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今更ながらCDシステムを利用

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  先日The Beatlesが最後の新曲「Now & Then」のリリースを発表して話題となりましたね。父がThe Beatlesが好きで毎日のように家で聴いてきた自分としても、この新曲を買うか買わないかは別として嬉しい話です。しかもこの新曲、レコードとカセットテープで販売(ストリーミングもありますが)するという昔スタイルというのも粋です。ベストアルバムも同時にリリースされるということで、さすがにこちらはCD版もありますが、実はアメリカでは最近はレコードの売り上げがCDを圧倒的に上回っており、音楽を聴くことへの価値観に大きな変化が生まれてきています。もちろん、現在はストリーミングが音楽を聴く最もポピュラーな方法になっているのは間違いありませんが、 ただ音楽を聴くだけでないそれ以上の体験価値を音楽に求める傾向が生まれている と言えます。   昔からあるものに目を向けると、見落としていた大切なことに気がつけることもあります 。実は最近、私はCDシステムを毎日活用していて、こうしてブログを書いている最中もフル活用しています。どうしてこんな時代遅れのCDシステムを使うようになったのか、今回はその魅力について語ってみようと思います。 ワンプッシュで高音質は想像以上に快適  最近は音楽を聴く方法として、iPadでYouTubeを使って聴いてきましたが、これの問題点はiPadを開いてYouTubeを立ち上げて、曲を選ぶという、至極普通のことではありますが、これが自分にとってプチストレスでした。いちいち「今日はどの曲を聴こうかな」と考えることを少し面倒に感じていました。  しかし、 CDシステムの場合は、電源を切っていても、再生ボタンをワンプッシュするだけで即再生されますし、iPadよりも高音質です 。私が使っているのはiPad Proなので普通のiPadや他のタブレットと比べるとかなり音質は良いですが、さすがにスピーカーが違いすぎます。iPad Proは4つのスピーカーを持っていて、小さな音で聞く場合には凄く立体感のある音が聞こえますが、ある程度空間に響かせるような音で使うと音がシャリシャリしてきます。それに比べてCDシステムは音量を上げてもバランス良く音が響いていて音質に余裕を感じます。  朝からストレスなく手軽に音楽で心地よくなれるというのはCDシステムを使...

木材の廃材を有効活用

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 今回は木材の廃材の活用について紹介します。糸鋸で木材を切り抜いて余った部分は廃材になりますが、これを上手く活用すれば簡単に素敵な作品ができます。オリジナリティのある形を考えるのがハードルとして高かったり、電動糸鋸機の扱いに不慣れな人であったりしても、手軽に工芸制作に取り組んで彫刻の経験を積める良い機会にもなります。  学校ならではの木材の廃材ではありますが、お家でも木材ゴミがたまには出ることもあるのではないかと思います。是非そのような時には彫刻で工芸品などを作成する楽しさを味わってみてほしいです。 廃材でも面白い形がたくさん  現在中学1年生の授業で木材を活用した工芸の授業に取り組んでいます。生徒には60mm × 300mm × 8mmの木材を一律に用意し、バターナイフやフォーク、スプーン、箸、靴べらなど、自分が制作したいものを考えて自由に制作しています。  一枚の木材を上手に活用すれば3つぐらいの作品を制作することも可能なので、生徒にはなるべく木材を有効活用するように指導していますが、それでもたくさんの廃材が生まれます。ただ、この廃材の形は多様で、中にはちょっとした工夫で作品にできるようなものもたくさんあります。そういうものを見つけ、廃材の形を生かして彫刻すれば簡単に工芸品が制作できます。  工芸品は機能性に関する部分は似たような形になりますが、持ち手の部分などは割と自由に形を設定しやすいと言えます。しかし、形が自由ゆえに自分で考えるのが難しいという人も少なくありません。そんな時に、 見た印象でなんとなく良いと思える形を廃材の中から選択するというのは、作り手にとってハードルが低く、創造的に形を考えるのが苦手という人にとって取り組みやすいですし、形を考えるのが得意という人にとっても偶然性の高い形は創造性を刺激するインスピレーションになる ため、多くの人にとって有効であると思います。私自身もこれまでに廃材からたくさんのヒントをこれまでに得てきました。  このペーパーナイフは刃の部分は薄くなるようにしっかり彫りましたが、持ち手の部分は少し形をなめらかにする程度で、全体的な形の印象は廃材の元々の形をかなり留めた状態にしました。これにサンドペーパーをしっかりかけて、ステインと蜜蝋ワックスを塗りこんで完成させた作品は自分でも納得の美しいペーパーナイフになりました。制作時間は...

