答するというものでしたが、ChatGPT-4oは 画像、動画、音声なども含めた複数の形式のデータを同時に処理できるマルチモーダル機能を備えており、スライドやPDFといった文書も読み込ますことができます。つまり、これによって、 発表に関係する資料をChatGPTに読み込ませて自分の考えを学習させることができるようになりました 。  今回の発表に向けて、倉敷支部の発表者は...

肌の色は色彩学習の良い教材

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 私は普段から、生徒たちに色を自分で調整し、自由自在に色彩表現をする手段として三原色(赤、青、黄)を中心とした混色を指導しています。これにより、彼らが色を柔軟に扱う力を養うことができると考えています。しかし、指導を続ける中で、生徒たちの中には強い固定観念が残っていることに様々な場面で気付きます。特に「肌色」の作り方について質問される時に色への固定観念を感じます。  きっと多くの人が肌の色を表現する際に同じような疑問や質問をしたことがあるのではないでしょうか。保育園や幼稚園、小中学校ではよく人を描く機会があり、その際に「肌色」を使うのが当然のこととして考えられてきたと思います。 しかし、肌の色は本来人それぞれですし、同じ人でも肌の場所によって色が大きく異なります 。  それゆえに、「肌色」という言葉が生徒の口から出た時というのは、生徒が色彩についてそれまでの固定観念を破壊して、新たに認識を深める非常に良い機会になります。今回は「肌色」という言葉が授業で出た時の生徒への仕掛けを紹介します。 肌色の固定観念と肌の色の多様性 「肌色」という言葉は、かつては絵具の色の種類として広く使われていましたが、最近では「ペールオレンジ」や「薄橙」という言葉が使われるようになっています。しかし、人々の間では「肌色」という言葉が根強く残っており、その影響からか中学生も何の疑いもなく「肌色」という言葉を使い、肌の色を表現する固定的な色が存在すると思い込んでいることが多いです。  しかし、肌の色は本来多様であり、陰影や光の関係、体温の上下によっても変化するものです。それゆえに「肌色」と色を固定することは本来不可能だと考えています。私は多様な肌の色を前提にした「肌色」という言葉の存在自体を否定するわけではありませんが、 肌の色が多様であること、そして色彩表現する際には細かな色の調整が必要であることを生徒には認識してほしいと思っています 。  以上の色はどれも肌の色であり、変化はグラデーションで考える必要があります。昔のように絵の具に「肌色」が存在すると、それ以外の色を肌の色として使いにくくなってしまう可能性があり、これは「肌色」による色彩学習への弊害となります。 肌の色彩表現  この絵は、三原色と白を使って肌の色を再現する教材として私が描いたものです。この絵の完成度は置いておいて、これを見れば基...

10分あれば楽しめるステンシル版画

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 今回は版画の授業実践について紹介します。しかも非常に短時間でできる版画で、発展性や応用性が高く、非常に楽しめる版画なので、授業だけでなく、普通に趣味としても楽しめるものだと思いますので、良かったらやってみてください。 版画と言えば?  版画と言えば木版画をイメージする人が多いかもしれません。実際に中学生に「版画といえば?」と聞くと、「木を彫る」「白黒」「(バレンで)擦る」という反応が多く、稀に「消しゴムはんこ」と言う生徒がいるぐらいで、小学校の頃に取り組んだ単色の木版画のイメージが非常に強いことが伺えます。  木版画と言っても本来は単色だけでなく、葛飾北斎や歌川広重などを代表とする多版多色木版画、いわゆる錦絵や浮世絵と呼ばれカラフルなものもあり、一版でも多色刷りはできるため、「版画=白黒」というイメージはあまりにも版画本来の可能性から考えると経験が不足していると言えます。そもそも版画は木版画だけでなく、紙版画やフロッタージュなども木版画と同じく凸版に分類されるものであり、これらは木版画と比べると圧倒的に手間がかからない割に普通に立派な表現もできます。なので、木版画と同じぐらいに印象に残っていても良いと思いますが、木版画の「彫る」経験と白黒の印象が強烈過ぎるのか、「版画=白黒の木版画」というイメージが強烈に刷り込まれている感じです。木版画のイメージが強いのはもしかすると岡山や倉敷の地域性なのでしょうか。私は京都府の出身で小学1・2年生の時に取り組んだ紙版画の記憶もしっかり残っており、当時大好きだった動物、特にアフリカゾウに自分がまたがっている紙版画を制作したことを今でも覚えています。版画と言えば彫ることよりも「写し取る」イメージの方が私としては強くありました。  そんな版画の授業を始める際、生徒に「今回からは版画に取り組みます!」と言ったら「版画・・・」という反応がほとんどです。粘土や絵画の時は「イエーイ!」となることが多いにも関わらず、版画はどうしたものか反応が薄いというのが率直な印象です。木版画のイメージが強いため、「あの過酷な彫る作業が始まるのか・・・」という心の声が聞こえてきそうになります。と言うよりも普通にそういう発言が口をついて出ています。木版画自体は面白いと生徒も認識していますが、とにかく大変で色もワンパターンというイメージが強いようです。  そんな生...