文化祭の価値について考察

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  10月14日に私の勤務校で文化祭(正式名は北中祭)が行われました。私の学校では過去3年間の文化祭はコロナ禍ということで完全な状態で行えていませんでしたが、今年は全校生徒が体育館に集まって全プログラムが行われました。プログラムは3年生の合唱、弁論(3年1名)、英語スピーチ(3年1名)、展示(美術部、美術科)、吹奏楽、生徒会執行部という内容で、割と普通のプログラムで行いました。個人的には1・2年生の発表機会を作った方が良いとは思いますが、そのような文化祭でもそれぞれの発表が大変素晴らしいものだったので3年生はもちろんのこと、1・2年生の多くも楽しい1日を送ることができていたと感じています。  最近は授業時間数確保や文化祭の準備に向けた教員への負担も考えて文化祭を廃止する学校も出てきており、文化祭を開催する意義や価値について問われることもありますが、私は文化祭をこれからも継続していくことが望ましいと考えています。なぜなら、文化祭があることによって普段の授業では得られない心の成長や感動体験の機会が生み出される可能性があるためです。今回はそんな文化祭の価値について改めて少し考察してみました。 3年生と合唱のパワー  今回の文化祭は3年生の合唱が特に印象的でした。どのクラスも素晴らしい歌声で会場全体に感動の渦を巻き起こしていました。感動して涙を流す生徒や保護者、教職員も多数。もうこれだけでも十分に文化祭を開催する価値はあると言えます。発表の機会がない1・2年生が食い入るように発表を見ていました。  私の学校では1・2年生は文化祭よりも前に歌声大会というものがあり、そこで順位を競って発表します。1・2年生も発表に向けて放課後練習に励み、本番でも頑張って歌いますが、3年生は中学校で最後の合唱ということで、1・2年生と比べると圧倒的に高いモチベーションで練習時から歌います。過去に私が3年のクラスを担任した時には練習を重ねて見事に仕上がってきたクラスの歌声に生徒自身が感動して泣くということもありました。 本番だけでなく、練習時から合唱の取り組みには感動体験の機会がある と思います。  そんな3年生の合唱を文化祭で目にする1・2年生。音楽の持つ素晴らしい力を強烈に心に刻み込む機会となります。身近な存在である3年生たちがヒーローのように見えると同時に、来年は自分たちも良い発表を...

新人戦の地区予選が終了 〜部活動顧問として思うこと〜

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 先週と今週は新人戦の地区予選が行われ、私が顧問を務める男子ソフトテニス部は個人で1ペアがベスト16と32(代表決定戦敗退)、団体は残念ながら代表決定戦敗退という結果で、11月にある岡山県大会には個人で1ペアが参加するという地区予選の結果になりました。  新チームが始まって初の大きな大会である今回の新人戦は夏のシード決めの大会の結果からすると団体でベスト4以上、個人で3ペアが県大会出場というのが現実的な目標だったので、率直にかなり悔しい結果でしたし、私以上に選手は悔しい思いをしたのではないかと思います。  ただ、昨年は個人も団体も新人戦で県大会に出場することはできず、早々に敗退したにも関わらず、今年の夏の総合体育大会では団体で県大会に進ことができたので、新人戦の悔しさをバネにこれから練習に励めば、最後の大会で嬉しい結果を手に入れることもできると思うので、今回の結果をむしろ良い機会に考えたいと思います。  今回は新人戦の地区大会が不本意な結果に終わったものの、ポジティブに考えることができるポイントや部活動の在り方について考えることがあったので、簡単にまとめてみました。 中学生は伸び盛り 悔しい思いをすることで課題と向き合える  今回の大会では他校の有力選手の大勢が県大会を逃し、逆に夏のシード決めの大会から躍進した選手が目立ちました。中学生のこの時期は伸び盛りであると同時に、まだプレーが安定していないことから、波乱はつきものです。  今回、惜しくも県大会を逃した選手はこれから自分自身の課題と向き合い、プレーの向上に努めることでしょう。そう考えると、 この時期に敗退したことは決してマイナスではなく、先のことを考えるとむしろプラスになることも多くある と思います。  地区大会、県大会、さらにその上の中国大会など、大会が続いていると試合に向けた調整がメインになるため、練習試合や校内試合が多くなるなど、基礎練習の割合が低くなってしまいます。そのような中で、課題があると分かりつつも、誤魔化しながらプレーするという状態が続いてしまうことも多いです。 レベルアップを図るのであれば、課題を解決するためにフォームやプレースタイルにメスを入れる必要がありますし、伸び盛りの中学生であれば、根本的な課題解決は早い方が良い でしょう。  なので、地区予選で敗退したことで試合のことは一旦忘れ、基礎...

Googleジャムボードの代わりにGoogleスライドで協働学習するメリット

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   先日Googleジャムボードがあと1年ぐらいで使えなくなるという通知が来て、代わりのツールとして FigJam、Lucidspark、Miroなどのホワイトボードツールが紹介されていました。これらを少し触ってみましたが、個人的には、これらのツールよりも、現在普段から活用しているGoogleスライドやロイロノートをジャムボードの代わりとして使う方が 好ましいと感じています。 これらのツールの潜在能力を考えるとジャムボード以上に発展的な活用もできるでしょう。ジャムボードという超手軽な協働学習のツールを失うことによって生まれるダメージは多少あると思いますが、他のツールで十分に代替できるので、それほど慌てる必要はないと考えています。  私自身、もうしばらくはジャムボードを活用することもあると思いますが、いずれ使えなくなるというのであればGoogleスライド 、手書き使いたいのであればロイロノートやCanva、先に挙げた FigJam、Lucidspark、Miro などをジャムボードの代わりに活用することを検討し、1年後にジャムボードが使えなくなっても困らないようにしておくことが大切なのは言うまでもないことです。私はこの中でもGoogleスライドを活用してジャムボードに代わる協働学習をしていきたいと考えています。  私の授業ではあまり手書きを必要としないケースが多いため、Googleスライドを利用するメリットが大きいと言えます。実際に私はこれまでにもジャムボードでやっていたものをGoogleスライドに変更して、より発展的に取り組めた手応えがあります。なので、むしろ今回のジャムボード終了のお知らせは次のステップを踏む上で良い機会にさえなるのではないかと考えています。   今回はジャムボードの代わりにGoogleスライドを活用することの可能性についてこれまでの私自身の実践を基に少しまとめてみました。何か使えそうな方法があれば活用してみてください。 表やテキストボックス、図形ツールで意見共有  Googleスライドは表やテキストボックス、図形を挿入することによって言葉や文章を容易に集めることができます。表はGoogleスライドの「挿入」から表を選択するのも良いですが、スプレッドシートで作成した表を貼り付けることも可能(リンク機能付き)です。この点もGoogleスライ...

Googleスライドで生徒と共有する授業資料を授業毎にアップデート

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 今回は以前に紹介した「 学習を共有しアクティブラーニングを実現するGoogleスライドの活用 」(2022年1月)と「 Googleスライドを学習ツールのリンクの場に 」(2022年4月)の発展編になります。以前の内容はもう1年以上前のものなので、今回記事を書いてみて自分自身の活用方法の発展を改めて感じています。GIGAスクール構想3年目も半ばを迎え、授業で生徒と探究しながら学ぶ場、そして更なる学びの世界へ踏み入れる入口としてGoogleスライドを活用した授業資料を以前よりも有効に機能させることができるようになってきました。今回はそんな手応えを感じているGoogleスライドの活用法について紹介します。 学習に関する情報が集まる場  以前はGoogleスライドで授業資料や制作状況の情報共有、Googleジャムボードで1時間毎のめあてとまとめ、授業の中で撮影したものなどを載せ、二つのツールを使い分けていました。しかし、これをすると指導する中でタブを切り替えることが多く、生徒も多くのファイルを起動させる必要が出るため、効率的ではありませんでした。  このような状況を解決するため、最近は1つのGoogleスライドのファイルで全てが成立するようにしています。制作に関するページ、生徒へのフィードバック内容の共有、全クラスの制作状況の共有など、 このファイルさえ開いておけば参考にできる情報に手軽にアクセスできるという状態にしています 。  私が指導する美術科では制作と鑑賞が主な指導内容ですが、制作に費やす時間が多くなって鑑賞の学習が手薄になるというケースが多くみられます。もしかしたら大人の中には中学校の美術で鑑賞の授業を受けた記憶さえ残っていない人や、厳密には鑑賞の授業とは言い難いような「テスト対策」のようなただ作者と作品名、表現方法を覚えるだけの授業を受けたことがある人もいるのではないでしょうか。実際に、美術の教師同士で話をしていると、鑑賞の授業に対する苦手意識を持っている教師は少なくありません。制作した作品の鑑賞会なら生徒は自然と作品を鑑賞して感想文を書くため、鑑賞の授業が苦手であっても一応授業は成立させられると思いますが、制作と鑑賞が一体化するような鑑賞の指導にはなかなか至らないという悩みはよく聞きます。  しかし、制作を始めるきっかけとして鑑賞の授業を入れたり、制作を進...

コンクールや展覧会への出品が困難な作品に対する受容と、今後のコンクールの在り方についての考察

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 主体的な学習が教育のキーワードになって以来、生徒が美術の授業で制作する絵画作品が非常に多様化しています。その影響もあって、最近は文化祭での展示の難易度が高い作品や全国教育美術展などのコンクールに規格上出品が困難な作品が多くなってきました。  このような状況は見方によれば教師にとって「不都合」と言えるかもしれませんが、これは絵画の発展的な学びを考えると大変重要な意味があり、主体的な学びに基づいた個性の伸長という教育本来の目的を考えると、 むしろそういう「不都合」と感じられる機会は歓迎し、そこからさらに教育を改良していく足掛かりにさえできるのではないか と考えています。  今回は教師にとって「不都合」と捉えかねなれない絵画を受容することの可能性と、「不都合」を生み出す一端になることがあるコンクール作品や美術展の今後の在り方について考察をしてみました。 絵画を超える表現  絵画と言えば「平面」としての認識が強く、コラージュなどの貼り付けは絵画表現としての市民権を十分に得ているとは思いますが、基本的には平面的なものとして扱われているのが一般的です。  しかし、フランク・ステラの立体的な絵画や、ルシオ・フォンタナのようなキャンバスに切り込みを入れてキャンバスの物質性と空間性を要素にした表現など、平面だけでは語れない要素が絵画には本来はあるはずです。これらのアーティストの作品は絵画であると同時に彫刻作品としても成立しています。  そうであるなら、美術教育で扱う絵画制作も平面に縛られる必要はなく、形も四角でなくても良いと考えるべきであると思います。そもそも、絵画や彫刻、工芸、デザインという言葉は言語コミュニケーションの便宜上存在しているに過ぎず、創造活動がこれらに支配される必要性はないはずです。樹脂を含んだアクリル絵具を厚塗りしてニードルで削って表現するのと、樹脂粘土でレリーフといえるぐらいに立体的に盛り上げた上で彫刻を施した表現は物質的にも方法的にもほぼ同じですし、そこにどちらが絵画でどちらが彫刻であるかを議論すること自体が不毛です。よくある「これは絵画かデザインか」も似ています。  絵画か彫刻か、彫刻か工芸か、絵画かデザインか。こういったことを哲学的に考えること自体は存在に対する認識を深めるため非常に意味のあることだと思います。しかし、主体性を発揮してやりたいように表現して...

ブリコラージュ的視点で生活をより良く調整 〜有り合わせの物で簡易デスク〜

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   今回はブリコラージュの視点で生活をよりよく調整することについて私の考えを書きました。ブリコラージュとは 「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」ことで、「器用仕事」とも訳されるフランス語です。以前にもブリコラージュに関する記事を書いたことがありますが、今回は夏の生活の中で私が実践した簡易デスクをブリコラージュしたことに基づいて紹介します。  今年の夏も暑かったですね。暑い夏の必需品といえばエアコンになりますが、私が住んでいるアパートには寝室とリビングにエアコンがあり、書斎にはエアコンがついていません。これまではリビングのエアコンから自分の書斎と妻が主に利用している部屋に冷気を送っていたのですが、これをすると電気代が大変高くなります。さらに、今年は赤ちゃんと妻が実家で過ごしているため一人で高いエアコン代を発生させるわけにもいかないということで、寝室のエアコンだけを利用して夏を乗り切ることにしました。 ブリコラージュでデスクを急遽用意  寝室で仕事や勉強、読書をすると、やる気スイッチが入りにくいため、私としては寝室を利用するのは本望ではありませんが、跳ね上がる電気代のことを考えるとやむなしでした。昨年は8月の電気代が2万円を優に超えていましたが、今年は5千円に抑えることができたので、かなり節約することができたと言えるのではないかと思います。  ただ、寝室にはデスクがなかったため、仕事や勉強ができるようにデスクを用意する必要がありました。最初はキャンプなどで使う折りたたみ式のテーブルでも置こうかと考えましたが、流石にそれはナンセンスだと思い、家の中で使えそうなものを探すことにしました。そうして今は利用していない折りたたみ式のローテーブルの利用を考えるようになりました。  ただ、ローテーブルではベッドに座って使っても高さが微妙ですし、そもそもベッドに座るのは姿勢の面でも良くありませんし、ベッドに座っているだけで眠りスイッチが入ってしまいます。地面に座ってローテーブルで作業するのも長時間の作業には不向きということで、ローテーブルのまま利用するのは好ましくないと考え、改善方法を探ることにしました。  そこで、他のものを下にセットして高さを調整すれば問題が解決するのではないかと思い、丸椅子とオムニウッティという蓋付高性能バケツと組み合わせたところ、ちょうど良...

目標の持つ意味 〜ランニングを通して考える〜

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 今回は目標との付き合い方について私の考えを書いてみました。  今年の夏は過去一ランニングに出かけ、8月は月間で100キロ以上走ることができました。この月間の数字はNike Run Clubで計測を始めてから過去最高記録です。ガチのランナーと比べたら全然大したことのない距離とペースですし、長距離の陸上選手であれば数日程度でカバーしてしまうような距離しか走っていませんが、自分としては毎日継続してランニングに取り組み、体力が落ちやすい夏場にむしろ体力を向上させることができたことに大きな意味があると考えています。  8月は職場も夏休み(8月25日が2学期のスターチですが)なので、時間に余裕があり、いつか月間100キロ走りたいと考えていたので、その目標をクリアするには丁度良い機会でした。そして、ランニングの記録を更新することを今年の新年の抱負にしていたので、これが8月の段階で更新できたのはとても嬉しいことです。数値目標というのは目指す先が明確で、達成したかどうかも分かり易いので、目標達成に向けてモチベーションを維持し易いという特性があると思います。  記録を更新したり、目標を達成したりすると、更に高い目標を設定することが多いと思います。なぜなら目標を達成することは成長であり、成長によって広がった可能性でより幸福になれると考えられていて、目標を更新していくことが幸福度を上げていくものであると考える人が多いためです。  しかし、 そもそも目標というものがどのような意味を持つものであるのかが曖昧な状態で、闇雲により高いレベルの目標を数値的に設定して、本当に人は幸せになれるのかどうかというとかなり怪しいものがある と思います。今回は、私がこの夏に目標を持ってランニングに取り組むことを通して考えたことを基に目標の持つ意味について改めて考えてみたいと思います。 一番大事な目標以外は充実度を目標のポイントに  目標と言っても、短期目標や長期目標などさまざまなタイプのものがありますが、比較的重要な目標とそうでない目標というものもあります。例えば、「幸せな人生を送る」というのは多くの人にとって重要な目標になると思いますが、「良い車に乗るためにお金を貯める」というのは前者に比べるとそれほど重要な目標にはならないと思います。良い車に乗るというのは幸せに関係することかもしれませんが、お金を貯めるた...

壊れた物を直して大切に使う

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   先日、義実家の花入が落下して破損しました。陶器製のものだったので、粉々というわけではありませんが、3箇所で大きく割れて、表面の釉薬の部分も割れたところからかなり剥がれてしまいました。  この花入はトルコに旅行した際の思い出の品ということで、義母はかなり落胆していたのですが、ある程度の修復であれば自分でできると判断し、一旦預かって修復作業をしました。  この修復作業を通して、「壊れた物を直して大切に使う」ことの意味について考察する機会がもてたので、記事を書いてみました。 陶器の場合、大部分は接着剤で修復可能  陶器であればガラスほど粉々にならないので、破損したパーツをジャストで組み合わせて接着剤でつなげたら割と普通に使える状態にまで修復できます。今回の修復でも、全体の形としては十分に元に戻すことができました。  しかし、釉薬が剥がれたり、割れた部分の細かいパーツがなくなっていたりして、非常に痛々しい状態で、破損していることが見た瞬間にわかるという状態でした。  この花入は義母が非常に気に入っている品ですが、さすがにこの状態では家に飾る気にもなれないでしょう。なので、なるべく破損箇所が分からないように、破損してなくなった部分を埋めたり、剥がれた色を修復する必要がありました。 アクリル絵具を混ぜた接着剤(パテ)で傷を埋め、 ウレタンニスでコーティング  破損して深い傷ができてしまっている部分は接着剤やパテで埋めると強度を出しつつ、しっかり本体に接着させることが可能です。アクリル絵具を混ぜて周囲と同じ色になるようにしておくと傷があまり目立たなくなります。  釉薬はガラス質であるため、表面には艶があります。よく釉薬がしっかり塗られた陶器を硬いもので叩くとガラスと同じような甲高い音がするのはこのためです。接着剤やパテでは釉薬のような艶が出ないため、代わりにウレタンニスでコーティングすると、色が剥げにくくなり艶も出るため、修復箇所があまり目立たなくなります。  よく見ると修復した場所が分かりますが、そこまでまじまじと見られることは基本的にはないので、義母はこれで十分過ぎると言って喜んでくれました。めでたしめでたしです。 思い入れのあるものは大切に使い続ける  今回、工芸品を修復していて「壊れた物を直して使う」ことに関して考察する機会をもつことができました。それは物の...